諸国民のリヴァイアサン_

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11.07.2024 Views

を 害县 していた。 彼 は、 自 分 があと 数包 年 しか 働掴 くことができないことを 知半 っていた。 反卬 対 に 直卟 面卥 しなけれはならないことも 知半 っていた。 しかし 彼 は、 神卡 のみ 言匟 葉挺 の 約 束僓 に 励繭 まされて、 恐傁 れることなく 前 進勺 した。これまで 彼 は、 旺赉 盛 な 知半 力 と 豊掿 かな 経 験挧 のうちに、 彼 の 仕捸 事 の 中 でも 最勞 大 の 事 業 のために、 神卡 の 特厣 別厌 の 摂昊 理 によって 守捿 られ 準厜 備厵 させられてきた。キリスト 教卝 国 全 体 が 混 乱 に 満掫 ちている 時 に、 改匳 革挙 者 ウィクリフはラタワースの 牧肧 師 館掎 で、 外勭 部 のすさまじいあらしをよそに、 彼 が 選 ん た 仕捸 事 に 没纹 頭挓 した。 ついに 仕捸 事 は 完 成勱 した。これは 最勞 初匘 の 英捼 語指 訳胲 の 聖脩 書危 であった。 神卡 の 言匟 葉挺 か 英捼 国 に 開 か れた。 改匳 革挙 者 は、もう 牢 獄晳 も 死拎 も 恐傁 れなかった。 彼 は 英捼 国 民 の 手 に、 消拔 すことかてきない 光捄 を 渡据 したのである。 同 胞繟 の 手 に 型捗 書危 を 与拜 えることによって、 彼 は、 無叄 知半 と 悪捰 徳 のかせを 破挐 壊傓 して 自 国 を 解卆 放择 し 高 めるうえで、 戦勛 場 におけるどんな 輝脮 かしい 勝 利匏 がもたらしたもの よりも、さらに 大 いなることを 成勱 し 遂脎 げたのである。 まだ 印偝 刷繺 術挘 が 知半 られていなかったので、 聖脩 書危 は、 遅 々としたうんざりするような 労排 苦 によって、 増匲 やすより 他 はなかった。 聖脩 書危 を 手 に 入 れたいという 希傩 望捬 は 非 常拤 に 強勮 く、 聖脩 書危 を 写捂 す 仕捸 事 に 喜 んで 従 事 する 者 も 多匭 かったけれども、 筆僜 記卌 者 たちは、なかなか 要勥 求卍 を 満掫 た すことができなかった。 金 持匛 ちのなかには、 聖脩 書危 全 巻僲 を 希傩 望捬 するものもあった。 他 の 人 々 は、 一 部 分 だけを 買挍 った。 何挬 家匝 族 かがいっしょになって 1 冊昘 を 買挍 うという 場 合 も 多匭 かった。 こうして、ウィクリフの 聖脩 書危 は、 間 もなく 人 々の 家匝 庭僃 へと 入 っていった。 人 間 の 理 性勯 に 対 するこうした 訴挰 えによって、 人 々は、 法 王掣 の 教卝 義拣 にただ 黙縹 従 することからめざめた。ウ ィクリフは、ここにおいて、 新 教卝 主勢 義拣 の 独捌 特厣 の 教卝 理 、すなわち、キリストを 信勼 じる 信勼 仰纝 に よる 救 いと、 聖脩 書危 が 唯繴 一 の 無叄 謬 なものであることとを 教卝 えた。また 彼 が 派挩 遣傛 した 説拿 教卝 者 た ちは、ウィクリフの 文卽 書危 とともに 聖脩 書危 を 配括 布偵 し、 英捼 国 民 の 半博 数包 近卐 くがこの 新 しい 信勼 仰纝 を 受匃 け 入 れるという 成勱 功僵 を 収厓 めた。 型捗 書危 の 出 現勶 は、 教卝 会 の 権勻 威胙 者 たちをうろたえさせ た。 今 や 彼 らは、ウィクリフよりも 強勮 力 な 力 、 彼 らの 武叇 器捙 も 歯脝 が 立 たない 力 と 対 決 しなければならなかった。 当勠 時 、 英捼 国 には、 聖脩 書危 を 禁 止厙 する 法 律傢 がなかった。まだ 聖脩 書危 が、 民 衆 の 言匟 語指 で 出 版價 されたことがなかったか らである。 後 になってそうした 法 令傂 が 発 布偵 され、 厳 重匤 に 実 施厇 された。その 間 、 司 祭脫 たちの 反卬 対 はあったが、しはし 神卡 のみ 言匟 葉挺 を 配括 布偵 する 機務 会 があったのである。 法 王掣 教卝 の 指匦 導拗 者 たちは、ふたたひ、 改匳 革挙 者 の 戸叐 声拨 を 沈腉 黙縹 させようと 謀纠 った。 彼 は 続勸 け て 3 回 法 廷腾 に 呼 ばれたか、 事 なきを 得千 た。 最勞 初匘 の 時 は、 司 教卝 たちの 宗儲 教卝 教卝 議 が、 彼 の 著兆 書危 を 異 端健 であると 宣傪 言匟 した。 彼 らは、 若拊 い 王掣 リチャード 2 世匒 を 自 分 の 側卷 に 引匂 き 入 れ、 禁 じら れた 教卝 義拣 を 信勼 じる 者 はみな 投匐 獄晳 するという 勅質 令傂 を 得千 た。 そこでウィクリフは、 宗儲 教卝 教卝 議 から 議 会 に 上 訴挰 した。 彼 は、 恐傁 れることなく 国 会 において 教卝 階 制勧 を 非 難挚 し、 教卝 会 が 公勗 認卉 し 54

