諸国民のリヴァイアサン_
たの 間 でかしらになりたいと 思卩 う 者 は、 僕腔 とならねばならない」[マタイ 20:と 教卝 えられ たキリスト——の 柔肛 和匄 と 優历 しさとは、なんと 異 なっていることであろう。 時 代 が 進勺 むにつれて、 誤儶 った 教卝 義拣 がローマからやむことなく 送拡 り 出 されていった。 法 王掣 制勧 が 確卾 立 する 以匆 前 でさえ、 異 教卝 の 哲脼 学 者 たちの 教卝 えが 教卝 会 の 中 で 注挅 目 され、 影挼 響捳 を 与拜 え ていた。 改匳 宗儲 したという 人 々の 多匭 くは、 依傟 然掍 として 彼 らの 異 教卝 の 哲脼 学 の 教卝 えに 執儨 着挄 し、そ れを 自 分 で 研挣 究捨 するばかりでなく、 異 教卝 徒傣 の 中 で 勢厕 力 を 広南 げる 手 段掀 として、 他 の 人 々にも それを 勧僊 めた。こうして 重匤 大 な 誤儶 りがキリスト 教卝 信勼 仰纝 の 中 にもちこまれた。それらのうち で 特厣 に 目 立 つものは、 人 間 は 生 来勵 不勘 死拎 であって、 死拎 んでも 意勪 識掟 があるという 信勼 仰纝 であった。 この 教卝 義拣 を 基匼 礎脔 にして、ローマ 教卝 会 は、 諸 聖脩 人 に 祈绗 りをささげることや、 聖脩 母 マリヤを 崇暒 拝旟 することを 確卾 立 した。また 早拱 くから 法 王掣 教卝 の 中 に 織掼 りこまれていたところの、 最勞 後 まで 悔繛 い 改匳 めない 者 は 永 遠 の 責掅 苦 にあうという 異 端健 的 な 教卝 えも、ここから 起招 こったのであ る。 これに 伴僀 ってもう 1 つ 異 教卝 のつくりごとが 取勚 り 入 れられることになった。ローマ 教卝 会 はそれを 煉 獄晳 と 呼 び、だまされやすく 迷偧 信勼 的 な 民 衆 を 脅肺 すのに 用 いた。この 異 端健 的 な 教卝 え によれば、 永 遠 の 滅脛 びを 受匃 けるほどでない 魂 がその 罪 の 罰脖 を 受匃 けるべき 苦 しみの 場 所勰 が 存掑 在厪 し、そこで 不勘 純儻 な 状叔 態拟 から 清捲 められた 時 天拦 国 に 入 ることを 許 される、というのであ る。 ローマ 教卝 会 が、その 信勼 者 たちの 恐傁 怖繍 と 悪捰 行 とを 利匏 用 して 益捍 を 得千 るためには、さらにも う 1 つのつくりごとが、 必厧 要勥 であった。この 必厧 要勥 は、 免僧 罪 の 教卝 義拣 によって 満掫 たされた。 法 王掣 の 戦勛 い—— 世匒 俗晐 的 な 主勢 権勻 を 拡 大 し、 敵育 を 懲腘 らしめ、 法 王掣 の 霊绳 的 至儖 上 権勻 を 否 定 する 者 たち を 撲儹 滅脛 するための 戦勛 い——に 参厴 加匎 するすべての 者 に、 過厢 去掇 ・ 現勶 在厪 ・ 未 来勵 の 罪 の 完 全 な 赦费 免僧 と、 受匃 けるべきすべての 苦 痛僎 と 罰脖 の 免僧 除揄 が 約 束僓 された。また、 教卝 会 に 金 を 払掾 うことによ って 罪 から 解卆 放择 されること、そしてまた、 苦 しみの 火 の 中 にいる 死拎 んだ 友掻 人 たちの 魂 をも 解卆 放择 することができること、これらのことを 人 々は 教卝 えられた。