for Excellence in a Country without NPPs-

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『 広 島 平 和 科 学 』37 (2015) pp. 95-111 ISSN0386-3565 Hiroshima Peace Science 37 (2015) ノルウェーにおける OECD/NEA ハルデン 計 画 ― 非 原 発 国 の 多 国 間 原 子 力 研 究 拠 点 の 形 成 に 関 する 一 考 察 ― 友 次 晋 介 広 島 大 学 平 和 科 学 研 究 センター OECD/NEA Halden Reactor Project in Norway -A Study of Establishment of a Multinational Nuclear Center for Excellence in a Country without NPPs- Shinsuke TOMOTSUGU Institute for Peace Science, Hiroshima University Abstract In the 1970s, there was political consensus in Norway on not promoting nuclear energy. Despite this, the Norwegian government continues to maintain a multinational nuclear research and development program called the “Halden Reactor Project,” which was developed toward the end of the 1950s. The diversification of nuclear research and development activities after the 1970s made it possible for the OECD countries to participate in the Halden Reactor project whenever they wanted and based on their own interests. In the late 1970s, when the Norwegian government decided not to introduce nuclear power as the national base load of electricity in the near future, or rather because of the Norwegian decision not to introduce nuclear power, the Halden Research Project became a useful avenue for Norwegians to maintain nuclear technology without having nuclear power plants. - 95 - | 95 |

『 広 島 平 和 科 学 』37 (2015) pp. 95-111 ISSN0386-3565<br />

Hiroshima Peace Science 37 (2015)<br />

ノルウェーにおける OECD/NEA ハルデン 計 画<br />

― 非 原 発 国 の 多 国 間 原 子 力 研 究 拠 点 の 形 成 に 関 する 一 考 察 ―<br />

友 次 晋 介<br />

広 島 大 学 平 和 科 学 研 究 センター<br />

OECD/NEA Halden Reactor Project <strong>in</strong> Norway<br />

-A Study of Establishment of a Mult<strong>in</strong>ational Nuclear Center<br />

<strong>for</strong> <strong>Excellence</strong> <strong>in</strong> a <strong>Country</strong> <strong>without</strong> <strong>NPPs</strong>-<br />

Sh<strong>in</strong>suke TOMOTSUGU<br />

Institute <strong>for</strong> Peace Science, Hiroshima University<br />

Abstract<br />

In the 1970s, there was political consensus <strong>in</strong> Norway on not promot<strong>in</strong>g nuclear<br />

energy. Despite this, the Norwegian government cont<strong>in</strong>ues to ma<strong>in</strong>ta<strong>in</strong> a mult<strong>in</strong>ational<br />

nuclear research and development program called the “Halden Reactor Project,” which was<br />

developed toward the end of the 1950s. The diversification of nuclear research and<br />

development activities after the 1970s made it possible <strong>for</strong> the OECD countries to<br />

participate <strong>in</strong> the Halden Reactor project whenever they wanted and based on their own<br />

<strong>in</strong>terests. In the late 1970s, when the Norwegian government decided not to <strong>in</strong>troduce<br />

nuclear power as the national base load of electricity <strong>in</strong> the near future, or rather because<br />

of the Norwegian decision not to <strong>in</strong>troduce nuclear power, the Halden Research Project<br />

became a useful avenue <strong>for</strong> Norwegians to ma<strong>in</strong>ta<strong>in</strong> nuclear technology <strong>without</strong> hav<strong>in</strong>g<br />

nuclear power plants.<br />

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1. はじめに<br />

義 務 履 行 の 一 つとして 取 りまとめた 国 別 報 告 書<br />

(『 原 子 力 安 全 条 約 の 履 行 ― 第 5 条 による 第 2 次<br />

ノルウェーでは、 同 国 エストフォル 県 ハルデン<br />

(Halden)の 岩 山 の 地 中 に 建 設 された 重 水 炉 ( 重<br />

水 沸 騰 水 型 炉 :HBWR、 熱 出 力 2 万 kW)を 中 心<br />

とした 施 設 で、 多 国 間 の 原 子 力 研 究 開 発 プロジェ<br />

クト「ハルデン 計 画 」が 1958 年 から 長 年 にわた<br />

って 実 施 されている 1 。 同 計 画 では、 発 足 当 初 、 主<br />

に 原 子 炉 計 装 と 燃 料 試 験 が 行 われていたが、<br />

1983 年 には「 人 間 ・ 機 械 実 験 所 (HAMMLAB:<br />

Halden Man-Mach<strong>in</strong>e Laboratory)」が 開 所 し、<br />

原 子 力 施 設 における 人 間 と 機 械 のインターフェ<br />

イスに 関 する 研 究 も 実 施 されている。<br />

アメリカのドワイト・D・アイゼンハワー<br />

(Dwight D. Eisenhower) 大 統 領 が「 平 和 のた<br />

めの 原 子 [ 力 ]」(Atoms <strong>for</strong> Peace) 演 説 を 行 っ<br />

た 1950 年 代 から 福 島 第 一 原 子 力 発 電 所 の 過 酷 事<br />

故 が 発 生 した 2011 年 、そして 現 在 に 至 るまで、<br />

ハルデン 計 画 は 複 数 の 国 が 参 加 し 共 通 の 施 設 群<br />

を 用 いて 実 施 する 原 子 力 研 究 開 発 の 多 国 間 枠 組<br />

みとしては 最 長 のものの 一 つである。 原 子 力 の 民<br />

生 利 用 を 陰 ながら 支 えてきた 事 実 上 の「 国 際 機 関 」<br />

である。<br />

しかし、 原 子 力 発 電 が 行 われていないノルウェ<br />

ーにおいて、なぜこのような 国 際 的 な「 計 画 」が<br />

着 手 され、また 半 世 紀 以 上 という 長 期 に 渡 って 維<br />

持 されていったのだろうか。 本 稿 では、この 問 題<br />

をめぐる 国 内 外 の 歴 史 的 な 経 緯 について 検 討 し<br />

たい。ハルデン 計 画 に 関 する 先 行 研 究 は 多 くはな<br />

いが、 最 も 包 括 的 なガイドとしては、 同 計 画 の 現<br />

在 のホスト 機 関 であるノルウェーのエネルギー<br />

技 術 研 究 所 (IFE)が 取 りまとめた『 安 全 研 究 の<br />

50 年 ハルデン 炉 計 画 :1958-2008』 2 、『シミュ<br />

レーションに 基 づくヒューマンファクター 研 究<br />

25 年 ―ハルデン 人 間 ・ 機 械 実 験 所 の 25 年 ―』 3<br />

ノルウェー 国 別 報 告 書 』 4 などが 挙 げられる。ま<br />

た、ノルウェーの 原 子 力 研 究 開 発 の 黎 明 期 につい<br />

ては、ローラント・ヴィッティエ(Roland Wittje)、<br />

アストリッド・フォーランド(Astrid Forland)、<br />

JM ヴァン・スプランター(J.M. van Splunter)<br />

の 研 究 が 詳 しい 5 。<br />

ただ IFE やノルウェー 政 府 が 取 りまとめた 公<br />

式 の 通 史 は 貴 重 ではあるが、ハルデン 計 画 をめぐ<br />

って 起 きた 事 象 を 表 面 的 には 跡 付 けてはいるも<br />

のの、 政 治 的 な 背 景 の 分 析 については 十 分 踏 み 込<br />

んでいるわけではない。また、ヴィッティエ、フ<br />

ォーランド、スプランターによる 研 究 も、ハルデ<br />

ン 計 画 がなぜ 発 足 したのかを 知 る 有 力 な 手 掛 か<br />

りを 提 供 してはいるが、そもそもの 研 究 の 主 眼 は<br />

それぞれに 異 なっている。すなわち、ヴィッティ<br />

エはノルウェーの 戦 前 戦 後 の 科 学 者 と 原 子 力 研<br />

究 開 発 の 黎 明 期 の 発 展 の 相 関 について、フォーラ<br />

ンドはノルウェーの 原 子 力 研 究 と 核 軍 縮 ・ 不 拡 散<br />

政 策 の 展 開 について、また、スプランターはノル<br />

ウェーとオランダの 原 子 力 協 力 について 詳 細 に<br />

取 り 扱 ったものである。ハルデン 計 画 に 焦 点 を 絞<br />

って、 同 計 画 の 位 置 づけが 国 内 外 の 環 境 要 因 によ<br />

ってどう 変 容 してきたのか 通 史 的 に 検 討 したも<br />

のは 管 見 の 限 り 存 在 しない。しかし、このような<br />

検 討 は、 先 進 工 業 国 の 原 子 力 民 生 利 用 を 支 えてき<br />

た 国 際 研 究 拠 点 の 形 成 過 程 と 変 容 について 明 ら<br />

かにするうえで 重 要 であろう。<br />

そこで 以 下 では、 上 述 の 先 行 研 究 に 加 え、 各 種<br />

の 報 道 、 産 業 誌 等 からハルデン 計 画 をめぐる 事 実<br />

関 係 を 状 況 証 拠 として 再 整 理 しつつ、 一 次 史 料 も<br />

利 用 し、 同 計 画 がいかにして 生 まれ、 存 続 し、 位<br />

置 づけられ、 発 展 してきたのか、 国 内 外 の 政 治 状<br />

況 と 照 合 しながらその 要 因 について 考 察 する。<br />

や、ノルウェー 政 府 が 原 子 力 安 全 条 約 の 締 約 国 の<br />

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2. ノルウェーの 原 子 力 研 究 開 発 とパートナー 国<br />

