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諸国民のリヴァイアサン_

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「 正匁 しい 宗儲 教卝 は、 世匒 俗晐 の 君 主勢 からではなく、ただ 永 遠 の 神卡 から、その 本 来勵 の 力 と 権勻 威胙<br />

を 受匃 けています。それゆえに、 国 民 は、 君 主勢 の 嗜 好捆 のままに 宗儲 教卝 を 定 める 必厧 要勥 はありませ<br />

ん。なぜなら、 君 主勢 は 他 のだれよりも、 神卡 の 真卢 の 宗儲 教卝 について 無叄 知半 なことがあるからで<br />

す。……もしアブラハムの 子 孫繜 がみな、 彼 らの 長 く 隷趵 属傍 していたパロの 宗儲 教卝 を 続勸 けていた<br />

ならば、 世匒 界化 には、どんな 宗儲 教卝 が 出 現勶 していたことでしょうか。あるいは、 使却 徒傣 時 代 の 人<br />

々がみな、ローマ 皇 帝胰 の 宗儲 教卝 を 信勼 じていたならば、この 地 上 には、どんな 宗儲 教卝 が 起招 きたこ<br />

とでしょうか。……それゆえ、 女匩 王掣 よ、 国 民 は 君 主勢 に 服傕 従 すべきではありますが、 宗儲 教卝 に<br />

関 しては、 君 主勢 に 縛旸 られるべきではないということが、おわかりになるでしょう。」<br />

メァリ 女匩 王掣 は 言匟 った。「おまえが 聖脩 書危 をこういう 意勪 味控 に 解卆 釈脂 すれば、 彼 ら〔ローマ・<br />

カトリックの 教卝 師 たち〕は 別厌 の 解卆 釈脂 をする。わたしは、だれを 信勼 じたらよいのか、だれが<br />

裁拍 判匯 官厑 になるのか。」 改匳 革挙 者 は 答掬 えた。「 聖脩 書危 によって 明 瞭 に 語指 られる 神卡 を 信勼 じればよ<br />

いのです。そして、み 言匟 葉挺 が 教卝 える 以匆 外勭 のものは、これもあれも 信勼 じなくてよいのです。<br />

神卡 の 言匟 葉挺 は、それ 自 体 明 瞭 です。もしどこかに 不勘 明 瞭 なところがあれば、ご 自 身拴 に 矛旁 盾绮 す<br />

ることのない 聖脩 霊绳 が、それを 他 の 場 所勰 において 明 らかに 説拿 き 明 かしてくださいます。それ<br />

ですから、かたくなに 知半 ろうとしない 者 を 除揄 いては、なんの 疑卧 惑 も 残拑 りえないのです。」<br />

8 恐傁 れを 知半 らぬ 改匳 革挙 者 は、 自 分 の 生 命挻 の 危捦 険叁 も 顧僖 みず、 女匩 王掣 の 前 で、このような 真卢 理 を 語指<br />

った。 彼 は、この 同 じひるむことのない 勇腅 気勴 をもって、 目 的 に 向匇 かって 進勺 み、ついにスコ<br />

ットランドが 法 王掣 権勻 から 解卆 放择 されるまで、 祈绗 りつつ 主勢 の 戦勛 いを 戦勛 った。<br />

イングランドでは、プロテスタント 主勢 義拣 が 国 教卝 になったので、 迫 害县 は 減匬 ったけれども、<br />

全 くやんだわけではなかった。ローマの 教卝 義拣 が 多匭 く 破挐 棄 されたけれども、 形捊 式厚 は 少厮 なから<br />

ず 残拑 っていた。 法 王掣 の 至儖 上 権勻 は 拒兘 否 されたけれども、その 代 わりに、 国 王掣 が 教卝 会 の 頭挓 の 座<br />

を 占 めた。 教卝 会 の 礼脊 拝旟 は、 福厹 音 の 純儻 粋暋 さと 単 純儻 さとからまだ 遠 く 離掤 れていた。 宗儲 教卝 の 自<br />

由厩 という 大 原募 則 も、まだ 理 解卆 されていなかった。プロテスタントの 国 王掣 たちは、ローマが<br />

異 端健 に 対 して 用 いた 恐傁 ろしい 残拑 酷昰 行 為 は 行 わなかったが、おのおのが 自 分 の 良拖 心升 に 従 って<br />

神卡 を 礼脊 拝旟 する 権勻 利匏 は 認卉 めていなかった。すべての 者 は、 国 教卝 会 が 規厶 定 した 教卝 理 を 受匃 け 入 れ、<br />

礼脊 拝旟 の 形捊 式厚 を 守捿 らなければならなかった。 国 教卝 反卬 対 者 は、 幾继 百掸 年 にわたって、 程损 度 の 差挽 こ<br />

そあれ 迫 害县 に 苦 しんだ。<br />

17 世匒 紀 には、 幾继 千収 という 牧肧 師 がその 地 位匱 を 追挵 われた。 人 々は、 教卝 会 が 承偢 認卉 したもの 以匆<br />

外勭 のどんな 宗儲 教卝 的 集厦 会 に 出 席 することをも 禁 じられ、 違挆 反卬 する 者 は 重匤 い 罰脖 金 、 投匐 獄晳 、 追挵 放择<br />

にあわねばならなかった。そこで、 神卡 を 礼脊 拝旟 するために 集厦 まらずにはおれない 忠儮 実 な 人 々<br />

は、やむをえず、 暗肨 い 路挢 地 、 薄儱 暗肨 い 屋厡 根捏 裏傈 、またある 季 節儊 には、 夜 中 に 森捒 に 集厦 まった。 神卡<br />

ご 自 身拴 がお 建厼 てになった 神卡 殿脟 である 森捒 の 奥傱 深捫 くに、これらの 散偶 らされ 迫 害县 された 主勢 の 子 供挿<br />

たちは 集厦 まり、 魂 を 注挅 ぎ 出 して 祈绗 り、 神卡 を 賛僮 美捜 した。このように 用 心升 深捫 くしていてもなお、<br />

信勼 仰纝 のために 苦 しむ 者 が 多匭 かった。 牢 獄晳 はあふれた。 家匝 族 は 離掤 散偶 した。 外勭 国 に 追挵 放择 された<br />

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