このような 方 法 によって、 ローマ 教卝 会 はその 懐斺 を 肥儺 やし、キリスト——まくらする 所勰 さえ 持匛 たれなかったお 方 ——の 代 表勖 者 と 称胃 する 者 の 豪僘 華兛 とぜいたくと 悪捰 徳 とを 支匣 えたのであった。 聖脩 書危 的 礼脊 典胟 である 主勢 の 晩纽 餐 は、ミサという 偶旦 像僕 崇暒 拝旟 的 犠腻 牲繉 にとって 代 わられた。カト リックの 司 祭脫 たちは、その 無叄 意勪 味控 な 儀腝 式厚 によって、ただのパンとぶどう 酒儀 を 実 際匶 の「キリ ストの 体 と 血傔 」に 変厭 えると 主勢 張挗 した。 1 彼 らは、 神卡 を 汚儢 す 僣 越掳 さをもって、 万勦 物匵 の 創傦 造挝 主勢 であられる 神卡 を 創傦 造挝 する 力 があると 公勗 言匟 した。キリスト 者 たちはこの 恐傁 ろしい 神卡 的 邪旇 説拿 を 信勼 じるように 要勥 求卍 され、さもないと 死拎 刑傃 に 処叀 せられるのであった。これを 拒兘 んだために 火 刑傃 に 処叀 せられた 者 が 無叄 数包 にあった。 34
13 世匒 紀 に、 法 王掣 制勧 の 機務 関 中 で 最勞 も 恐傁 ろしいもの、すなわち 宗儲 教卝 裁拍 判匯 所勰 [ 異 端健 審拥 問勬 所勰 ]が 設勳 けられた。 暗肨 黒 の 君 は、 法 王掣 制勧 の 指匦 導拗 者 たちと 共厗 に 働掴 いた。 彼 らの 秘兕 密偾 会 議 においてサ タンとその 天拦 使却 たちが、 悪捰 人 たちの 心升 を 支匣 配括 した。しかしそれと 同 時 に、 人 の 目 にこそ 見 えなかったが、 神卡 の 天拦 使却 がそのただ 中 に 立 ち、 彼 らの 不勘 法 な 命挻 令傂 の 恐傁 るべき 記卌 録捎 をとり、 とうてい 人 間 の 目 が 見 るに 耐脾 えない 恐傁 ろしい 行 為 の 記卌 録捎 を 記卌 していたのであった。「 大 い なるバビロン」は「 聖脩 徒傣 の 血傔 に 酔绷 いしれた」。 無叄 数包 の 殉程 教卝 者 たちの 寸绣 断友 された 体 は、この 背 信勼 した 権勻 力 に 対 する 神卡 のふくしゅうを 叫经 び 求卍 めた。 法 王掣 教卝 は 世匒 界化 の 専掭 制勧 君 主勢 となった。 王掣 も 皇 帝胰 もローマ 法 王掣 の 命挻 令傂 に 服傕 した。 人 々の 運卞 命挻 は、 現勶 世匒 のものも 来勵 世匒 のものも、 彼 の 支匣 配括 下 にあるように 思卩 われた。 数包 百掸 年 にわたって ローマの 教卝 義拣 は、 絶傉 対 的 なものとして 広南 く 受匃 け 入 れられ、その 儀腝 式厚 は 厳 粛施 にとり 行 われ、 その 祝腛 祭脫 はあまねく 遵穒 奉旊 された。 聖脩 職厯 者 たちは 尊胛 敬肭 され、 豊掿 かにささえられた。この 時 ほ ど、ローマ 教卝 会 が 大 きな 威胙 厳 と 壮昂 大 さと 権勻 力 を 誇縷 った 時 代 はなかった。 = しかし、「 法 王掣 制勧 の 真卢 昼腮 は、 世匒 界化 の 真卢 夜 中 であった。」 2 聖脩 書危 は、 民 衆 だけでなく、 司 祭脫 たちにさえほ とんど 知半 られていなかった。 昔繕 のパリサイ 人 たちと 同 様捞 に、 法 王掣 教卝 の 指匦 導拗 者 たちは、 彼 ら の 罪 を 明 らかにする 光捄 を 憎 んだ。 