の 選 択 の 問 題<br />

ダースは 原 子 力 の 実 用 面 での 潜 在 性 を 高 く 評 価<br />

していた。<br />

原 子 力 の 技 術 を 実 装 させるには 潤 沢 な 資 金 が<br />

(1) 原 子 力 研 究 所 (IFA)の 発 足 と 原 子 力 合 同 機<br />

構 (JENER)の 経 験<br />

ノルウェーが 発 電 ・ 産 業 利 用 を 視 野 に 入 れて 原<br />

子 力 研 究 開 発 に 着 手 したのは、 戦 時 中 ロンドンに<br />

亡 命 していた 天 体 物 理 学 者 のガンナー・ランダー<br />

ス(Gunnar Randers)の 個 人 的 な 資 質 によると<br />

ころが 大 きい。 水 力 資 源 が 豊 富 にあり、エネルギ<br />

ー 源 をただちに 原 子 力 に 求 める 必 然 性 のなかっ<br />

たノルウェーだが、 原 子 炉 の 減 速 材 として 使 用 可<br />

能 な 重 水 が 豊 富 にあった 6 。 第 二 次 世 界 大 戦 後 、ラ<br />

ンダースを 中 心 とした 同 国 の 一 部 の 科 学 者 は 将<br />

来 の 原 子 力 開 発 の 必 要 性 を 熱 心 に 説 いていた 7 。<br />

同 国 の 核 関 連 研 究 を 大 学 による 学 術 目 的 に 限<br />

定 しようとしていた 一 派 とは 異 なり、ランダース<br />

をはじめイギリスに 亡 命 した 科 学 者 ・ 技 術 者 のグ<br />

ループは 戦 後 、 原 子 炉 の 建 設 をノルウェーの 軍 の<br />

庇 護 のもとで 進 めようとした 8 。ヴィッティエが<br />

「 科 学 的 企 業 家 」と 呼 んだ 通 り、ランダースは 核<br />

の 利 用 を 学 術 研 究 の 範 囲 に 留 めるつもりはなく、<br />

研 究 炉 を 建 設 し、 核 技 術 を 習 得 することによって<br />

ノルウェーの 産 業 を 振 興 しようと 考 えていた 9 。<br />

当 時 アメリカ・オークリッジ 国 立 研 究 所 に 所 属<br />

していた A ・ M ・ワインバーグ(Alv<strong>in</strong> M.<br />

We<strong>in</strong>berg) 10 は、1953 年 8 月 、オスロにおいて<br />

開 催 された 重 水 減 速 炉 に 関 する 国 際 会 議 に 出 席<br />

して、ランダースがノルウェーで 蔓 延 する 原 子 力<br />

必 要 であり、そのためには 軍 との 連 携 が 大 切 と 感<br />

じていたランダースは、 首 都 オスロから 200 マ<br />

イル 離 れたシェラー(Kjeller)にある 軍 施 設 の 隣<br />

接 地 に、 原 子 力 研 究 所 (IFA)を 1948 年 に 発 足<br />

させ、 自 身 も 同 研 究 所 の 所 長 に 収 まった 12 。さら<br />

にランダースは、ノルウェーとオランダとの 共 同<br />

出 資 による「 原 子 力 合 同 機 構 (JENER)」の 設 立<br />

(1951 年 3 月 末 までの 時 期 に 発 足 )も 主 導 した<br />

13 。<br />

同 じ 時 期 、アメリカのハリー・トルーマン<br />

(Harry R. Truman) 政 権 は 対 外 的 な 原 子 力 協 力<br />

には 消 極 的 であった。1954 年 に 改 正 されるまで<br />

の 同 国 の 原 子 力 法 では、 保 障 措 置 が 確 立 すること<br />

が 明 らかになるまでは 工 業 使 用 を 含 むいかなる<br />

原 子 力 情 報 の 提 供 や 交 換 も 禁 止 される 旨 、 記 載 さ<br />

れていた。そのため 重 水 に 恵 まれたノルウェーと、<br />

ウランがあったオランダが 戦 略 的 提 携 を 結 んだ<br />

ことは 自 然 な 結 果 でもあった。<br />

JENER では JEEP と 呼 ばれる 実 験 用 の 天 然<br />

ウラン 重 水 減 速 冷 却 型 原 子 炉 が 建 設 され 1951 年<br />

6 月 18 日 に 臨 界 に 達 した。この JEEP の 運 転 に<br />

際 しイギリスは 重 要 な 役 割 を 果 たした。すなわち<br />

1951 年 5 月 1 日 、まずオランダが 保 有 する 酸 化<br />

ウランをイギリスに 船 で 輸 送 し、それと 引 き 換 え<br />

に、ノルウェーが JEEP に 必 要 な 金 属 ウランを<br />

輸 入 した。<br />

の「 伝 染 性 の 情 熱 」の 中 心 にいることを 見 て 取 っ<br />

た 11 。そしてまた、ワインバーグは、 国 際 会 議 の<br />

会 場 であった 工 学 会 館 (Eng<strong>in</strong>eers’ Club)で 様 々<br />

な 人 間 と 話 す 中 で、「このような 情 熱 が 欧 州 にお<br />

ける 原 子 力 (Nuclear Energy)の 目 新 しさという<br />

より、 原 子 力 の 持 つ 喫 緊 の 経 済 上 の 可 能 性 から 生<br />

じたものである」ことを 喝 破 したのだった。ラン<br />

(2) 国 際 原 子 力 協 力 へのトルーマン 政 権 の 見 方<br />

トルーマン 政 権 は 小 国 に 対 してであれ、 原 子 力<br />

協 力 に 何 かしらの 対 策 が 必 要 であることを、しぶ<br />

しぶ 認 めていた。1949 年 3 月 2 日 にアメリカ 国<br />

務 省 においてまとめられた 報 告 書 『イギリス 及 び<br />

カナダに 関 連 する 原 子 力 政 策 についての NSC 特<br />

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別 委 員 会 による 大 統 領 への 報 告 』は、「20 カ 国 近<br />

くの 国 々が 原 子 力 に 関 する 法 制 化 を 行 って」おり、<br />

「12 カ 国 以 上 の 国 で 原 子 力 委 員 会 かそれに 該 当<br />

する 組 織 を 持 っている」 状 況 を 指 摘 した 14 。その<br />

上 で 同 報 告 書 はフランスが 同 国 初 となる 重 水 炉<br />

(ZOE 研 究 炉 )を 運 転 し、スウェーデンとノル<br />

ウェーが 同 じ 方 向 にあることに 注 意 を 喚 起 した。<br />

さらに、「 欧 州 の 小 国 が 結 束 して 乏 しい 情 報 を 交<br />

換 するという 明 らかな 傾 向 があり、 潜 在 的 には 危<br />

険 ですらある」と 述 べ、「フランスが[ 核 技 術 を]<br />

“ 持 たざる 国 ”にとっての 情 報 、 研 究 経 験 、 開 発<br />

て、ノルウェーのランダース 原 子 力 研 究 所 長 がそ<br />

のことを 理 解 していることを 希 望 していると 続<br />

けた 17 。トルーマン 政 権 は、キュリーが 左 翼 的<br />

な 考 えを 持 っていると 判 断 し、 警 戒 していた。<br />

さらにもう 一 つの 文 書 、 日 付 は 不 詳 であるが、<br />

1949 年 2 月 ~1950 年 1 月 末 までの 期 間 につい<br />

て、 国 務 次 官 のもとで 欧 州 の 原 子 力 活 動 について<br />

とりまとめた 興 味 深 い 報 告 書 がある。ここからも、<br />

フランスが 原 子 力 技 術 の「 持 たざる 国 」を 束 ねる<br />

領 袖 になることへのトルーマン 政 権 の 強 い 警 戒<br />

感 が 窺 える 18 。<br />

の 拠 点 となりうる」ことを 警 告 した 15 。この 報 告<br />

書 の 時 点 では、アメリカはまだ 核 兵 器 の 独 占 を 享<br />

受 しており(ソ 連 初 の 原 爆 実 験 は 1949 年 8 月 29<br />

日 、フランスは 原 子 力 技 術 は 持 っていたものの 初<br />

の 原 爆 実 験 は 1960 年 2 月 13 日 であった)、トル<br />

ーマン 政 権 はフランスの 核 開 発 を 警 戒 していた。<br />

また、アメリカの 在 スウェーデン 大 使 館 の 科 学<br />

アタッシェ( 駐 在 専 門 官 )であったハワード・ロ<br />

ビンソン(Howard Rob<strong>in</strong>son) 博 士 は 1949 年 5<br />

ノルウェーは、(ウラン) 鉱 石 を 製 錬 済 みの<br />

ウランへと 転 換 することに 関 し、 英 米 から 十<br />

分 な 満 足 を 得 られないため、フランス、スウ<br />

ェーデンと 交 渉 している。もし、イギリスと<br />

アメリカが 様 々な 理 由 で 協 力 できないのな<br />

ら 、ス ウェーデンとノルウェーは 原 子 力 開 発<br />

の 基 礎 分 野 の 協 力 でフランスの 方 に 向 うか<br />

もしれない。<br />

月 3 日 、フリーマン・マシュー(Freeman<br />

Matthew) 駐 スウェーデン 大 使 、キャロル・ウィ<br />

ルソン(Carrol Wilson) 米 原 子 力 委 員 会 ジェネラ<br />

ル・マネージャーらとの 会 合 において、「スウェ<br />

ーデン 軍 が[ 兵 器 として]ある 種 の 放 射 性 物 質 を<br />

噴 霧 ないし 散 布 するアイデアを 漠 然 と 考 えてい<br />

る」らしいとの 驚 くべき 情 報 を 披 露 し、フランス<br />

が ZOE 研 究 炉 を 建 設 している 事 実 を 指 摘 したう<br />

えで、スウェーデンと 他 の 北 欧 諸 国 がフランスの<br />

手 に 落 ちる 政 策 的 な 危 険 性 について 注 意 を 喚 起<br />

した 16 。<br />

次 にマシュー 大 使 は、フランス 原 子 力 庁 で 主<br />

導 的 立 場 にあった 科 学 者 、ジャン・フレデリッ<br />

ク・ジョリオ=キュリー(Jean Frédéric Joliot-<br />

Curie)に 情 報 を 渡 すようなことがあれば、ソ<br />

連 に 情 報 が 洩 れてしまう 危 険 性 が 生 じるとし<br />

したがって、 結 果 的 にノルウェーがオランダと<br />

の 提 携 に 踏 み 切 ったこと、そして 原 子 炉 の 運 用 に<br />

当 たってはイギリスの 協 力 を 仰 いだ 点 で、<br />

JENER はこの 時 期 のアメリカにとって 最 悪 の<br />

ものではなかった。フランスは 正 式 な 協 力 関 係 を<br />

構 築 する 準 備 があることを 伝 えてきており、 原 子<br />

炉 建 設 にあたりノルウェーがフランスと 協 調 す<br />

ることはあり 得 ない 話 ではなかった。しかし、ラ<br />

ンダース 原 子 力 研 究 所 長 も 左 翼 的 なジョリオ<br />

=キュリーを 嫌 っており、ノルウェーの 原 子 力<br />

協 力 のパートナーとしてフランスを 選 ばず、オ<br />

ランダとイギリスを 選 んだ 19 。<br />

(3)ハルデン 計 画 とパートナー 選 び<br />

JENER の JEEP 炉 において 経 験 を 積 んだノ<br />

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ルウェーは 1955 年 6 月 、さらにハルデンの 地 に<br />

別 の 重 水 炉 を 建 設 する 計 画 を 国 会 承 認 した。ウラ<br />

ン 燃 料 の 入 手 が 容 易 でない 上 、プロジェクト 自 体<br />

にも 多 額 の 資 金 がかかると 見 込 まれる 中 で、ノル<br />

ウェーには 新 たなパートナーが 必 要 であった。も<br />

っともこの 計 画 は JENER の 発 足 より 前 、1949<br />

年 頃 には 既 にランダースを 中 心 として 構 想 され<br />

ていた。 原 子 力 技 術 の 確 立 はノルウェーの 宿 願 と<br />

このグループに 参 画 するなら、 政 治 、 安 全 保<br />

障 上 の 反 対 が 惹 起 されるとランダースは 言<br />

う。ただ 彼 は、フランスを 通 じてロシアに 漏<br />

れ 出 る 情 報 は 無 視 してよいものであるとの<br />

意 見 を 表 明 している。フランスにはソ 連 で 既<br />

知 のものしかなく、 実 際 、 核 の 分 野 ではロシ<br />

アはフランスより 遥 かに 進 んでいるという<br />

のである。<br />

もなっていた。しかし 資 金 面 も 含 め、この 建 設 と<br />

運 転 をどのような 形 態 で 行 うかを 決 定 すること<br />

が 同 国 にとっての 課 題 であり 続 けた。<br />

1949 年 1 月 19 日 付 で、ランダースは 重 水 炉<br />

の 建 設 の 支 援 と 純 化 ウラン(Purified uranium)<br />

の 提 供 を 求 める 書 簡 をアメリカ 原 子 力 委 員 会<br />

(AEC)に 送 っている 20 。さらに 1950 年 3 月 16<br />

日 にも、オスロにあるアメリカ 大 使 館 において、<br />

館 員 と 会 見 して 再 度 返 事 を 督 促 している 21 。<br />

少 し 前 、1950 年 1 月 、マンハッタン 計 画 に 多<br />

大 の 貢 献 をしたドイツの 理 論 物 理 学 者 、クラウ<br />

ス・E・J・フックス(Klaus Emil Julius Fuchs)<br />

がソ 連 に 多 くの 情 報 を 流 していたことが 明 らか<br />

になっていた(フックス 事 件 ) 22 。そのためラン<br />

ダースはアメリカが 原 子 力 支 援 に 舵 を 切 ること<br />

を 楽 観 せず、 粘 り 強 くアメリカに 働 きかけたよう<br />

である。オスロのアメリカ 大 使 館 は、 上 述 3 月 の<br />

会 見 におけるランダースの 主 張 を 次 の 通 り 整 理<br />

している 23 。<br />

敷 衍 すれば、ランダースは 米 トルーマン 政 権 の<br />

懸 念 を 承 知 しており、その 上 でノルウェーとフラ<br />

ンスの 提 携 により 生 じるリスクをあえて 指 摘 し<br />

つつ、フランスと 提 携 しても 問 題 は 大 きくないと<br />

言 ったのである。その 一 方 で、 欧 州 諸 国 とフラン<br />

スとの 提 携 の 可 能 性 を 持 ち 出 したのは、それでも<br />

アメリカがこのような 事 態 をもし 嫌 うのであれ<br />

ば、ノルウェーを 支 援 すべきと、 暗 に 仄 めかした<br />

ためであろう。それでも、アメリカの 対 ノルウェ<br />

ー 原 子 力 支 援 について、トルーマン 政 権 時 代 の<br />

AEC は 頑 なで、ランダースに 良 い 返 事 を 与 えな<br />

かった。 結 局 AEC は 在 オスロ・アメリカ 大 使 館<br />

を 通 じて、ノルウェーの 要 求 を 飲 めないことを 伝<br />

えた。<br />

しかし、1953 年 にアイゼンハワー 政 権 が 登 場<br />

すると 状 況 は 一 変 した。 同 年 12 月 の「 平 和 のた<br />

めの 原 子 力 演 説 」は、アメリカが 原 子 力 協 力 を 推<br />

進 することを 同 盟 国 に 期 待 させるものだったか<br />

らである。このような 中 、ノルウェーのハーバー<br />

ランダースは、フックス 事 件 と[アメリカの]<br />

水 爆 [ 開 発 にむけた1 月 31 日 の] 宣 言 ゆえ<br />

に、 予 見 しうる 将 来 、 欧 州 の 小 国 はアメリカ<br />

の 支 援 をあまり 期 待 できないだろうと 見 て<br />

いる。それゆえ 関 心 ある 科 学 者 らは 米 ソが 成<br />

した 核 の 進 歩 から 後 れを 取 らないためには、<br />

西 欧 には 知 識 と 技 術 の 共 有 (pool<strong>in</strong>g)が 必<br />

要 と 感 じているのだ。[… 中 略 ]フランスが<br />

ド・M・ランゲ(Harvard M. Lange) 外 相 ( 労<br />

働 党 )は 1955 年 10 月 7 日 、ウィルヘルム・ム<br />

ンテ・モルゲンスティルナ 駐 米 大 使 (Wilhelm<br />

Munthe de Morgenstierne)と、 前 述 のランダー<br />

ス 原 子 力 研 究 所 長 らを 伴 って、アメリカ 国 務 省 の<br />

リビングストン・マーシャント(Liv<strong>in</strong>gston<br />

Merchant) 国 務 次 官 補 、 同 省 英 連 邦 ・ 北 欧 問 題<br />

局 のマルサリス・C・パーソンズ(Marselis C.<br />

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Parsons)、 国 務 長 官 付 原 子 力 問 題 特 別 補 佐 官 の<br />

