諸国民のリヴァイアサン_

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第匌 6 章 2 人 のヒーロー 福厹 音 は、すでに 9 世匒 紀 にボヘミアに 伝捱 えられていた。 聖脩 書危 は 一 般 の 人 々の 言匟 語指 に 翻 訳胲 され、 礼脊 拝旟 も 人 々の 言匟 葉挺 で 豹 われていた。しかし、 法 王掣 の 権勻 力 が 増匲 大 するにつれて、 神卡 の み 言匟 葉挺 はおおいかくされた。 王掣 たちの 誇縷 りを 砕 くことを 自 分 の 任厃 務勲 と 考卛 えたグレゴリー7 世匒 は、 同 様捞 に、 人 々を 奴 隷趵 にすることに 意勪 を 注挅 いだ。そこで、ポヘミア 語指 で 礼脊 拝旟 を 行 うこ とを 禁 しる 教卝 書危 が 発 布偵 された。「 全 能印 の 神卡 は、 人 々が 知半 らない 言匟 葉挺 で 神卡 を 礼脊 拝旟 することを 宮厳 ばれう。そして 多匭 くの 悪捰 と 異 端健 とは、この 規厶 則 に 従 わなかったために 起招 こった」と 法 王掣 は 宣傪 言匟 した。 1 こうしてローマは、 神卡 のみ 言匟 葉挺 の 光捄 を 消拔 して 人 々を 暗肨 黒 に 閉僔 じ 込匸 める 布偵 告卪 を 出 した。しかし 神卡 は、 教卝 会 の 維 持匛 のために 他 の 方 法 を 設勳 けてお られた。 迫 害县 によって フランスやイタリアの 故採 郷偮 を 追挵 われたワルド 派挩 やアルビジョア 派挩 の 人 々の 多匭 くが、ボヘミ アにやって 来勵 た。 彼 らは、 公勗 然掍 と 教卝 えはしなかったが、 隠僸 れて 熱 心升 に 働掴 いた。こうして、 真卢 の 信勼 仰纝 が 世匒 紀 から 世匒 紀 へと 保 持匛 されたのである。 [1634. ボヘミアでは、フスの 時 代 以匆 前 に、 立 ち 上 がって 公勗 然掍 と 教卝 会 の 腐纄 敗反 と、 民 衆 の 不勘 品厍 行 を 非 難挚 した 人 々かいた。 彼 らの 活卹 動 は、 広南 く 一 般 の 関 心升 を 呼 んだ。 聖脩 職厯 者 たちは 恐傁 怖繍 を 感厤 じ、 福厹 音 を 信勼 じるものたちに 対 する 迫 害县 が 始卿 まった。 彼 らは、 森捒 や 山 で 礼脊 拝旟 しなければな らなくなり、 兵掝 隊 たちにかり 立 てられ、 殺掮 されたものも 多匭 かった。その 後 しはらくして、 ローマ 教卝 の 礼脊 拝旟 を 離掤 れたものは、みな 火 刑傃 にするという 布偵 告卪 が 出 された。しかしキリスト 者 たちは、その 生 命挻 をささげながら、 彼 らの 運卞 動 の 勝 利匏 を 待挊 望捬 したのであった「 救 いは 十厝 字捐 架繳 にかけられた 救 い 主勢 を 信勼 じることによってのみ 与拜 えられる、と 教卝 えた」ものの 1 人 は、 その 死拎 ぬ 時 に 次卙 のように 占 った。「 真卢 理 の 敵育 たちの 怒腹 りは、 今 われわれに 勝 っている。し かし、 永 久挸 にそうなのではない。 剣腚 や 権勻 威胙 によらないで、 一 般 の 民 衆 の 中 から 1 人 の 人 が 立 ち 上 がる。そして 彼 に 対 して、 真卢 理 の 敵育 たちは 勝 っことかできない。」 2 ルターの 時 代 は、まだずっと 先匪 のことであった。しかし、すでに、ローマに 抗 議 して 諸 国 民 を 揺肝 り 動 か す 者 が 起招 こりつっあった。 ヨハン・フスは、 卑赐 しい 身拴 分 の 家匝 に 生 まれ、 幼膇 少厮 の 時 に 父 親捧 を 失拽 った。しかし、 彼 の 信勼 心升 深捫 い 母 親捧 は、 教卝 育挞 と 神卡 を 恐傁 れることとを 最勞 も 価卒 値捛 ある 財拉 産勩 とみなして、こうした 遺 産勩 を 息僢 子 のために 確卾 保 しようとした。フスは、 地 力 の 学 校厛 で 学 んでから、 慈暆 善 学 生 としてプ ラハの 大 学 に 入 学 を 許 された。 彼 は 母 に 付厏 き 添胭 われて、プラハへと 旅傯 立 った。 彼 女匩 は 貧縏 し 未 亡 人 であって、 息僢 子 に 与拜 えるようなこの 世匒 の 富挛 は 何挬 も 持匛 っていなかった。しかし 彼 らが 大 都匙 会 に 近卐 づくと、 彼 女匩 は、 父 親捧 のいない 息僢 子 のそばにひさまずいて、 彼 の 上 に 天拦 の 父 の 祝腛 福厹 を 祈绗 り 求卍 めた。 自 分 の 祈绗 りがどのように 答掬 えられるか、この 母 親捧 は 知半 るよしもなかっ た。 60