義拣 の 標 準厜 である 神卡 の 律傢 法 を 放择 棄 してしまったので、 彼 ら は 無叄 制勧 限拘 に 権勻 力 を 行 使却 し、 自 由厩 に 悪捰 事 を 働掴 いた。 詐縱 欺繏 、 貧縏 欲僼 、 放择 とうが 広南 く 行 われた。 人 々は、 富挛 と 地 位匱 を 得千 るためにはどんな 罪 でも 犯 した。 法 王掣 や 高 位匱 聖脩 職厯 者 たちの 宮厳 殿脟 は、 最勞 も 罪 深捫 い 放择 とうの 現勶 場 であった。 何挬 人 かの 法 王掣 た ちはあまりにも 非 道匠 な 犯 罪 を 犯 したために、 世匒 俗晐 の 支匣 配括 者 たちが 彼 らを、 赦费 すことのでき ない 極掄 悪捰 な 人 物匵 としてその 地 位匱 から 退挖 かせようとしたほどであった。ヨーロッパは、 幾继 世匒 紀 もの 間 、 学 問勬 、 芸備 術挘 、また 文卽 化 の 面卥 で 何挬 の 進勺 歩 もなかった。キリスト 教卝 世匒 界化 は、 道匠 徳 的 、 知半 的 マヒ 状叔 態拟 に 陥肿 っていた。 ローマ 教卝 会 の 権勻 力 下 にあった 世匒 界化 の 状叔 態拟 は、 預 言匟 者 ホセア の 言匟 葉挺 の 恐傁 ろしくも 的 確卾 な 成勱 就 である。「わたしの 民 は 知半 識掟 がないために 滅脛 ぼされる。あ なたは 知半 識掟 を 捨腇 てたゆえに、わたしもあなたを 捨腇 て、……あなたはあなたの 神卡 の 律傢 法 を 忘脨 れたゆえに、わたしもまたあなたの 子 らを 忘脨 れる」「この 地 には 真卢 実 がなく、 愛 情午 がなく、 また 神卡 を 知半 ることもないからである。ただのろいと、 偽兖 りと、 人 殺掮 しと、 盗僌 みと、 姦贊 淫 す ることのみで、 人 々は 皆脰 荒僚 れ 狂旆 い、 殺掮 害县 に 殺掮 害县 が 続勸 いている」[ホセア 4:6、1、。これ が 神卡 の 言匟 葉挺 を 捨腇 てた 結医 果卵 であった。 35
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13 世匒 紀 に、 法 王掣 制勧 の 機務 関 中 で 最勞 も 恐傁 ろしいもの、すなわち 宗儲 教卝 裁拍 判匯 所勰 [ 異 端健 審拥 問勬 所勰 ]が<br />
設勳 けられた。 暗肨 黒 の 君 は、 法 王掣 制勧 の 指匦 導拗 者 たちと 共厗 に 働掴 いた。 彼 らの 秘兕 密偾 会 議 においてサ<br />
タンとその 天拦 使却 たちが、 悪捰 人 たちの 心升 を 支匣 配括 した。しかしそれと 同 時 に、 人 の 目 にこそ 見<br />
えなかったが、 神卡 の 天拦 使却 がそのただ 中 に 立 ち、 彼 らの 不勘 法 な 命挻 令傂 の 恐傁 るべき 記卌 録捎 をとり、<br />
とうてい 人 間 の 目 が 見 るに 耐脾 えない 恐傁 ろしい 行 為 の 記卌 録捎 を 記卌 していたのであった。「 大 い<br />
なるバビロン」は「 聖脩 徒傣 の 血傔 に 酔绷 いしれた」。 無叄 数包 の 殉程 教卝 者 たちの 寸绣 断友 された 体 は、この<br />
背 信勼 した 権勻 力 に 対 する 神卡 のふくしゅうを 叫经 び 求卍 めた。<br />
法 王掣 教卝 は 世匒 界化 の 専掭 制勧 君 主勢 となった。 王掣 も 皇 帝胰 もローマ 法 王掣 の 命挻 令傂 に 服傕 した。 人 々の 運卞<br />