フィリップ・ファーレイ(Phillip Farley)と 会 見<br />

した 24 。<br />

この 協 議 においては、ランゲ 外 相 はやや 強 気 と<br />

もとれる 姿 勢 を 示 しつつ、アメリカの 協 力 を 促 し<br />

た。ノルウェーが 西 欧 において、 事 実 上 アメリカ<br />

との 原 子 力 協 定 を 締 結 していない 唯 一 の 国 であ<br />

ることを 示 したうえで、それはすでにノルウェー<br />

が 原 子 炉 を 運 転 しているからであり、 保 障 措 置 な<br />

どを 規 定 した 標 準 協 定 を、ほかの 国 のようにアメ<br />

リカと 結 ぶ 必 要 性 を 感 じていないからであると<br />

述 べた 25 。ランダースも 同 意 して「アメリカが 他<br />

の 多 くの 国 と 締 結 しているという 標 準 協 定 をい<br />

くら 研 究 してみても、ノルウェーが 原 子 力 開 発 の<br />

次 の 段 階 で 必 要 としている 支 援 を 得 られるかは<br />

明 白 ではない」などと 述 べた 26 。さらにランダー<br />

スは、ノルウェーの 重 水 炉 の 建 設 計 画 を 指 摘 しな<br />

がら、イギリスが 政 府 間 協 定 によらず 簡 単 な 覚 書<br />

で JEEP 炉 用 の 資 機 材 を 提 供 してくれたことを<br />

挙 げて、アメリカに 対 しても 濃 縮 ウランの 提 供 を<br />

要 請 した。ノルウェーは、イギリスを「だし」に<br />

使 って、アメリカからの 支 援 も 得 ようと 試 みたと<br />

いうことになる。<br />

欧 州 原 子 力 共 同 体 (EURATOM)と 並 ぶ、 欧 州<br />

のための 原 子 力 研 究 開 発 枠 組 みとして、OEEC は<br />

欧 州 原 子 力 機 関 (OEEC/ENEA: European<br />

Nuclear Energy Agency)の 憲 章 を 1957 年 12 月<br />

に 採 択 、その 後 、 同 機 関 は 翌 58 年 2 月 1 日 より<br />

活 動 を 開 始 した。アメリカでは 機 微 な 原 子 力 技 術<br />

の 譲 渡 には 消 極 的 な 見 解 も 存 在 していたが、アイ<br />

ゼンハワー 大 統 領 やダレス 国 務 長 官 は 原 子 力 協<br />

力 には 積 極 的 で、OEEC/ENEA も 支 持 する 考 え<br />

を 明 確 にしていた。<br />

先 取 りすれば、やがて OEEC は 非 西 欧 諸 国 も<br />

加 盟 し OECD に 発 展 するが、これに 伴 い、ENEA<br />

は 経 済 協 力 開 発 機 構 (OECD/NEA)へと 改 組 さ<br />

れた。それ 以 降 OECD/NEA は 原 子 力 安 全 やリス<br />

ク 解 析 、 原 子 力 施 設 の 廃 止 措 置 、 廃 炉 の 問 題 や、<br />

先 進 技 術 開 発 に 係 る 多 国 間 プロジェクトを 推 進<br />

することとなった。そして、この OECD/NEA が<br />

実 施 する 多 国 間 プロジェクトの 一 つとして、ハル<br />

デン 計 画 は 位 置 づけられたのである。<br />

1953 年 に 発 足 したアイゼンハワー 政 権 はトル<br />

ーマン 前 政 権 と 異 なり、 対 外 的 な 原 子 力 協 力 がア<br />

メリカの 西 側 世 界 における 指 導 的 な 地 位 の 確 立<br />

に 必 要 不 可 欠 であると 考 えていた。 同 政 権 はソ 連<br />

に 対 する 欧 州 の 団 結 には、 原 子 力 研 究 開 発 とそれ<br />

に 付 随 する 資 機 材 の 提 供 が 欠 かせないと 信 じて<br />

3. 欧 州 における 原 子 力 協 力 をめぐる 英 米 の 立 場<br />

の 相 違<br />

いた。 例 えば、ダレス 国 務 長 官 は 1956 年 1 月 25<br />

日 、 自 分 自 身 とアメリカ 原 子 力 委 員 会 のルイス・<br />

ストローズ(Lewis Strauss) 委 員 長 、 国 務 省 の<br />

アメリカのマーシャル 国 務 長 官 は 1946 年 6<br />

月 、 第 二 次 世 界 大 戦 で 疲 弊 した 欧 州 諸 国 の 復 興<br />

を 目 的 に 大 規 模 な 経 済 支 援 (マーシャル・プラ<br />

ン)を 打 ち 出 していた。 現 在 の 経 済 協 力 開 発 機<br />

構 (OECD)の 前 身 たる 欧 州 経 済 協 力 機 構<br />

(OEEC)は 元 来 、アメリカのこの 経 済 支 援 の<br />

受 け 皿 となる 多 国 間 枠 組 みとして 1948 年 に 設<br />

立 されたものであった。<br />

ジェラード・スミス(Gerald Smith) 国 務 次 官 補<br />

( 原 子 力 担 当 特 別 補 佐 )ら 官 吏 10 名 による 会 合<br />

において、アイゼンハワー 大 統 領 が 以 下 の 確 信 を<br />

持 っていることを 示 唆 した 27 。<br />

欧 州 には 技 術 、 資 源 、 目 的 の 統 合 の 潜 在 性 が<br />

ある。この 統 合 が 実 現 するにあたって 英 国 の<br />

参 画 の 有 無 は 本 質 的 な 問 題 ではない。 欧 州 統<br />

| - 100 |-


合 が 実 現 したなら、それは 米 国 の 背 から 欧 州<br />

の 重 荷 を 取 り 除 き、 仏 独 を 団 結 させ、かつソ<br />

連 との 均 衡 を 図 るべく 統 合 された 力 のプー<br />

ルを 構 成 し 得 るものである。<br />

おける 協 力 の 形 態 は 欧 州 自 身 が 決 定 すべきであ<br />

ると 答 え、 米 国 としては 一 歩 引 いた 姿 勢 を 示 しつ<br />

つ 、「[ EURATOM の]6 カ 国 のアプローチによ<br />

る 共 同 体 への 米 国 の 同 情 についてはよく 知 られ<br />

たところであり、もし 原 子 力 分 野 で 共 同 体 が 実 現<br />

しかしアイゼンハワー 政 権 はまた 同 時 に、 原 子<br />

力 の 技 術 や 資 機 材 には、 核 兵 器 開 発 につながりか<br />

ねない 機 微 性 (Sensitivity)があることも 理 解 し<br />

ていた。ダレスは 欧 州 原 子 力 共 同 体 (EURATOM)<br />

と 欧 州 の 共 通 市 場 に 関 するイギリスのイーデン<br />

(Anthony Eden) 首 相 との 会 談 を 控 え、1956 年<br />

1 月 26 日 付 のベルギー 大 使 館 宛 ての 公 電 のなか<br />

で 次 のように 述 べている 28 。<br />

するのなら、 我 々はそれが 他 の 機 関 と 共 存 不 可 能<br />

とは 思 わない」と 述 べた 29 。<br />

さらにこの 席 でイギリス 原 子 力 庁 のウィリア<br />

ム・ストラス(William Strath)が、EURATOM<br />

へのウラン 濃 縮 技 術 30 の 提 供 に 関 し、アメリカは<br />

前 向 きな 検 討 を 行 うのか 問 うた 時 も、ジェラー<br />

ド・スミス 米 国 務 次 官 補 は 濃 縮 施 設 の 建 設 支 援 を<br />

含 めた 可 能 性 を 検 討 しているとさえ 返 事 した 31 。<br />

前 政 権 と 異 なり、アイゼンハワー 政 権 は<br />

6 カ 国 による 国 家 を 超 越 する[ 枠 組 みであ<br />

る]EURATOM は、ドイツを 西 側 につなぎ<br />

止 める 強 力 な 手 段 となるであろうし、 兵 器<br />

級 の 物 質 の 効 果 的 な 管 理 を 実 現 するうえで<br />

ももっとも 実 現 が 可 能 な 方 策 であろう。 真<br />

に 超 国 家 的 というのであれば、 国 家 間 協 力<br />

EURATOM への 同 情 的 な 態 度 を 堅 持 し、 機 微 な<br />

技 術 開 発 の 支 援 の 可 能 性 すら 考 慮 に 入 れていた。<br />

しかしノルウェーは、EURATOM ではなくむし<br />

ろ OEEC のプロジェクトとして「ハルデン 計 画 」<br />

を 位 置 づけていく。これは 何 故 なのか 次 節 で 検 討<br />

する。<br />

である OEEC とも 共 存 が 可 能 であろう。<br />

これに 対 して、イギリスは EURATOM ではな<br />

4. 北 欧 協 力 ・OEEC/ENEA と EURATOM<br />

く、OEEC が 欧 州 の 原 子 力 枠 組 みとして 適 切 で<br />

あるとアメリカに 働 きかけをしていた。 他 方 、ア<br />

メリカは OEEC と EURATOM の 区 別 はせず、<br />

二 者 択 一 の 姿 勢 は 取 らなかった。アイゼンハワー<br />

政 権 は、 二 つの 枠 組 みがともに 核 拡 散 のリスクを<br />

回 避 しつつ、 原 子 力 協 力 を 進 めるという 目 的 を 達<br />

成 するうえで 有 効 であると 見 なしていた。<br />

1956 年 2 月 21 日 に 行 われた 欧 州 の 原 子 力 協<br />

力 に 関 する 英 米 の 高 官 会 合 では、 両 国 の 立 場 の 相<br />

違 が 鮮 明 に 表 れた。 在 米 イギリス 大 使 のロジャ<br />

ー・マキンス(Sir Roger Mak<strong>in</strong>s) 卿 が OEEC の<br />

会 議 におけるアメリカの 立 場 に 関 し、マーシャン<br />

ト 国 務 次 官 補 に 質 したところ、 彼 は、 当 該 分 野 に<br />

ノルウェーは 第 二 次 世 界 大 戦 の 終 戦 直 後 、しば<br />

らくは 東 西 陣 営 を 仲 介 する 架 け 橋 になろうとし<br />

ていたが、すぐにそれが 困 難 であると 悟 ると、 経<br />

済 援 助 も 自 国 の 安 全 保 障 を 西 側 に 仰 ぐようにな<br />

った。 安 全 保 障 の 面 でも、 北 欧 5 カ 国 (アイスラ<br />

ンド、フィンランド、スウェーデン、デンマーク、<br />

ノルウェー)の 参 加 を 目 論 む「スカンディナビア<br />

防 衛 同 盟 構 想 」が 1949 年 1 月 末 に 頓 挫 すると、<br />

同 年 4 月 ノルウェーはデンマークとともに 北 大<br />

西 洋 条 約 機 構 (NATO)に 加 盟 した。 疲 弊 した 経<br />

済 状 況 で、 単 独 では 国 を 防 衛 できないとの 判 断 で<br />

あった。ソ 連 がノルウェー 領 土 における 外 国 ( 即<br />

| - 101 |-


ちアメリカ)の 軍 事 基 地 、 核 兵 器 貯 蔵 の 設 置 を 執<br />

拗 にけん 制 してくる 中 、ノルウェーのゲルハッセ<br />

ン(E<strong>in</strong>ar Gerhardsen) 首 相 は NATO が 防 衛 的 な<br />

性 格 を 持 つことを 繰 り 返 し 述 べつつ、1957 年 12<br />

月 には、パリで 開 催 された NATO 首 脳 会 談 おい<br />

て 平 時 における 自 国 領 土 内 の 核 兵 器 配 備 を 拒 否<br />

することを 正 式 に 表 明 した。<br />

ほぼ 同 時 期 、OEEC/ENEA の 憲 章 が 採 択 され<br />

た。ノルウェーからは、JENER の 放 射 性 同 位 体<br />

研 究 の 責 任 者 であったアイナー・セァラン<br />

(E<strong>in</strong>ar Sealand)が 事 務 次 長 として ENEA 執<br />

行 部 入 りした 32 。 彼 は 1964 年 、さらに 事 務 局 長<br />

に 昇 格 、1977 年 まで 務 めた。このことからも、<br />

ノルウェーは OEEC の 原 子 力 協 力 に 積 極 的 に 関<br />

与 したことが 窺 われる。<br />

さらに 同 国 の 原 子 力 研 究 所 (IFA)はハルデン<br />

における 研 究 炉 を OEEC の 枠 内 において 用 いる<br />

ことを 提 案 し、 翌 1958 年 6 月 、11 カ 国 (イギリ<br />

ス、オーストリア、デンマーク、スウェーデン、<br />

スイス、 及 び EURATOM[6 カ 国 ])との 間 で 協<br />

力 協 定 が 合 意 された。<br />

多 額 の 資 金 を 要 する 原 子 力 研 究 開 発 を 多 国 間<br />

の 枠 組 みの 中 で 行 うことは、ノルウェーにとって<br />

合 理 的 な 選 択 だった。それでは、ハルデン 計 画 を<br />

EURATOM の 枠 組 みの 中 ではなく、OEEC の 枠 組<br />

みにおいて 推 進 したのはなぜだろうか。これには<br />

幾 つかの 理 由 が 考 えられる。<br />

第 一 に、ゲルハッセン 政 権 は、オランダとは 異<br />