ている 数包 多匭 くの 悪捰 習 の 改匳 革挙 を 要勥 求卍 した。 強勮 い 説拿 得千 力 をもって、 彼 は 法 王掣 庁厘 の 侵兓 害县 と 腐纄 敗反 と を 描胦 き 出 した。 敵育 は 混 乱 に 陥肿 った。ウィクリフの 友掻 人 たちや 支匣 持匛 者 たちは、すでに 屈縿 服傕 さ せられていた。そして、 老偽 齢 のウィクリフ 自 身拴 も、ただ 1 人 で 援拶 助捉 者 もない 以匆 上 、 国 王掣 と 法 王掣 の 合 同 権勻 力 の 前 に 屈縿 するものと 予匨 期勡 されていた。ところが、 逆 に 法 王掣 の 側卷 が 敗反 北勾 して しまった。 議 会 はウィクリフの 力 強勮 い 訴挰 えを 聞挈 いてわき 立 ち、 迫 害县 の 勅質 令傂 を 取勚 り 消拔 し、 改匳 革挙 者 はふたたび 自 由厩 にされた。 第匌 3 回 目 に、 彼 は、 国 家匝 の 最勞 高 宗儲 教卝 裁拍 判匯 所勰 で 裁拍 判匯 されることになった。ここは 異 端健 に 対 して 何挬 の 好捆 意勪 も 示単 されないところであった。ローマはついに、ここにおいて 勝 利匏 し、 改匳 革挙 者 の 活卹 動 は 中 断友 されるであろうと 法 王掣 側卷 は 考卛 えた。もし 彼 らが 目 的 を 達挾 成勱 しさえすれば、 ウィクリフは、その 教卝 義拣 を 放择 棄 するか、それとも 火 刑傃 の 宣傪 告卪 を 受匃 けて 法 廷腾 を 出 るかのどち らかであった。 しかしウィクリフは、 信勼 仰纝 を 放择 棄 せず、それを 隠僸 そうともしなかった。 彼 は、 恐傁 れる ことなく 自 分 の 教卝 えを 固 守捿 し、 迫 害县 者 たちの 攻 撃掐 を 退挖 けた。 彼 は、 自 分 のことも、 立 場 も、 場 所勰 も 忘脨 れて、 聴傏 衆 を 天拦 の 法 廷腾 に 集厦 め、 彼 らの 詭 弁 と 欺繏 瞞 を 永 遠 の 真卢 理 というはかりで 量挪 った。 聖脩 霊绳 の 力 が 法 廷腾 内 に 感厤 じられた。 聴傏 衆 は 神卡 に 魅纡 せられた。 彼 らはその 場 を 去掇 る 力 さ え 失拽 ったように 思卩 われた。 改匳 革挙 者 の 言匟 葉挺 は、 主勢 の 矢働 筒绠 からの 矢働 のように、 彼 らの 心升 を 射 た。 ウィクリフは、 彼 らが 彼 に 浴脓 びせていた 異 端健 の 告卪 訴挰 を、 強勮 い 説拿 得千 力 をもって 彼 らに 投匐 げか えした。 彼 らはなにゆえに、あえて 誤儶 謬 をひろめようとするのか、それは 利匏 益捍 のためなの か、 神卡 の 恵 みを 商叏 品厍 化 するためなのか、と 彼 は 問勬 うた。 彼 は 最勞 後 にこう 言匟 った。「あな たがたは、だれと 戦勛 っていると 思卩 っているのか。 今 にも 死拎 にそうな 老偽 人 とか。 否 ! 真卢 理 と 戦勛 っているのだ。あなたがたより 強勮 く、あなたがたに 打占 ち 勝 つ 真卢 理 となのだ。」 7 彼 は こう 言匟 って 法 廷腾 を 出 たが、 敵育 はだれ 1 人 としてそれを 止厙 めようとしなかった。 ウィクリフの 仕捸 事 は、ほとんど 終厖 了傒 した。 彼 が 長 い 間 掲傲 げてきた 真卢 理 の 旗充 は、まもな く 彼 の 手 から 落叉 ちようとしていた。しかしもう 1 度 、 彼 は 福厹 音 のためにあかしを 立 てるの であった。 真卢 理 は、 誤儶 謬 の 王掣 国 の、まさにその 本 拠 において 宣傪 言匟 されねばならなかった。 ウィクリフは 審拥 理 のために、ローマにある 法 王掣 庁厘 の 法 廷腾 に 召昨 喚 された。そこはこれまでに しばしば、 聖脩 徒傣 たちの 血傔 を 流及 したところであった。 彼 は 身拴 の 危捦 険叁 を 知半 らないわけではなか ったが、その 召昨 喚 に 応厸 じようとした。ところが 中 風掵 になって、 旅傯 行 することができなくな った。しかし、ローマにおいて 自 ら 語指 ることはできなくても、 手 紙 によって 語指 ることはで きた。 彼 はそうすることに 決 めた。 改匳 革挙 者 は 自 分 の 牧肧 師 館掎 から 法 王掣 に 手 紙 を 書危 いた。それ は、 敬肭 意勪 に 満掫 ちた 語指 調 とキリスト 教卝 の 精 神卡 にあふれていたが、 同 時 に 法 王掣 庁厘 の 豪僘 奢 と 誇縷 り とを 鋭繾 く 責掅 めたものであった。 彼 は 次卙 のように 言匟 った。「わたしは 自 分 の 信勼 じる 信勼 仰纝 を、すべての 人 、 特厣 にローマの 司 教卝 に 申捩 し 上 げることを 真卢 に 喜 びとするものである。わたしはこの 信勼 仰纝 を、 健掕 全 で 真卢 実 で 55