大 学 においてフスは、たゆまぬ 熱 心升 と 急双 速捠 な 進勺 歩 によって、すぐに 頭挓 角偰 をあらわした。 また、 彼 の 非 難挚 されるところのない 生 活卹 、 穏昳 やかで 好捆 感厤 のもてる 態拟 度 は、だれからも 尊胛 敬肭 された。 彼 は、ローマ 教卝 会 の 誠肬 実 な 信勼 者 で、 教卝 会 が 与拜 えると 主勢 張挗 している 霊绳 的 祝腛 福厹 を 熱 心升 に 求卍 めていた。 大 赦费 のおりには 告卪 白换 に 行 き、 乏织 しいさいふをはたいてささげ、 罪 のゆるし を 受匃 けるために 行 列偱 に 加匎 わった。 彼 は、 大 学 を 終厖 えてから 聖脩 職厯 者 の 道匠 に 進勺 み、どんどん 昇 近卐 して、 間 もなく 王掣 室掂 づきになった。 彼 はまた、 母 校厛 の 教卝 授 となり、 後 には 総匫 長 になった。 わずか 数包 年 のうちに 1 人 の 卑赐 しい 慈暆 善 学 生 かボヘミアの 誇縷 りとなり、 彼 の 名匷 はヨーロッパ 全 体 に 知半 れわたった。 しかし、フスが 改匳 革挙 の 事 業 を 始卿 めたのは、 別厌 の 分 野 においてであった。 彼 は 司 祭脫 に 任厃 じられてから 数包 年 後 に、ベツレヘム 礼脊 拝旟 堂傾 の 説拿 教卝 者 として 指匦 名匷 された。この 礼脊 拝旟 堂傾 の 創傦 設勳 者 は、 聖脩 書危 を 自 国 語指 で 説拿 くことが 非 常拤 に 重匤 要勥 であると 主勢 張挗 したのであった。このことに 対 するローマの 反卬 対 にもかかわらず、ボヘミアでは、それが 完 全 に 中 止厙 されてはいなかった。 しかし 聖脩 書危 に 関 する 無叄 知半 ははなはだしく、あらゆる 階 級揁 の 人 々の 間 で、 最勞 もひどい 不勘 道匠 徳 が 有卻 われていた。フスは、こうした 悪捰 習 を 容卣 赦费 なく 責掅 め、 神卡 のみ 言匟 葉挺 を 引匂 用 することによ って、 彼 の 説拿 く 真卢 理 と 純儻 潔昔 の 原募 則 を 強勮 調 した。 フラハの 一 市 民 、ヒエロニムス[ジェローム]—— 後 にフスの 親捧 友掻 になった 人 物匵 ——は、 英捼 国 からの 帰 国 に 際匶 して、ウィクリフの 著兆 書危 を 持匛 ち 帰 っていた。ウィクリフの 教卝 えに 改匳 宗儲 した 英捼 国 の 女匩 王掣 は、ボヘミアの 王掣 女匩 であったから、 彼 女匩 の 影挼 響捳 によって、 改匳 革挙 者 の 著兆 書危 が 広南 くボヘミアに 配括 布偵 された。フスは、これらの 著兆 書危 を 興掰 味控 深捫 く 読傊 んだ。 彼 は、 著兆 者 がまじ めなキリスト 者 であることを 信勼 じ、 彼 の 主勢 張挗 する 改匳 革挙 運卞 動 に 賛僮 成勱 するようになった。フス は、 自 分 では 自 覚 していなかったが、もうすでに、ローマから 遠 く 離掤 れることになる 道匠 を 歩 きはじめたのであった。 ちょうどこのころ、ブラハに、 学 識掟 のある 2 人 の 旅傯 旅傯 人 が 英捼 国 から 到肑 着挄 した。 彼 らは 光捄 を 受匃 け 入 れており、それを 伝捱 えるために 遠 くの 地 までやってきたのであった。 彼 らは 初匘 めから 法 王掣 の 至儖 上 権勻 を 公勗 然掍 と 攻 撃掐 したので、すぐにその 筋傶 から 発 言匟 をとめられてしまった。 しかし 彼 らは、そのまま 引匂 き 下 がることを 好捆 まず、 他 の 方 法 を 用 いることにした。 彼 らは、 説拿 教卝 者 であると 同 時 に 画厐 家匝 でもあったので、 自 分 たちの 技叒 術挘 を 活卹 用 することにした。 人 々 の 目 につくところに、 彼 らは 2 枚儳 の 絵胅 を 描胦 いた。1 枚儳 はキリストのエルサレム 入 城拝 をあし らっていた。キリストは「 柔肛 和匄 なおかたで、ろばに 乗拳 って」おられ、その 後 に、 旅傯 ですり 切卲 れた 衣胼 をまとった 弟胱 子 たちがはだしで 従 っていた[マタイ 21:。もう 1 枚儳 の 絵胅 は、 法 王掣 の 行 列偱 を 描胦 いていた。 法 ははなやかな 衣胼 を 身拴 につけ、 三勫 重匤 の 冠縍 をかぶって、りっぱに 飾兇 っ た 馬捣 に 乗拳 り、その 前 にはラッパを 吹胈 く 者 たちが 行 き、 後 からは 枢 機務 卿 や 高 位匱 聖脩 職厯 者 たちが 豪僘 華兛 に 着挄 飾兇 って 従 っていた。 61