なり、ヨーロッパ 鉄 鋼 共 同 体 (ECSC)には 参 加<br />

していなかった。ベルギーの 政 治 学 者 、シグリン<br />

デ・グストール(Siegl<strong>in</strong>de Gstöhl)が『 躊 躇 する<br />

ヨーロッパ 人 ― 統 合 におけるノルウェー、スウェ<br />

ーデン、スイス』で 示 唆 しているように、ノルウ<br />

ェーの 政 治 エリートには、 伝 統 的 にヨーロッパ 大<br />

陸 に 対 する 根 強 い 不 信 感 があり、 超 国 家 的 な 多 国<br />

間 枠 組 みには 消 極 的 であった 33 。したがって、 多<br />

国 間 の 原 子 力 枠 組 みとしても、やはり EURATOM<br />

に 直 接 参 画 する 途 は 取 らなかった 34 。<br />

第 二 に、EURATOM と 距 離 をとるイギリスと<br />

ノルウェーが 原 子 力 分 野 で 協 力 関 係 にあった 点<br />

が 挙 げられる。ノルウェーの 歴 史 家 、ゲア・ルン<br />

デスタッド(Geir Lundestad)が 指 摘 するように、<br />

イギリスは ECSC や EURATOM の 影 響 力 が 自 国<br />

や 英 連 邦 を 凌 駕 することのないよう、ある 種 の 対<br />

抗 措 置 をとる 方 針 をとっていた 35 。それゆえイギ<br />

リスは、OEEC における 主 導 権 を 確 保 することで、<br />

これとは 別 に 仏 独 の 主 導 のもとで 進 められてい<br />

た 大 陸 における 欧 州 統 合 の 動 きを「 薄 め」ようと<br />

していた 36 。これに 加 え、ノルウェーは JENER の<br />

運 営 において、イギリスからの 協 力 を 得 ていた。<br />

したがって、この 経 験 を 基 盤 として 原 子 力 の 国 際<br />

協 力 を 推 進 する 場 合 、ノルウェーにとっては<br />

OEEC を 活 用 することの 方 が 自 然 であった。<br />

第 三 に、ソ 連 の 存 在 がノルウェーに 無 言 の 圧 力<br />

をかけていた。 同 国 の 外 務 省 は 1957 年 3 月 16<br />

日 、「 軍 事 的 な 陣 営 による 分 断 を 終 わらせるため、<br />

経 済 や 原 子 力 平 和 利 用 分 野 の 協 力 を、 汎 欧 州 ベー<br />

スとする 提 案 」を 繰 り 返 し、EURATOM の 設 立 を<br />

名 指 しで 厳 しく 非 難 する 声 明 を 出 していた 37 。ノ<br />

ルウェーは 当 然 これを 見 たはずである。ただでさ<br />

え 直 接 国 境 線 を 接 し、ソ 連 からの 直 接 、 間 接 の 圧<br />

迫 に 曝 されていたノルウェーとしては、あえて 火<br />

中 の 栗 を 拾 うかのように EURATOM に 参 加 する<br />

よりも、 中 立 国 スウェーデン、スイス、オースト<br />

リアも 含 んだ、OEEC を 母 体 とした 原 子 力 機 関 と<br />

の 協 力 を 進 めた 方 が 幾 分 か 穏 便 に 事 を 運 べるよ<br />

うに 見 えたのである。<br />

第 四 に、すでに 見 た 通 り、フランスが 原 子 力 協<br />

力 でイニシアチブをとることについてトルーマ<br />

ン 政 権 がひどく 嫌 っていた。このことに 関 する 記<br />

憶 がノルウェーにはあったはずである。 従 ってア<br />

メリカから 支 援 を 得 るためには、アメリカの 本 意<br />

| - 102 |-


でないことはしないほうがやはり 得 策 であった。<br />

アイゼンハワー 政 権 になると、アメリカは 仏 独 へ<br />

の 原 子 力 協 力 に 肯 定 的 にはなるが、ノルウェーの<br />

側 からして 見 れば、 全 てが 変 わったかどうかは 判<br />

りようがなかった。<br />

最 後 に、ノルウェー 人 の 間 における、ドイツに<br />

対 する 心 理 的 な 障 壁 があったことも 否 めない。 確<br />

かに OEEC にも 西 ドイツは 参 加 していたが、そ<br />

の 主 導 的 役 割 はイギリスが 担 っていた。 一 方 EEC<br />

や EURATOM においては、 仏 独 が 中 心 的 プレイ<br />

ヤーであった。そのためノルウェーにとり OEEC<br />

を 通 じた 原 子 力 協 力 の 方 が 容 易 だったのである。<br />

安 定 化 資 源 として OECD を 活 用 することや、 国<br />

際 的 な 原 子 力 援 助 をより 先 進 工 業 国 にシフトさ<br />

せることといった 1960 年 までに 生 じたアメリカ<br />

の 政 策 上 の 変 化 があったと 思 われる。<br />

1953 年 の「 平 和 のための 原 子 [ 力 ]」 演 説 から<br />

しばらくの 間 、アメリカの 政 府 と 産 業 界 は、 開 発<br />

途 上 国 への 原 子 力 輸 出 に 大 きな 期 待 をかけてい<br />

た。ところがハルデン 計 画 の 発 足 する 1958 年 に<br />

は、こうした 熱 意 はすでに 冷 めつつあった。アメ<br />

リカの 原 子 力 協 力 の 対 象 は、 日 本 を 含 む、 先 進 工<br />

業 国 にシフトしていた。 実 はアジアには、イギリ<br />

ス 連 邦 を 中 心 とした 援 助 枠 組 みである「コロンボ<br />

計 画 」、あるいは「 東 南 アジア 条 約 機 構 」(SEATO)<br />

に 参 画 する 途 上 国 が 対 象 となる 原 子 力 地 域 機 構 、<br />

5. 先 進 工 業 国 のためのハルデン 計 画 ― 恒 久 的 な<br />

国 際 枠 組 みの 発 足<br />

「アジア 原 子 力 センター」を 開 設 させる 構 想 が 英<br />

米 にあり、1955~57 年 頃 、 両 国 間 で 外 交 交 渉 が<br />

展 開 されていた 39 。しかし、この 構 想 が 挫 折 する<br />

欧 州 の 多 国 間 原 子 力 協 力 の 枠 組 みである<br />

OEEC/ENEA のプロジェクトに 位 置 づけられた<br />

ハルデン 計 画 は、1958 年 7 月 1 日 に 着 手 された。<br />

計 画 期 間 は 3 年 間 で 区 切 られ、 以 後 更 新 されてい<br />

った。 最 初 の 10 年 間 は、 重 水 炉 ( 重 水 沸 騰 水 型<br />

炉 :HBWR)と 核 燃 料 の 研 究 開 発 に 注 力 された。<br />

ノルウェーも 含 む、 欧 州 OEEC の 参 加 国 のすべ<br />

てが 原 子 力 産 業 の 育 成 に 期 待 をかけていた。ハル<br />

デン 計 画 はそのための 共 通 インフラとなった。<br />

OEEC は 1961 年 9 月 、アメリカとカナダが 加<br />

わり OECD( 経 済 協 力 開 発 機 構 )へと 発 展 改 組 さ<br />

れた。これに 伴 い、OEEC/ENEA は 経 済 協 力 開<br />

発 機 構 / 原 子 力 機 関 (OECD/NEA)となった。 同<br />

機 関 は 1965 年 2 月 23 日 、 日 本 が OECD/NEA<br />

のメンバーになったことを 発 表 した。その 後<br />

1967 年 5 月 22 日 、 日 本 はハルデン 計 画 への 参<br />

加 を 発 表 した 38 。<br />

この 背 景 には、OECD/NEA の 一 部 として、 地<br />

域 を 問 わない( 日 本 や 北 米 を 含 む) 同 盟 国 の 経 済<br />

と、EURATOM と 並 ぶような 原 子 力 機 関 の 発 足<br />

はアジアでは 難 しいことが 明 らかになっていた。<br />

アメリカではこれに 代 わり、 日 本 を 包 含 する 先 進<br />

工 業 国 のための 原 子 力 枠 組 みが 必 要 と 認 識 され<br />

るようになった。<br />

1957 年 12 月 13 日 に 策 定 された NSC 文 書<br />

5725 号 には、 高 い 技 術 、 経 済 水 準 を 持 つ 欧 州 と<br />

..<br />

日 本 だけが 向 こう 10 年 間 は 民 生 原 子 力 利 用 の 恩<br />

恵 を 受 けることが 出 来 ること、そして 米 国 がこう<br />

した 先 進 工 業 諸 国 に 対 して 原 子 力 支 援 を 行 うこ<br />

とによって 彼 らのエネルギー 需 要 を 満 たすこと<br />

が 出 来 ることが 述 べられていた 40 。<br />

一 方 同 文 書 では、「 対 称 的 に 低 開 発 国 における<br />

経 済 問 題 の 解 決 には、 原 子 力 利 用 はさしたる 貢 献<br />

をしないであろう」との 見 通 しが 示 されていた 41 。<br />

つまり、 原 子 力 協 力 を 広 く 行 うことの 重 要 性 は 依<br />

然 確 認 されてはいたものの、それ 以 前 の 低 開 発 国<br />

への“ 経 済 支 援 としての” 民 生 原 子 力 協 力 への 大<br />

きな 期 待 と 熱 意 は 失 われていた。そのような 中 、<br />

| - 103 |-


アメリカによる OEEC から OECD への 改 組 す<br />

る 提 案 を、イギリスも 支 持 した。 欧 州 の「 場 裏 」<br />

で 仏 独 が 主 導 する 欧 州 経 済 共 同 体 (EEC)や<br />

EURATOM―いずれも 後 年 に EU の 礎 となる 枠<br />

組 み―の 影 響 力 を 中 和 する 存 在 として、かつて<br />

OEEC を 活 用 しようとしていたイギリスは、こ<br />

こにきて 路 線 を 転 換 した 42 。<br />

ハルデン 計 画 への 参 加 ・ 不 参 加 は 非 常 に 柔 軟 で<br />

あった。 例 えば、スイスは 1958-69 年 の 4 期 、<br />

ハルデン 計 画 に 参 加 しているが、その 後 は 長 らく<br />

参 加 せず、1990 年 になって 再 び 同 計 画 に 参 加 す<br />

るようになっている。EURATOM としての 参 加<br />

は 1958-61 年 の 第 1 期 、1961-62 年 の 第 2 期<br />

として 参 加 した 期 間 も 含 め、ハルデン 計 画 には 発<br />

足 時 から 締 約 国 として 参 加 していたが、1987 年<br />

からは 不 参 加 である(1991-99 年 は 準 メンバー<br />

としては 参 加 )。また、イタリアは 1999 年 をもっ<br />

て 参 加 を 停 止 している。スウェーデンやドイツは<br />

脱 原 子 力 政 策 をとっており、 順 次 閉 鎖 の 方 向 であ<br />

るが、 今 も 原 発 は 残 存 しており、そのためにハル<br />

デン 計 画 に 参 加 し 続 けている。 西 欧 の 安 定 化 のた<br />

めの 計 画 の 一 環 として 開 始 されたハルデン 計 画<br />

は、このような 柔 軟 な 運 営 形 態 、 参 加 ・ 不 参 加 の<br />

「 敷 居 」の 低 さゆえに、 主 に 先 進 工 業 諸 国 の 原 子<br />

力 共 同 研 究 開 発 の 枠 組 みとして 生 き 延 び 続 けて<br />

きた。<br />

で 終 了 している。 一 方 、オランダは EURATOM<br />

表 . ハルデン 計 画 の 参 加 国 1958-2014 年<br />

( 出 典 ) W. H. Å. Beere, “The Halden Reactor Project: Experience ga<strong>in</strong>ed <strong>in</strong> <strong>in</strong>ternational research” IAEA International<br />

Conference on Research Reactors: Safe Management and Effective Utilization5-9 November 2007 Sydney, Australiaの 図 を<br />

基 に、2009 年 ~2014 年 の2 期 に 関 してはOECD Halden Reactor Project Fuels and Materials Program Achievements 2012<br />

(February 2013)の 情 報 により 追 記 。<br />

( 注 )<br />

・Beere の 元 の 図 では 加 盟 国 、 準 加 盟 国 の 色 分 けがなされているが、それらの 定 義 が 曖 昧 で、ハルデン 計 画 の 参 画<br />

の 度 合 いも 不 明 であるため 本 稿 では 一 律 の 同 じ 着 色 とした。<br />

・ハルデン 計 画 にはプログラムの 内 容 によって OECD/NEA 非 ・ 加 盟 国 も 参 画 している。<br />

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6. 非 原 発 国 の 多 国 間 原 子 力 研 究 開 発<br />

