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諸国民のリヴァイアサン_

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なったために 失拽 望捬 したが、スイスにおける 福厹 音 の 進勺 展捯 をみて、 勇腅 気勴 を 取勚 りもどした。チュ<br />

ーリヒにおいて 宗儲 教卝 改匳 革挙 が 確卾 立 した 時 、その 結医 果卵 は、 悪捰 徳 の 鎮昼 圧 と、 秩膈 序胺 と 調 和匄 の 促傌 進勺 と<br />

なって 著兆 しくあらわれた。「 平匊 和匄 がわれわれの 都匙 市 に 宿 っている。 言匟 論厱 、 偽兖 善 、しっと、<br />

争拫 闘 はない。 主勢 とわれわれの 教卝 義拣 を 除揄 いてほかのどこからこのような 一 致 が 与拜 えられるで<br />

あろうか。これは、われわれを 平匊 和匄 と 敬肭 虔 の 実 で 満掫 たすのである。」 17<br />

宗儲 教卝 改匳 革挙 が 勝 利匏 を 収厓 めたので、 法 王掣 派挩 はますます 堅儕 い 決 意勪 をもって、その 撲儹 滅脛 を 謀纠 る<br />

ようになった、 彼 らはドイツにおいて、ルターの 運卞 動 を 迫 害县 によってはさほど 鎮昼 圧 するこ<br />

とができなかったのを 見 て、 改匳 革挙 それ 自 身拴 の 武叇 器捙 によって 改匳 革挙 を 迎 え 撃掐 とうとした。 彼 ら<br />

は、ツウィングリと 討挎 論厱 を 行 う 手 はずを 定 め、ただその 場 所勰 だけでなくて、 討挎 論厱 の 審拥 査匀 員<br />

も 自 分 たちで 決 めて、 必厧 勝 を 期勡 した。 そして 彼 らは、ひとたびツウィングリを 自 分 たち<br />

の 手 中 に 入 れてしまえば、 彼 を 逃偹 さないようにしようとしていた。 指匦 導拗 者 を 沈腉 黙縹 させるな<br />

らば、 運卞 動 は 速捠 やかに 弾傆 圧 することができるのであった。しかし、この 計匧 画厐 は、 極掄 秘兕 のう<br />

ちに 行 われていた。 討挎 論厱 は、バーデンで 行 われることに 決 まった。しかし、ツウィングリ<br />

は 現勶 れなかった。チューリヒの 議 会 は、 法 王掣 派挩 の 策北 略傎 に 気勴 づくとともに、 法 王掣 派挩 の 州拰 にお<br />

いて 福厹 音 を 信勼 じた 者 たちが 火 刑傃 に 処叀 せられたことに 危捦 険叁 を 感厤 じ、 彼 らの 牧肧 師 がこうした 危捦<br />

険叁 に 身拴 をさらすことを 禁 じたのである。 彼 は、チューリヒにおいてならば、ローマが 派挩 遣傛<br />

するすべての 法 [ 三勫 派挩 と 会 見 するつもりであった。しかし、 真卢 理 のための 殉程 教卝 者 の 血傔 が 流及<br />

されたばかりのバーデンへ 行 くことは、 明 らかに 死拎 にに 行 くことであった。そこで、エコ<br />

ランパデウスとハラーが 改匳 革挙 派挩 の 代 表勖 として 選 ばれた。 一 方 、 有卻 名匷 なエック 博 士厨 が、 博 学<br />

な 学 者 や 司 教卝 たちの 支匣 援拶 を 受匃 けて、ローマを 代 表勖 することになった。<br />

ツウィングリは 会 議 に 出 席 していなかったが、 彼 の 感厤 化 はそこに 及 んでいた。 書危 記卌 は<br />

みな 法 王掣 派挩 によって 選 ばれ、 他 の 者 は 筆僜 記卌 することを 禁 じられて、それを 犯 すと 死拎 刑傃 であ<br />

った。それにもかかわらず、ツウィングリはバーデンで 論厱 じられたことを 毎傭 日 詳肠 しく 知半 ら<br />

された。 討挎 論厱 に 出 席 していた 学 生 が、 毎傭 晩纽 その 日 の 議 論厱 を 記卌 録捎 した。この 記卌 録捎 を、 他 の 2<br />

人 の 学 生 が、エコランパデウスの 毎傭 日 の 手 紙 とともに、チューリヒのツウィングリのとこ<br />

ろに 届僪 けた。ツウィングリはそれに 答掬 えて、 助捉 言匟 や 指匦 示単 を 与拜 えた。 彼 の 手 紙 は 夜 書危 かれ、<br />

学 生 たちは、 朝厁 それを 携掠 えてバーデンにもどってきた。 町 の 門挋 番挤 の 目 を 逃偹 れるために、 使却<br />

者 たちは 頭挓 に 鶏晰 のかごを 乗拳 せ、 何挬 のさまたげも 受匃 けずに 行 き 来勵 できた。 こうしてツウィ<br />

ングリは、 狡焛 猾焨 な 敵育 との 戦勛 いに 当勠 たることができた。「 彼 は、 瞑 想挹 、 眠縔 らぬ 夜 、また、バ<br />

ーブンに 送拡 った 助捉 言匟 によって、 敵育 たちの 間 で 自 分 が 討挎 論厱 するより、もっと 多匭 くのことを 行<br />

った」とミコニウスは 言匟 っている。 18<br />

ローマ 側卷 の 人 々は、 勝 利匏 を 見 越掳 して、 宝肮 石厈 をちりば めた 美捜 服傕 をまとって 意勪 気勴 揚胚 々とバ<br />

ーデンに 乗拳 り 込匸 んでいた。 彼 らの 食挱 卓繮 には、ぜいたくのかぎりを 尽能 くした 美捜 食挱 と 最勞 高 の 酒儀<br />

が 豊掿 富挛 に 並 べられていた。 彼 らは、こうして 陽傘 気勴 な 歓脒 楽掱 にふけって、 彼 らの 聖脩 職厯 者 として<br />

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