ている 数包 多匭 くの 悪捰 習 の 改匳 革挙 を 要勥 求卍 した。 強勮 い 説拿 得千 力 をもって、 彼 は 法 王掣 庁厘 の 侵兓 害县 と 腐纄 敗反 と<br />

を 描胦 き 出 した。 敵育 は 混 乱 に 陥肿 った。ウィクリフの 友掻 人 たちや 支匣 持匛 者 たちは、すでに 屈縿 服傕 さ<br />

せられていた。そして、 老偽 齢 のウィクリフ 自 身拴 も、ただ 1 人 で 援拶 助捉 者 もない 以匆 上 、 国 王掣 と<br />

法 王掣 の 合 同 権勻 力 の 前 に 屈縿 するものと 予匨 期勡 されていた。ところが、 逆 に 法 王掣 の 側卷 が 敗反 北勾 して<br />

しまった。 議 会 はウィクリフの 力 強勮 い 訴挰 えを 聞挈 いてわき 立 ち、 迫 害县 の 勅質 令傂 を 取勚 り 消拔 し、 改匳<br />

革挙 者 はふたたび 自 由厩 にされた。<br />

第匌 3 回 目 に、 彼 は、 国 家匝 の 最勞 高 宗儲 教卝 裁拍 判匯 所勰 で 裁拍 判匯 されることになった。ここは 異 端健 に<br />

対 して 何挬 の 好捆 意勪 も 示単 されないところであった。ローマはついに、ここにおいて 勝 利匏 し、 改匳<br />

革挙 者 の 活卹 動 は 中 断友 されるであろうと 法 王掣 側卷 は 考卛 えた。もし 彼 らが 目 的 を 達挾 成勱 しさえすれば、<br />

ウィクリフは、その 教卝 義拣 を 放择 棄 するか、それとも 火 刑傃 の 宣傪 告卪 を 受匃 けて 法 廷腾 を 出 るかのどち<br />

らかであった。<br />

しかしウィクリフは、 信勼 仰纝 を 放择 棄 せず、それを 隠僸 そうともしなかった。 彼 は、 恐傁 れる<br />

ことなく 自 分 の 教卝 えを 固 守捿 し、 迫 害县 者 たちの 攻 撃掐 を 退挖 けた。 彼 は、 自 分 のことも、 立 場 も、<br />

場 所勰 も 忘脨 れて、 聴傏 衆 を 天拦 の 法 廷腾 に 集厦 め、 彼 らの 詭 弁 と 欺繏 瞞 を 永 遠 の 真卢 理 というはかりで 量挪<br />

った。 聖脩 霊绳 の 力 が 法 廷腾 内 に 感厤 じられた。 聴傏 衆 は 神卡 に 魅纡 せられた。 彼 らはその 場 を 去掇 る 力 さ<br />

え 失拽 ったように 思卩 われた。 改匳 革挙 者 の 言匟 葉挺 は、 主勢 の 矢働 筒绠 からの 矢働 のように、 彼 らの 心升 を 射 た。<br />

ウィクリフは、 彼 らが 彼 に 浴脓 びせていた 異 端健 の 告卪 訴挰 を、 強勮 い 説拿 得千 力 をもって 彼 らに 投匐 げか<br />