ェーデンのヘルシンボリ 及 びマルメに 寄 港 した<br />

ことであった 44 。サバンナ 号 は、アメリカの「 平<br />

(1) 交 錯 する 推 進 と 反 対<br />

ノルウェーにとって、1970 年 代 は、 原 子 力 推<br />

進 への 動 きと、 反 原 子 力 運 動 が 交 錯 した 時 代 であ<br />

った。 他 の 国 と 同 様 、 原 子 力 は 論 争 的 なエネルギ<br />

ーになった。1970 年 に 刊 行 されたノルウェー 政<br />

府 の 白 書 は 原 子 力 発 電 に 前 向 きな 姿 勢 を 示 して<br />

いた 43 。フィン・リード(F<strong>in</strong>n Lied) 産 業 相 ( 労<br />

働 党 )の 要 請 に 基 づき、1971 年 の 夏 には、 四 つ<br />

の 巨 大 企 業 、Norsk Hydro、Elkem、Hafslund、<br />

及 び Aardal & Sundal Verk の 出 資 により、 原 発<br />

建 設 をにらんだエンジニアリング・コンサルタン<br />

ト 会 社 スキャンパワー(Scandpower) 社 が 設 立<br />

された。 同 社 の 職 員 のほとんどが 原 子 力 研 究 所<br />

(IFA)から 雇 用 された。 初 代 社 長 には、ハルデ<br />

ン 計 画 をプロジェクトリーダーとして 指 揮 して<br />

きた 核 物 理 学 者 、ヘンリク・ハンセン(Henrik<br />

Ager-Hanssen)が 就 任 した(なお、1975 年 から<br />

は、ノルウェーの 原 子 力 開 発 を 黎 明 期 から 主 導 し<br />

たランダースが 引 き 継 いだ)。<br />

その 後 、1972 年 には 国 会 で、 修 正 されつつも<br />

現 在 も 有 効 である 原 子 力 法 が 可 決 された。 同 法 は<br />

1985 年 まで 4 基 の 商 業 用 原 子 炉 の 設 置 を 前 提 に<br />

和 のための 原 子 力 」 政 策 のためのデモンストレー<br />

ションとして 建 造 され、1962 年 ~65 年 まで 世 界<br />

各 地 を 就 航 したが、 北 欧 諸 国 においては、この 就<br />

航 はかえって 反 原 子 力 運 動 を 刺 激 した。<br />

1970 年 代 になると、スウェーデンのノーベル<br />

賞 受 賞 核 物 理 学 者 ハンス・ア ルヴェーン(Hannes<br />

Alfvén)が、 原 子 力 発 電 の 推 進 に 反 対 を 表 明 し、<br />

世 界 的 に 反 原 子 力 運 動 を 励 ましたことも 大 きか<br />

った。ノルウェーでは、アルヴェーンに 触 発 され<br />

た 反 原 子 力 運 動 が 勢 いを 増 し、 有 力 な 環 境 市 民 団<br />

体 「 原 子 力 反 対 への 行 動 (Action Aga<strong>in</strong>st Atomic<br />

Power:AAP)」 が 1973 年 ~74 年 頃 に 活 動 を 開<br />

始 、 原 子 力 発 電 所 建 設 に 向 けたノルウェー 国 会 や<br />

NVE の 動 きに 対 し、 反 対 運 動 を 展 開 した 45 。オ ス<br />

ロ 郊 外 の 原 子 力 発 電 所 の 建 設 計 画 への 反 対 運 動<br />

はあまりにも 激 しく、NVE はやむなくランガン<br />

ゲン(Langangen)とラルヴィク(Larvik)を 代<br />

替 サイトに 指 定 して 調 査 を 行 おうとしたが、これ<br />

らの 地 域 においても、やはり 大 きな 反 対 運 動 が 勃<br />

興 した 46 。1969 年 にエコーフリスク 油 田 ( 北 海 油<br />

田 )が 新 たなに 発 見 されたことも 原 発 推 進 の 機 運<br />

を 後 退 させた。<br />

置 いたものであった。 原 発 の 推 進 機 運 は 72~73<br />

年 にピークを 迎 えた。1972 年 末 、 国 家 電 力 系 統<br />

(NVE)も、オスロの 郊 外 における 原 子 力 発 電 所<br />

の 建 設 計 画 を 発 表 した。1973 年 に 発 生 した 石 油<br />

危 機 はノルウェーを 含 む 北 欧 諸 国 における 原 子<br />

力 発 電 の 検 討 をさらに 後 押 しした。<br />

その 一 方 で、 北 欧 諸 国 では 少 し 前 1960 年 代 よ<br />

り 次 第 に 反 原 子 力 運 動 が 高 まっておりノルウェ<br />

ーも 例 外 ではなかった。そのきっかけとなったの<br />

は、アメリカが 建 造 した 世 界 初 の 原 子 力 貨 客 船<br />

NS サバンナ 号 が 1964 年 8 月 ~9 月 、ノルウェ<br />

ーのオスロ、デンマークのコペンハーゲン、スウ<br />

(2) 多 様 化 する 研 究 開 発<br />

ノルウェー 政 府 は 国 民 世 論 を 無 視 できなかっ<br />

た。 資 源 が 潤 沢 となると、 世 論 を 無 視 してまで 原<br />

子 力 を 国 家 のエネルギー 政 策 の 基 幹 として 推 進<br />

するモメンタムは 政 府 にはなかった。1974 年 末<br />

までに 原 子 力 導 入 への 積 極 的 な 動 きは 完 全 に 停<br />

滞 した 47 。 国 会 の 要 請 により、ノルウェー 政 府 は<br />

諮 問 員 会 ( 通 称 「グラウリ(Grauli) 委 員 会 」)<br />

を 組 織 、 同 委 員 会 は 原 子 力 安 全 について 検 討 した。<br />

この 過 程 で『ソフト・エネルギーパス』などの 著<br />

書 で 有 名 な 物 理 学 者 にして 反 原 子 力 運 動 家 エイ<br />

| - 105 |-


モリー・ロヴィンス(Amory Lov<strong>in</strong>s)やイギリ<br />

スを 拠 点 として 反 原 子 力 運 動 に 関 与 していたウ<br />

ォルト・パターソン(Walt Patterson)からも 意<br />

見 が 聴 取 された 48 。1978 年 に 纏 められた 最 終 報<br />

告 書 では、 委 員 の 大 半 の 見 解 として「 安 全 基 準 を<br />

満 たすなら、 原 子 力 発 電 は 正 当 化 できる」ことが<br />

示 された 49 。だがノルウェーで 原 発 がエネルギー<br />

オプションとして 採 択 されることはなかった。<br />

TMI 事 故 の 後 、ノルウェー 国 会 が 刊 行 した 白 書<br />

では、 予 見 されうる 将 来 に、 原 子 力 がノルウェー<br />

のエネルギーオプションを 担 うことはないとの<br />

見 解 が 示 された 50 。これに 伴 い、 原 子 力 研 究 所<br />

(IFA)は 1980 年 、エ ネルギー 技 術 研 究 所 (IFE)<br />

として 再 出 発 することになった。<br />

1970 年 代 を 通 じた 原 子 力 反 対 世 論 が 勃 興 する<br />

中 、ハルデン 計 画 の 枠 組 みにおいて 行 われる 各 種<br />

の 試 験 はノルウェーの 原 子 力 発 電 の 導 入 を 主 眼<br />

に 置 くものではもはやなく、 代 わりに 既 存 の 原 子<br />

力 発 電 所 の 維 持 や 改 良 、 人 間 と 機 械 のインターフ<br />

ェイス(Man-Mach<strong>in</strong>e Interface: MMI)が 主 た<br />

る 目 的 になった 51 。1983 年 には「 人 間 ・ 機 械 実 験<br />

所 ( HAMMLAB : Halden Man-Mach<strong>in</strong>e<br />

Laboratory)」 が 設 置 された。<br />

1979 年 に 発 生 した、アメリカ 史 上 最 悪 と 言 わ<br />

れるスリーマイルアイランド 原 子 力 発 電 所 (TMI)<br />

事 故 や、1986 年 に 発 生 したソ 連 のチェルノブイ<br />

リ 原 子 力 発 電 所 事 故 は、1970 年 代 すでに 着 手 さ<br />

れていたハルデン 計 画 における MMI 関 連 研 究 開<br />

発 をさらに 活 発 化 させた。<br />

1991 年 のソ 連 崩 壊 とそれに 伴 う 行 政 の 混 乱 は、<br />

同 国 の 設 計 ・ 製 造 による、RBMK 型 黒 鉛 炉 ( 事<br />

故 を 起 こしたチェルノブイリ 原 発 と 同 型 )、 及 び<br />

VVER 型 軽 水 炉 の 安 全 性 への、 西 欧 ・ 北 欧 諸 国 の<br />

不 安 を 掻 き 立 てたが、ノルウェーは、ハルデン 計<br />

画 で 培 った 経 験 により、 近 隣 にあるロシアのコラ<br />

原 発 の 安 全 性 向 上 のための 協 力 を 行 った。<br />

(3) 技 術 の 継 承 ・ 発 展 の 手 段 としてのハルデン<br />

計 画<br />

このようにハルデン 計 画 における、 原 子 力 安 全<br />

を 包 含 する、より 多 様 化 し、また 細 分 化 された 活<br />

動 は、 他 の OECD 諸 国 の 研 究 開 発 への 参 加 をよ<br />

り 容 易 なものとした。21 世 紀 に 入 り、<br />

OECD/NEA の 加 盟 国 はトルコ、メキシコ、オー<br />

ストラリア、 韓 国 、ロシアも 含 む 31 か 国 (2016<br />

年 1 月 現 在 、 非 原 発 国 も 含 む)に 及 び、 世 界 の 原<br />

子 力 発 電 の 総 発 電 容 量 の 8 割 以 上 をその 加 盟 国<br />

が 占 めるまでに 至 っている。 加 盟 国 はハルデン 計<br />

画 の 3 年 期 ごとの 試 験 内 容 に 鑑 みて、 各 々の 関 心<br />

に 従 って 参 加 を 決 めればよく、そうでなければ 去<br />

ればよいのである。そして、このことは、ハルデ<br />

ン 計 画 におけるノルウェー 自 身 の 国 家 としての<br />

原 子 力 技 術 の 保 持 と 継 承 をも 可 能 にした。<br />

日 本 の 学 術 振 興 会 に 相 当 するノルウェー 総 合<br />

研 究 審 議 会 (RCN)が、 同 国 の 貿 易 産 業 省 の 要 請<br />

を 受 けて 2000 年 にまとめた『OECD ハルデン 計<br />

画 の 評 価 』では、ハルデン 計 画 について「 原 子 力<br />

技 術 、 運 転 と 安 全 分 野 における、 国 際 的 に 認 知 さ<br />

れた 高 い 競 争 力 」と、「 原 子 力 、とりわけ 原 子 炉<br />

安 全 の 分 野 におけるノルウェーの 政 策 ・ 国 際 協 力<br />

の 実 現 を 支 援 、 促 進 する 信 用 力 」を 同 国 の 原 子 力<br />

当 局 に 与 えていると 指 摘 されている 52 。IFE の<br />

2014 年 次 報 告 書 でも、「ハルデン 計 画 及 び JEEP<br />

Ⅱ 炉 53 に 基 づく 原 子 炉 安 全 、 放 射 線 防 護 、 核 技 術<br />

分 野 における 国 の 専 門 性 を 維 持 し、 促 進 すること」<br />

が 研 究 所 の 主 要 な 活 動 に 挙 げられていた 54 。ノル<br />

ェー 政 府 はハルデン 計 画 に 関 するこうした 立 場<br />

を 踏 襲 している。<br />

OECD/NEA は 原 子 力 発 電 を 地 球 温 暖 化 、 気 候<br />

変 動 の 切 り 札 として 積 極 的 に 評 価 してきている<br />

55 。 原 子 力 発 電 を 予 見 しうるエネルギーオプショ<br />

ンと 見 なしていないノルウェー 政 府 であるが、<br />

| - 106 |-


OECD/NEA には 加 盟 し 続 けていて、ハルデン 計<br />

画 もこの 国 際 的 な 枠 組 内 での 計 画 として 維 持 さ<br />

れ 続 けている。なぜならノルウェーの 歴 代 政 権 は、<br />

原 子 力 の 研 究 開 発 を 進 め 技 術 水 準 を 維 持 、 発 展 さ<br />

せる 方 針 をとっているからである。<br />

ノルウェーは2005 年 、オーストリア、チリ、<br />

インドネシア、ルーマニア、 南 アフリカ 及 びイ<br />

ギリスとともに、「7カ 国 イニシアチブ」と 称 す<br />

う 理 由 は 私 が 未 来 の 解 決 策 としての 原 子<br />