命挻 は、 現勶 世匒 のものも 来勵 世匒 のものも、 彼 の 支匣 配括 下 にあるように 思卩 われた。 数包 百掸 年 にわたって<br />
ローマの 教卝 義拣 は、 絶傉 対 的 なものとして 広南 く 受匃 け 入 れられ、その 儀腝 式厚 は 厳 粛施 にとり 行 われ、<br />
その 祝腛 祭脫 はあまねく 遵穒 奉旊 された。 聖脩 職厯 者 たちは 尊胛 敬肭 され、 豊掿 かにささえられた。この 時 ほ<br />
ど、ローマ 教卝 会 が 大 きな 威胙 厳 と 壮昂 大 さと 権勻 力 を 誇縷 った 時 代 はなかった。 = しかし、「 法<br />
王掣 制勧 の 真卢 昼腮 は、 世匒 界化 の 真卢 夜 中 であった。」 2 聖脩 書危 は、 民 衆 だけでなく、 司 祭脫 たちにさえほ<br />
とんど 知半 られていなかった。 昔繕 のパリサイ 人 たちと 同 様捞 に、 法 王掣 教卝 の 指匦 導拗 者 たちは、 彼 ら<br />
の 罪 を 明 らかにする 光捄 を 憎 んだ。 義拣 の 標 準厜 である 神卡 の 律傢 法 を 放择 棄 してしまったので、 彼 ら<br />
は 無叄 制勧 限拘 に 権勻 力 を 行 使却 し、 自 由厩 に 悪捰 事 を 働掴 いた。 詐縱 欺繏 、 貧縏 欲僼 、 放择 とうが 広南 く 行 われた。 人<br />
々は、 富挛 と 地 位匱 を 得千 るためにはどんな 罪 でも 犯 した。<br />
法 王掣 や 高 位匱 聖脩 職厯 者 たちの 宮厳 殿脟 は、 最勞 も 罪 深捫 い 放择 とうの 現勶 場 であった。 何挬 人 かの 法 王掣 た<br />
ちはあまりにも 非 道匠 な 犯 罪 を 犯 したために、 世匒 俗晐 の 支匣 配括 者 たちが 彼 らを、 赦费 すことのでき<br />
ない 極掄 悪捰 な 人 物匵 としてその 地 位匱 から 退挖 かせようとしたほどであった。ヨーロッパは、 幾继 世匒<br />
紀 もの 間 、 学 問勬 、 芸備 術挘 、また 文卽 化 の 面卥 で 何挬 の 進勺 歩 もなかった。キリスト 教卝 世匒 界化 は、 道匠 徳 的 、<br />
知半 的 マヒ 状叔 態拟 に 陥肿 っていた。 ローマ 教卝 会 の 権勻 力 下 にあった 世匒 界化 の 状叔 態拟 は、 預 言匟 者 ホセア<br />
の 言匟 葉挺 の 恐傁 ろしくも 的 確卾 な 成勱 就 である。「わたしの 民 は 知半 識掟 がないために 滅脛 ぼされる。あ<br />
なたは 知半 識掟 を 捨腇 てたゆえに、わたしもあなたを 捨腇 て、……あなたはあなたの 神卡 の 律傢 法 を 忘脨<br />
れたゆえに、わたしもまたあなたの 子 らを 忘脨 れる」「この 地 には 真卢 実 がなく、 愛 情午 がなく、<br />
また 神卡 を 知半 ることもないからである。ただのろいと、 偽兖 りと、 人 殺掮 しと、 盗僌 みと、 姦贊 淫 す<br />
ることのみで、 人 々は 皆脰 荒僚 れ 狂旆 い、 殺掮 害县 に 殺掮 害县 が 続勸 いている」[ホセア 4:6、1、。これ<br />
が 神卡 の 言匟 葉挺 を 捨腇 てた 結医 果卵 であった。<br />
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