第匌 6 章 2 人 のヒーロー<br />

福厹 音 は、すでに 9 世匒 紀 にボヘミアに 伝捱 えられていた。 聖脩 書危 は 一 般 の 人 々の 言匟 語指 に 翻 訳胲<br />

され、 礼脊 拝旟 も 人 々の 言匟 葉挺 で 豹 われていた。しかし、 法 王掣 の 権勻 力 が 増匲 大 するにつれて、 神卡 の<br />

み 言匟 葉挺 はおおいかくされた。 王掣 たちの 誇縷 りを 砕 くことを 自 分 の 任厃 務勲 と 考卛 えたグレゴリー7<br />

世匒 は、 同 様捞 に、 人 々を 奴 隷趵 にすることに 意勪 を 注挅 いだ。そこで、ポヘミア 語指 で 礼脊 拝旟 を 行 うこ<br />

とを 禁 しる 教卝 書危 が 発 布偵 された。「 全 能印 の 神卡 は、 人 々が 知半 らない 言匟 葉挺 で 神卡 を 礼脊 拝旟 することを<br />

宮厳 ばれう。そして 多匭 くの 悪捰 と 異 端健 とは、この 規厶 則 に 従 わなかったために 起招 こった」と 法 王掣<br />

は 宣傪 言匟 した。 1 こうしてローマは、 神卡 のみ 言匟 葉挺 の 光捄 を 消拔 して 人 々を 暗肨 黒 に 閉僔 じ 込匸 める 布偵 告卪<br />