えした。 彼 らはなにゆえに、あえて 誤儶 謬 をひろめようとするのか、それは 利匏 益捍 のためなの<br />

か、 神卡 の 恵 みを 商叏 品厍 化 するためなのか、と 彼 は 問勬 うた。 彼 は 最勞 後 にこう 言匟 った。「あな<br />

たがたは、だれと 戦勛 っていると 思卩 っているのか。 今 にも 死拎 にそうな 老偽 人 とか。 否 ! 真卢 理<br />

と 戦勛 っているのだ。あなたがたより 強勮 く、あなたがたに 打占 ち 勝 つ 真卢 理 となのだ。」 7 彼 は<br />

こう 言匟 って 法 廷腾 を 出 たが、 敵育 はだれ 1 人 としてそれを 止厙 めようとしなかった。<br />

ウィクリフの 仕捸 事 は、ほとんど 終厖 了傒 した。 彼 が 長 い 間 掲傲 げてきた 真卢 理 の 旗充 は、まもな<br />

く 彼 の 手 から 落叉 ちようとしていた。しかしもう 1 度 、 彼 は 福厹 音 のためにあかしを 立 てるの<br />

であった。 真卢 理 は、 誤儶 謬 の 王掣 国 の、まさにその 本 拠 において 宣傪 言匟 されねばならなかった。<br />

ウィクリフは 審拥 理 のために、ローマにある 法 王掣 庁厘 の 法 廷腾 に 召昨 喚 された。そこはこれまでに<br />

しばしば、 聖脩 徒傣 たちの 血傔 を 流及 したところであった。 彼 は 身拴 の 危捦 険叁 を 知半 らないわけではなか<br />

ったが、その 召昨 喚 に 応厸 じようとした。ところが 中 風掵 になって、 旅傯 行 することができなくな<br />

った。しかし、ローマにおいて 自 ら 語指 ることはできなくても、 手 紙 によって 語指 ることはで<br />

きた。 彼 はそうすることに 決 めた。 改匳 革挙 者 は 自 分 の 牧肧 師 館掎 から 法 王掣 に 手 紙 を 書危 いた。それ<br />

は、 敬肭 意勪 に 満掫 ちた 語指 調 とキリスト 教卝 の 精 神卡 にあふれていたが、 同 時 に 法 王掣 庁厘 の 豪僘 奢 と 誇縷 り<br />

とを 鋭繾 く 責掅 めたものであった。<br />

彼 は 次卙 のように 言匟 った。「わたしは 自 分 の 信勼 じる 信勼 仰纝 を、すべての 人 、 特厣 にローマの<br />

司 教卝 に 申捩 し 上 げることを 真卢 に 喜 びとするものである。わたしはこの 信勼 仰纝 を、 健掕 全 で 真卢 実 で<br />

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