力 の 支 持 者 になるとは 思 えないからなの<br />

ですが―しかし、 現 実 に 我 々は 原 子 力<br />

(nuclear energy)を 保 持 しており、これ<br />

をより 安 全 なものに 変 え 続 ける 努 力 をし<br />

ているわけです。 気 候 変 動 と 地 球 温 暖 化<br />

のある 今 、 原 子 力 から 撤 退 せよとは 言 え<br />

ないのです。<br />

る 核 軍 縮 と 核 不 拡 散 をめざす 連 合 体 を 結 成 して<br />

いたが、 労 働 党 のブルントラント(Gro Harlem<br />

Brundtland) 元 首 相<br />

56 は2009 年 6 月 、 同 年 の<br />

NPT 再 検 討 会 議 に 先 駆 け、 他 の 首 相 経 験 者<br />

(Odvar Nordli[ 労 働 党 ]、Kåre Willoch[ 保<br />

守 党 ] 及 びKjell Magne Bondevik[キリスト<br />

教 民 主 党 ])と 次 の 論 評 をノルウェー 主 要 紙 に 共<br />

同 寄 稿 している 57 。<br />

外 国 の 原 子 力 を「 既 にあるもの」として( 積 極<br />

的 でないにせよ) 受 容 し、そうであるならばこれ<br />

をせめてより 安 全 なものにする 必 要 があること<br />

を 示 唆 するブルントラントの 発 言 は、 原 発 非 保 有<br />

国 ノルウェーの 原 子 力 政 策 を 示 したものとして<br />

小 さくはない 意 味 を 持 っている。というのは、 自<br />

国 が 最 善 とは 考 えない 原 子 力 発 電 を 他 国 が 採 用<br />

するにあたって、ノルウェーが 研 究 開 発 の 面 で 力<br />

不 拡 散 、 軍 縮 、 及 び 原 子 力 平 和 利 用 の 確<br />

立 された 諸 原 則 の 有 効 性 を 再 確 認 するこ<br />

とが 重 要 である。7カ 国 イニシアチブを<br />

主 導 していることで、ノルウェーはこの<br />

[NPT 再 検 討 ] 会 議 の 成 功 裏 の 結 論 に 貢<br />

献 するかもしれない<br />

を 貸 すことは 何 ら 矛 盾 しないという 理 論 構 築 が<br />

可 能 となるからである。<br />

もちろん、このような 政 府 の 方 針 には 国 内 でも<br />

論 争 もある。 原 子 力 研 究 開 発 が 正 当 化 されるか 否<br />

かは、あくまでもその 内 容 による、というのであ<br />

る。 例 えばノルウェー 国 会 のエネルギー 環 境 委 員<br />

会<br />

59 (Ingvild Vaggen Malvik[ 社 会 主 義 左 翼 党 ]、<br />

つまり、 民 生 原 子 力 利 用 を、 既 存 の 国 際 体 制 下<br />

で 確 立 された「 核 軍 拡 、 核 拡 散 に 対 置 する 規 範 」<br />

として 認 めていることになる。ブルントラントは、<br />

福 島 第 一 原 子 力 発 電 所 事 故 の 後 の 2014 年 4 月 で<br />

すら、スタンフォード 大 学 の 基 調 講 演 の 質 疑 にお<br />

いて 次 のように 述 べている 58 。<br />

Heidi Sørensen[ 同 左 ]、Åsa Elvik[ 同 左 ]<br />

Hallgeir H. Langeland[ 同 左 ])が 2003 年 11 月<br />

にまとめた 報 告 書 は、ハルデン 計 画 において 実 施<br />

されている MOX 燃 料 試 験 の 停 止 を 勧 告 した 60 。<br />

MOX 燃 料 は、 使 用 済 み 核 燃 料 を 再 処 理 し、 分 離<br />

されたプルトニウムとウランを 混 合 したもので<br />

原 子 炉 に 再 装 荷 することが 可 能 とされ、 日 本 でも<br />

再 生 可 能 エネルギーに 我 々が 移 行 するに<br />

つれ、エネルギー 効 率 は…、[ 再 生 可 能 エ<br />

ネルギーとは] 太 陽 光 、 風 力 、あるいはそ<br />

れはもしかしたら 原 子 力 かも 知 れないま<br />

せんが、「もしかしたら」、という 言 葉 を 使<br />

実 績 がある。だがエネルギー・ 環 境 委 員 会 は、プ<br />

ルトニウムを 使 用 する 以 上 、 核 拡 散 上 の 懸 念 を 払<br />

しょくする 必 要 があるとの 立 場 を 示 した。(MOX<br />

燃 料 試 験 は 同 委 員 会 の 勧 告 にかかわらず 継 続 し<br />

ている)。<br />

| - 107 |-


一 方 、ノルウェーの 環 境 保 護 団 体 の 主 張 はもう<br />

への 関 与 は 依 然 として 大 きなものがある。<br />

少 しはっきりしている。つまり、ハルデン 計 画 の<br />

活 動 が 何 であれ、その 存 在 そのものに 対 して 明 確<br />

に 反 対 の 立 場 をとっている。 放 射 性 廃 棄 物 管 理 上<br />

7. おわりに<br />

の 環 境 影 響 及 び、 安 全 性 、 核 拡 散 上 の 懸 念 から 原<br />

子 力 発 電 に 反 対 しているためである。 例 えば、 環<br />

境 保 護 団 体 「Natur og Ungdom」(「 環 境 と 若 者 」)<br />

が 2016 年 、ハルデン 計 画 が、 全 世 界 の 老 朽 化 し<br />

た 原 子 炉 の 延 命 に 使 われている 原 子 力 発 電 の 存<br />

続 に 力 を 貸 しているとして、 同 計 画 に 用 いられる<br />

研 究 炉 の 運 転 認 可 を 更 新 しないよう 声 明 を 出 し<br />

ている 61 。<br />

さかのぼると、1993 年 9 月 同 国 の 環 境 運 動 家<br />

がハルデン 計 画 を 実 施 している IFE の 敷 地 に 侵<br />

入 し、 埋 設 されていた 低 レベル 放 射 性 廃 棄 物 を 封<br />

入 したドラム 缶 を 掘 り 起 こしたことがあった 62 。<br />

また、 有 力 反 核 運 動 団 体 「Bellona」は 1999 年<br />

10 月 に IFE の 廃 棄 物 問 題 について 刑 事 告 訴 63 、<br />

さらに 2013 年 にも IFE の 受 託 研 究 が 外 国 の 核<br />

の 軍 事 利 用 を 後 押 ししているとして 刑 事 告 訴 し<br />

た 64 。これは、IFE の 核 燃 料 試 験 が 同 国 の 原 子<br />

力 潜 水 艦 の 燃 料 の 改 良 に 用 いられているとい<br />

うブラジルの 新 聞 報 道 を 受 けたものであった。<br />

(ノルウェー 外 務 省 はこの 疑 惑 を 明 確 に 否 定 し<br />

ているが 真 相 は 不 明 )これらの 反 対 意 見 があるも<br />

のの、 福 島 原 子 力 発 電 所 事 故 の 発 生 以 後 も、ノル<br />

ウェーの 歴 代 政 権 は 基 本 的 には 原 子 力 研 究 を 維<br />

持 してきており、それは 外 国 の 原 子 力 推 進 政 策 に<br />

間 接 的 に 協 力 することによってなされている、と<br />

いっても 過 言 ではない。<br />

ところで、ハルデン 炉 においては、2012 年 1<br />

月 にはトール・エナジー(Thor Energy) 社 を 筆<br />

頭 とするコンソーシアムが、 核 拡 散 抵 抗 性 と 原 子<br />

力 安 全 に 優 れたプルトニウムとトリウム 232 を<br />

混 合 した MOX 燃 料 を 開 発 するとして、 照 射 実 験<br />

を 開 始 している 65 。ノルウェーの 原 子 力 研 究 開 発<br />

ノルウェーでは 1970 年 代 を 通 して、 原 子 力 発<br />

電 を 推 進 しないという 合 意 が 形 成 された。 水 力 資<br />

源 が 豊 富 であるうえに 油 田 が 発 見 されたことや、<br />

反 原 子 力 運 動 が 勃 興 したためである。しかしノル<br />

ウェーには、 単 独 で 莫 大 な 予 算 を 投 じるまでもな<br />

く、 多 国 間 で 研 究 開 発 を 続 けていくことの 出 来 る<br />

ハルデン 計 画 という 仕 組 みが 存 在 していた。<br />

一 つには、 冷 戦 下 におけるソ 連 からの 圧 迫 、 原<br />

子 力 開 発 における 英 米 仏 の 主 導 権 争 いという 錯<br />

綜 する 国 際 環 境 においてノルウェーが<br />

EURATOM ではなく OEEC をハルデン 計 画 の<br />

国 際 協 力 の 枠 組 みとして 選 択 したことが 大 きい。<br />

OEEC/ENEA はやがて OECD の 専 門 機 関<br />

OECD/NEA へと 発 展 し、のちに 欧 州 以 外 の 先 進<br />

工 業 国 、アメリカ、 日 本 、カナダ、トルコ、オー<br />

ストラリア、メキシコ、ロシア 66 、 韓 国 と 地 理 的<br />

に 広 範 な 国 々を 包 含 することになった。ハルデン<br />

計 画 は 多 国 間 の 公 共 財 として 存 続 した。 計 画 への<br />

参 画 国 は 固 定 的 ではなく、 組 み 換 えが 柔 軟 であっ<br />

た。<br />

さらに 重 要 なことに、これは 逆 説 であるが、ノ<br />

ルウェーが 原 子 力 発 電 を 自 国 のエネルギーオプ<br />

ションとして 採 用 しなかったことがかえって 計<br />

画 の 存 続 を 許 したことがある 67 。 同 国 は 原 子 力 発<br />

電 の 導 入 を 見 送 ったからこそ、ハルデン 計 画 を 関<br />

連 技 術 の 保 持 と 発 展 の 手 段 とした。スリーマイル<br />

アイランド、チェルノブイリ、 福 島 と 原 子 力 発 電<br />

所 の 過 酷 事 故 が 発 生 すると、 原 子 力 発 電 の 導 入 の<br />

ためではなく、 既 存 の 原 子 力 発 電 所 の 維 持 や 改 良<br />

を 目 的 とした 試 験 や、 人 間 と 機 械 のインターフェ<br />

イス(Man-Mach<strong>in</strong>e Interface: MMI) 関 連 の 試<br />

| - 108 |-


験 等 、プ ログラムの 多 様 化 、 細 分 化 が 促 進 された。<br />

そのため、 外 国 での 大 事 故 に 呼 応 してノルウェ<br />

ー 国 内 で 原 子 力 反 対 運 動 が 盛 り 上 がったとして<br />

も、 外 国 の 原 子 力 発 電 の 安 全 性 を 向 上 させるとい<br />

う 名 目 である 以 上 、まして 国 内 の 原 子 力 発 電 を 推<br />

進 するわけではない 以 上 は、ハルデン 計 画 を 停 止<br />

く、 研 究 開 発 は 維 持 されてきたのである。そこか<br />

らノルウェーは、 原 子 力 研 究 開 発 の 産 業 界 への 波<br />

及 効 果 、 競 争 力 の 向 上 、そして 国 際 協 力 上 の「 信<br />

用 力 」の 確 保 という「 旨 み」を 見 出 した。こうし<br />

てハルデン 計 画 は 技 術 の 継 承 ・ 発 展 の 手 段 として<br />

存 続 してきたのである。<br />

させるまでの 国 民 間 の 合 意 は 形 成 されようもな<br />

1<br />

海 外 ではハルデン 炉 計 画 (Halden Reactor Project)<br />

と 呼 ばれるが、 本 稿 では 日 本 で 最 も 使 われる「ハル<br />

デン 計 画 」を 用 いる。<br />

2<br />

Institutt <strong>for</strong> energiteknikk – Halden Reactor<br />

Project, 50years of Safety-related Research:<br />

Halden Research Project 1958-2008 ( 刊 行 日 不 詳 )<br />

3<br />

Skjerve, Ann Britt, Bye, Andreas (Eds.) Simulatorbased<br />

Human Factors Studies Across 25 Years<br />

The History of the Halden Man-Mach<strong>in</strong>e<br />