を 出 した。しかし 神卡 は、 教卝 会 の 維 持匛 のために 他 の 方 法 を 設勳 けてお られた。 迫 害县 によって<br />

フランスやイタリアの 故採 郷偮 を 追挵 われたワルド 派挩 やアルビジョア 派挩 の 人 々の 多匭 くが、ボヘミ<br />

アにやって 来勵 た。 彼 らは、 公勗 然掍 と 教卝 えはしなかったが、 隠僸 れて 熱 心升 に 働掴 いた。こうして、<br />

真卢 の 信勼 仰纝 が 世匒 紀 から 世匒 紀 へと 保 持匛 されたのである。 [1634.<br />

ボヘミアでは、フスの 時 代 以匆 前 に、 立 ち 上 がって 公勗 然掍 と 教卝 会 の 腐纄 敗反 と、 民 衆 の 不勘 品厍 行<br />

を 非 難挚 した 人 々かいた。 彼 らの 活卹 動 は、 広南 く 一 般 の 関 心升 を 呼 んだ。 聖脩 職厯 者 たちは 恐傁 怖繍 を 感厤<br />

じ、 福厹 音 を 信勼 じるものたちに 対 する 迫 害县 が 始卿 まった。 彼 らは、 森捒 や 山 で 礼脊 拝旟 しなければな<br />

らなくなり、 兵掝 隊 たちにかり 立 てられ、 殺掮 されたものも 多匭 かった。その 後 しはらくして、<br />

ローマ 教卝 の 礼脊 拝旟 を 離掤 れたものは、みな 火 刑傃 にするという 布偵 告卪 が 出 された。しかしキリスト<br />

者 たちは、その 生 命挻 をささげながら、 彼 らの 運卞 動 の 勝 利匏 を 待挊 望捬 したのであった「 救 いは 十厝<br />

字捐 架繳 にかけられた 救 い 主勢 を 信勼 じることによってのみ 与拜 えられる、と 教卝 えた」ものの 1 人 は、<br />

その 死拎 ぬ 時 に 次卙 のように 占 った。「 真卢 理 の 敵育 たちの 怒腹 りは、 今 われわれに 勝 っている。し<br />

かし、 永 久挸 にそうなのではない。 剣腚 や 権勻 威胙 によらないで、 一 般 の 民 衆 の 中 から 1 人 の 人 が<br />

立 ち 上 がる。そして 彼 に 対 して、 真卢 理 の 敵育 たちは 勝 っことかできない。」 2 ルターの 時 代<br />

は、まだずっと 先匪 のことであった。しかし、すでに、ローマに 抗 議 して 諸 国 民 を 揺肝 り 動 か<br />

す 者 が 起招 こりつっあった。<br />

ヨハン・フスは、 卑赐 しい 身拴 分 の 家匝 に 生 まれ、 幼膇 少厮 の 時 に 父 親捧 を 失拽 った。しかし、 彼 の<br />

信勼 心升 深捫 い 母 親捧 は、 教卝 育挞 と 神卡 を 恐傁 れることとを 最勞 も 価卒 値捛 ある 財拉 産勩 とみなして、こうした 遺 産勩<br />

を 息僢 子 のために 確卾 保 しようとした。フスは、 地 力 の 学 校厛 で 学 んでから、 慈暆 善 学 生 としてプ<br />

ラハの 大 学 に 入 学 を 許 された。 彼 は 母 に 付厏 き 添胭 われて、プラハへと 旅傯 立 った。 彼 女匩 は 貧縏 し<br />

未 亡 人 であって、 息僢 子 に 与拜 えるようなこの 世匒 の 富挛 は 何挬 も 持匛 っていなかった。しかし 彼 らが<br />

大 都匙 会 に 近卐 づくと、 彼 女匩 は、 父 親捧 のいない 息僢 子 のそばにひさまずいて、 彼 の 上 に 天拦 の 父 の<br />

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