Laboratory(New York: Spr<strong>in</strong>ger Verlag London<br />

Limited, 2010).<br />

4<br />

Norwegian Radiation Protection Agency, National<br />

Report, IMPLEMENTATION OF THE<br />

OBLIGATIONS OF THE CONVENTION ON<br />

NUCLEAR SAFETY IN NORWAY: The second<br />

Norwegian report <strong>in</strong> accordance with Article 5 of<br />

the Convention, October 8 2001.<br />

5<br />

Roland Wittje, “Nuclear Physics <strong>in</strong> Norway, 1933-<br />

1955” Physics <strong>in</strong> perspective 9 (2007) pp.406-433,<br />

Astrid Forland, Norway’s Nuclear Odyssey, from<br />

Optimistic Proponent to Non Proliferator, The<br />

Nonproliferation Review/W<strong>in</strong>ter 1997, pp.1-16,<br />

J.M. van Splunter, Love at First Sight, Cooperation<br />

between the Netherlands and Norway<br />

on the peaceful use of atomic energy, 1950-1960<br />

(pr<strong>in</strong>ted as IFS Info No 2 -1994).<br />

6<br />

重 水 とは D2O のこと。 通 常 の 水 素 H と 比 べ 質 量 が<br />

倍 の 水 素 ( 重 水 素 )D が 入 ったもの。 原 子 炉 の 減 速<br />

材 に 使 用 可 能 である。ノルウェーではノルスクハイ<br />

ドロ 社 が 第 二 次 世 界 大 戦 前 に 肥 料 生 産 の 副 産 物 とし<br />

て 獲 得 できる 重 水 施 設 を 建 設 した。 重 水 炉 は 利 用 で<br />

きる 原 爆 製 造 にプルトニウムを 効 率 よく 生 産 できる<br />

ため、ナチスドイツはノルウェーを 占 領 した 際 に、<br />

ノルスクハイドロ 社 の 重 水 製 造 施 設 を 差 し 押 さえた。<br />

しかし、ノルウェーによる 抵 抗 運 動 によって、ナチ<br />

スドイツの 核 兵 器 開 発 を 阻 止 するための 破 壊 工 作 が<br />

実 行 された。 戦 後 、ノルウェーは 条 件 付 きながらイ<br />

スラエルに( 単 純 に 数 量 で 言 えば) 数 百 発 の 原 爆 製<br />

造 を 可 能 とする 20 トンの 重 水 を 提 供 した。その 背<br />

景 には、 占 領 期 にユダヤ 人 のドイツへの 連 行 を 許 し<br />

てしまった 罪 悪 感 があったという。この 問 題 につい<br />

ては、Michael Karp<strong>in</strong>, The Bomb <strong>in</strong> the Basement:<br />

How Israel Went Nuclear and What That Means<br />

<strong>for</strong> the World (New York: Cimon & Schuster<br />

Paperbacks, 2007)に 詳 しい。また、 同 じく 戦 後 であ<br />

るが、チトー 統 治 下 のユーゴスラビアがノルウェー<br />

の 原 子 力 開 発 の 父 、ガンナー・ランダース(Gunnar<br />

Randers)に 重 水 の 購 入 を 打 診 していたとの 話 もあ<br />

る。こちらについては Andrew Koch, “Yugoslavia<br />

Nuclear Legacy: Should We Worry?”<br />

Nonproliferation Review, Spr<strong>in</strong>g/Summer 1997,<br />

pp.123-128 が 参 考 になる。<br />

7<br />

Wittje, op.cit<br />

8<br />

Ibid.<br />

9<br />

Alv<strong>in</strong> M. We<strong>in</strong>berg, “A Nuclear Journey Through<br />

Europe”, Bullet<strong>in</strong> of the Atomic Scientists, Volume<br />

X, Number 6, pp.215-217.(1954)<br />

10<br />

Alv<strong>in</strong> M. We<strong>in</strong>berg は 1972 年 に Trans-Science の<br />

概 念 を 提 唱 したことで 科 学 技 術 社 会 論 の 研 究 に 大 き<br />

な 影 響 を 残 したことでも 良 く 知 られている。 同 概 念<br />

は、 時 間 が 膨 大 にかかるため 答 えを 出 すことが 実 質<br />

的 に 不 可 能 であったり、 社 会 科 学 上 の 問 題 、 価 値 観<br />

の 問 題 によって 科 学 だけでは 問 えないような 領 域 の<br />

ことを 言 う。Alv<strong>in</strong> M. We<strong>in</strong>berg, "Science and<br />

Trans-Science," M<strong>in</strong>erva10 (1972): pp. 209-222。<br />

11<br />

We<strong>in</strong>berg, op.cit (1954)<br />

12<br />

Forland の 研 究 ( 前 掲 )によれば、ランダースは 1946<br />

年 に 防 衛 省 に 宛 てた 報 告 書 『 原 爆 』を 執 筆 している<br />

が 内 容 は 分 からないという。<br />

13<br />

Splunter, op.cit. p.13. ノルウェーとオランダの 協<br />

力 関 係 は、オランダが 共 同 開 発 を 解 消 し、JENER が<br />

清 算 されるまで 数 年 間 続 いた。<br />

14<br />

Report to the President by the special committee<br />

of the National Committee Council on Atomic<br />

Energy Policy with respect to the United K<strong>in</strong>gdom<br />

and Canada, Foreign Relations of the United<br />

States (FRUS) 1949 National Security Affairs,<br />

Foreign Economic Policy, Volume I, pp.443-446.<br />

15<br />

Ibid.<br />

16<br />

FRUS,1949. National security affairs, <strong>for</strong>eign<br />

economic policy, p.466.<br />

17<br />

Ibid.<br />

18<br />

Summary log of Atomic Energy Work <strong>in</strong> the office<br />

of the Under Secretary of the State, February 1<br />

1949 to January 31 1950, Department of State<br />

Atomic Energy Files, (Wash<strong>in</strong>gton DC Undated),<br />

FRUS, 1949, National Security Affairs, Foreign<br />

Economic Policy, Volume I, p.624.<br />

19<br />

保 守 党 議 員 だった 父 親 の 影 響 を 受 け、ランダースも<br />

左 翼 的 な 思 想 を 嫌 った。<br />

20<br />

950.7138/3.1650 Telegram, (from Villard), Charge<br />

<strong>in</strong> Norway to the Secretary of State, Oslo, March<br />

16, 1950, FRUS, 1950, National Security Affairs;<br />

Foreign Economic Policy, Volume I, pp.543-544.<br />

21<br />

Ibid.<br />

22<br />

フックスの 評 伝 として、ノーマン・モス『 原 爆 を 盗<br />

んだ 男 クラウス・フックス』( 壁 勝 弘 訳 )( 朝 日 新 聞<br />

社 、1989 年 )<br />

| - 109 |-


23<br />

Memorandum prepared <strong>for</strong> American members of<br />

the Comb<strong>in</strong>ed Policy Committee, April 18, 1950,<br />

FRUS, 1950, National Security Affairs; Foreign<br />

Economic Policy, Volume I, p.544.<br />

24<br />

FRUS, 1955-1957 Western Europe and Canada<br />

pp.486-489.<br />

25<br />

ランゲ 外 相 がアメリカのどの 原 子 力 協 定 を 念 頭 に<br />

標 準 協 定 と 述 べたかは 不 明 。1955-56 年 、アメリカ<br />

はフィリピン、タイ、 台 湾 ( 中 華 民 国 )、パキスタ<br />

ン、 日 本 とアジアの 国 々と 相 次 いで 最 初 の 原 子 力 協<br />

定 を 締 結 した。<br />

26<br />

ノルウェーは 原 子 力 協 力 の 要 請 をトルーマン 政 権 か<br />

ら 断 られた。この 苦 い 経 験 によって、ランゲ、ラン<br />

ダースはアイゼンハワー 政 権 との 交 渉 において「 押<br />

しの 強 い」 姿 勢 をとったのかもしれない。<br />

27<br />

Memo of conversation, “Atomic energy and<br />

European <strong>in</strong>tegration,” 25 Jan 1956,<br />

RG59,Special Assistant to the Secretary of<br />

Energy and Outer Space, Records relat<strong>in</strong>g to<br />

Atomic Energy Matters 1944-63, Box.363, NACP.<br />

28<br />

Telegram from the Secretary of State to the<br />

Embassy <strong>in</strong> Belgium, Wash<strong>in</strong>gton,<br />

Jan.1956,5:36pm, FRUS 1955-1957, Volume IV,<br />

European Integration, pp.399-400.<br />

29<br />

Memo of Conversation Subject: Atomic Energy<br />

and European Cooperation: OEEC M<strong>in</strong>isters<br />

Meet<strong>in</strong>g /Participants: Sir. Roger Mak<strong>in</strong>s, Mr.<br />

Strath, Mr. J.C.A. Roper British Embassy; Mr.<br />

Liv<strong>in</strong>gston Merchant, Assistant Secretary <strong>for</strong><br />

European Affairs; Mr. C. Burke Elbrcik, Deputy<br />

Assistant Secretary <strong>for</strong> European Affairs; Mr.<br />

Gerald Smith Special Assistant <strong>for</strong> Atomic<br />

Energy Affairs; Mr. Robert Barnett, Office of<br />

European Regional Affairs, Feb.21.1956,<br />

RG59,Special Assistant to the Secretary of<br />

Energy and Outer Space, Records relat<strong>in</strong>g to<br />

Atomic Energy Matters 1944-63, Box.363, NACP.<br />

30<br />

核 燃 料 を 製 造 するための 技 術 で、 原 爆 開 発 に 繋 がる<br />

ウランの 抽 出 も 可 能 な 技 術 。<br />

31<br />

Ibid.<br />

32<br />

Wayland Young (ed.) Exist<strong>in</strong>g Mechanisms of<br />

Arms Control, p.XIV.<br />

33<br />

Siegl<strong>in</strong>de Gstöhl, Reluctant Europeans: Norway,<br />

Sweden, and Switzerland <strong>in</strong> the Process of<br />

Integration, (Lynne Rienner Publishers, Boulder<br />

CO, USA: 2002), p.51.<br />

34<br />

実 際 、 多 国 間 の 原 子 力 協 力 の 枠 組 みとしてノルウェ<br />

ーが EURATOM ではなく OEEC を 選 んだのは、<br />

反 独 感 情 が 影 響 した 可 能 性 はある。<br />

35<br />

Geir Lundestad, “Empire” by Integration: The<br />

United States and European Integration, 1945-<br />

1997, (New York: Ox<strong>for</strong>d University Press, 1998)<br />

p.42.<br />

36<br />

Ibid.<br />

37<br />

Memorandum issued on 16 March 1957, Andrei<br />

Gromyko, Soviet Foreign M<strong>in</strong>ister, condemns the<br />

establishment of Euratom and the European<br />

Common Market. (Luxembourg: CVCE)<br />

38<br />

日 本 原 子 力 研 究 所 がノルウェー 原 子 力 研 究 所 をは<br />

じめとする、ハルデン 炉 計 画 に 参 画 する 諸 機 関 との<br />

間 で 締 結 した「OECD ハルデン 計 画 協 定 書 」による<br />

と、 対 象 期 間 は 1967 年 1 月 1 日 ~1969 年 12 月 31<br />

日 とされていた。<br />

| - 110 |-<br />

39<br />

アジア 原 子 力 センター 構 想 の 顛 末 については、 拙 稿<br />

「アジア 原 子 力 センター」 構 想 とその 挫 折 --アイゼ<br />

ンハワー 政 権 の 対 アジア 外 交 の 一 断 面 」『 国 際 政 治 』<br />

163 号 (2011 年 1 月 )14-27 頁 。<br />

40<br />

National Security Council, NSC 5725 “Peaceful<br />

Uses of Atomic Energy” Nov.22.1957 National<br />

Security Archive-George Wash<strong>in</strong>gton University<br />

(NSA-GWU).<br />

41<br />

Ibid.<br />

42<br />

増 田 益 によれば、イギリスは EEC を 内 包 する FTA<br />

を 形 成 し、 自 身 の 主 導 権 を 確 保 することを 目 指 し、<br />

アメリカの 発 案 による OEEC を 受 け 入 れることで、<br />

「アメリカをヨーロッパ 規 模 の 経 済 問 題 議 論 の 場<br />

に 制 度 的 に 組 み 込 む」ことを 企 図 したものだという。<br />

増 田 益 「OEEC 再 編 過 程 をめぐる 英 米 関 係 ,1959<br />

年 ―1961 年 」『 立 命 館 国 際 研 究 』23-2 October 2010,<br />

67-87 頁 。<br />

43<br />

Francis Sejersted、Madele<strong>in</strong>e B. Adams, The Age<br />

of Social Democracy: Norway and Sweden <strong>in</strong> the<br />

Twentieth Century<br />

44<br />

U.S. Atomic Energy Commission, Maritime<br />

Adm<strong>in</strong>istration, Department of Commerce, N.S.<br />

SAVANNAH PROGRAM DATA AND CHARTS,<br />

1962 – 1965.<br />

Dave Schleck “Nuclear Nostalgia: $2m Approved<br />

For Decommission<strong>in</strong>g Ns Savannah” Daily Press<br />

November 23. 2004.<br />

http://articles.dailypress.com/2004-11-<br />

23/news/0411230015_1_ghost-fleet-cargo-shipsmaritime-adm<strong>in</strong>istration<br />

2016 年 1 月 31 日 閲 覧 。<br />

45<br />

AAP の 活 動 の 開 始 時 期 は 大 体 1973-74 年 頃 ではな<br />

いだろうか。はっきりとした 記 録 はなく、Andrzej<br />

Siciński、Monica Wemegah, Alternative Ways of<br />

Life <strong>in</strong> Contemporary Europe では 1973 年 に 開 始<br />

されたとあり、エネルギー 研 究 所 ( 原 子 力 研 究 所 の<br />

後 継 組 織 )のまとめた 50years of Safety-related<br />

Research: Halden Research Project 1958-2008<br />

(『ハルデン 計 画 50 年 史 』)( 前 掲 )では 1974 年 頃<br />

と 述 べられている。<br />

46<br />

Sve<strong>in</strong> S. Andersen and Acta Sociologica, Conflict<br />

over New Technology: The Case of Nuclear<br />

Power Plann<strong>in</strong>g <strong>in</strong> Norway 1972-74 Vol. 23, No.<br />

4, Technology and Society (1980), pp. 297-310.<br />

47<br />

Ibid.<br />

48<br />

Reports of Two Energy Commissions: Sweden and<br />

Norway, IAEA BULLETIN- VOL 21, NO 1, p.47.<br />

49<br />

Ibid.<br />

50<br />

50years of Safety-related Research: Halden<br />

Research Project 1958-2008(『ハルデン 計 画 50 年<br />

史 』)( 前 掲 )p.16.<br />

51<br />

ハルデン 計 画 の 経 験 に 基 づき 開 発 された 機 器 は、ル<br />

ウェーの 油 田 開 発 にも 応 用 されるようになった。<br />

52<br />

The OECD Halden Reactor Project and the<br />

Institute <strong>for</strong> Energy Technology Halden<br />

activities An Evaluation Commissioned by the<br />

Research Council of Norway <strong>in</strong> 2000<br />

53<br />

JEEPⅡ 炉 は 1965 年 に 着 工 、66 年 に 初 臨 界 した 研<br />

究 炉 。<br />

54<br />

IFE, 2014 Annual Report, p.2.<br />

http://www.ife.no/en/ife/files/ife_annual_reports/i<br />

fe-annual-report-2014


2016 年 2 月 14 日 閲 覧 。<br />

55<br />

OECD/NEA は 原 子 力 を 一 貫 して 肯 定 評 価 している。<br />

例 え ば OECD/NEA, Technology Roadmap<br />

Nuclear Energy 2015 edition の 緒 言 (Foreword)<br />

において、ウィリアム・マグウッド OECD/NEA 事<br />

務 局 長 は、マリア・ファン・デル・フーフェン(Maria<br />

van der Hoeven)OECD/IEA(エネルギー 機 関 )<br />

事 務 局 長 とともに「 安 定 的 な 低 炭 素 ベースロード 電<br />

源 の 提 供 により、 原 子 力 (Nuclear Energy)は 電 力<br />

システムの 脱 炭 素 化 に 主 要 な 役 割 を 果 たす」と 述 べ<br />

ている。<br />

56<br />

ブルントラント 元 首 相 は 1984 年 に 国 連 に 設 置 され<br />

た 賢 人 会 議 「 環 境 と 開 発 に 関 する 世 界 委 員 会 」( 通<br />

称 ブルントラント 委 員 会 )の 委 員 長 を 務 めたことで<br />

有 名 である。1987 年 まで 会 合 を 重 ねて 纏 められた<br />

「Our Common Future」では、「 持 続 可 能 な 開 発 」<br />

概 念 が 打 ち 出 された。この 中 での 原 子 力 については<br />

次 の 通 り 曖 昧 な 記 載 となった。「 世 界 で 様 々な 国 が<br />

原 子 力 利 用 について 異 なる 立 場 を 取 っている。 委 員<br />

会 での 議 論 もまたこれら 異 なる 見 方 、 立 場 を 反 映 し<br />

た。しかし 全 委 員 は 引 き 起 こされる 全 ての 未 解 決 の<br />

問 題 に 対 する 確 固 とした 解 決 策 があれば、 原 子 力 発<br />

電 は 正 当 化 できるということについて 合 意 した」<br />

57<br />

Odvar Nordli Gro Harlem Brundtland Kare<br />

Willoch Kjell Magne Bondevik and Thorvald<br />

Stoltenberg “A Nuclear Weapons-Free World”<br />

Aftenposten June 6. 2009 (English translation)<br />

https://www.wag<strong>in</strong>gpeace.org/author/odvarnordli-gro-harlem-brundtland-kare-willoch-kj/)<br />

2016 年 2 月 10 日 閲 覧 。<br />

58<br />

Go Brundtlant, Keynote speech at the Conference<br />

“Connect<strong>in</strong>g the dots 2014” Stan<strong>for</strong>d University,<br />

April 18, 2014. スタンフォード 大 学 同 窓 会 の 公 式<br />

ウェブサイトに 埋 め 込 まれた 動 画 記 録<br />

https://tomkat.stan<strong>for</strong>d.edu/videos/connect<strong>in</strong>gdots-2014-keynote<br />

2016 年 2 月 14 日 閲 覧 。<br />

59<br />

ノルウェーでは 議 長 を 除 くすべての 国 会 議 員 は 12<br />

の 委 員 会 のいずれかに 所 属 する。 法 案 はまず 委 員 会<br />

で 審 議 され 提 出 される。<br />

60<br />

Innst. S. nr. 52 (2003-2004) Innstill<strong>in</strong>g til<br />

Stort<strong>in</strong>get fra energi- og miljøkomiteen<br />

Dokument nr. 8:61 (2002-2003)<br />

61<br />

Notat fra Natur og Ungdom Oppdatert<br />

10/02/2016<br />

62<br />

Norwegian Activists Break <strong>in</strong>, Activists<br />

break <strong>in</strong>, Dig up, Waste Barrels at<br />

Institute, Nucleonics Week<br />

September 16, 1993 Vol. 34; Issue 37<br />

63<br />

The Norwegian environmental group Bellona has<br />

filed a police compla<strong>in</strong>t Nucleonics Week<br />

November 11, 1999<br />

Volume 40; Issue 45<br />

64<br />

“Norway’s Halden reactor <strong>in</strong>stitute skirt<strong>in</strong>g law<br />

by shar<strong>in</strong>g nuclear research <strong>for</strong> potential military<br />

use” Bellona, Press Release September 11 2013<br />

http://bellona.org/news/nuclear-issues/2013-09-<br />

norways-halden-reactor-<strong>in</strong>stitute-skirt<strong>in</strong>g-lawby-shar<strong>in</strong>g-nuclear-research-<strong>for</strong>-potentialmilitary-use<br />

2016 年 2 月 14 日 閲 覧 。<br />

65<br />

2012 年 8 月 23 日 「ハルデン 炉 で 実 験 を 開 始 ノル<br />

ウェーがトリウム MOX 開 発 」 一 一 般 財 団 法 人 原<br />

子 力 産 業 協 会 海 外 ニ ュ ー ス<br />

http://www.jaif.or.jp/p5397/<br />

2016 年 2 月 14 日 閲 覧 。<br />

66<br />

ロシアは OECD/NEA に 2013 年 に 加 盟 。OECD へ<br />

の 加 盟 が 見 込 まれている 中 でのことであったが、そ<br />

の 後 のウクライナ 紛 争 をめぐる 米 ロ 対 立 で、OECD<br />

本 体 への 加 盟 は 棚 上 げされている(2016 年 2 月 現<br />

在 )<br />

67<br />

OEEC にはハルデン 計 画 の 他 にも、イギリスが 主 導<br />

したドラゴン 炉 計 画 、12 カ 国 (フランス、 西 ドイ<br />

ツ、ベルギー、イタリア、スウェーデン、オランダ、<br />

スイス、デンマーク、オーストリア、ノルウェー、<br />

トルコ、ポルトガル、スペ イン)が 参 加 した<br />

Eurochemic 社 の 事 業 (ベルギーのモルに 再 処 理 施<br />

設 を 建 設 )が 存 在 したが、 双 方 とも 1960 年 代 に 終<br />

了 している。ハルデン 計 画 との 違 いは、ドラゴン 炉<br />

計 画 も Eurochemic 社 も 原 子 力 発 電 国 を 拠 点 にし<br />

ているということである。OEEC のプロジェクト<br />

の 比 較 検 討 は 今 後 の 課 題 である。<br />

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