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日本語版 - 関西大学文化交渉学教育研究拠点

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ICIS Newsletter, Kansai University2ContentsICIS文 部 科 学 省 グローバルCOEプログラム関 西 大 学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点ICIS 第 1 回 研 究 集 会東 アジアにおける 書 院 研 究 …………………… 2コラム/ 空 気 を 読 むか、 読 まないか…………… 5高 田 時 雄 先 生 講 演 会敦 煌 吐 魯 番 における 言 語 接 触 ………………… 6関 西 大 学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 海 外 連 絡 所 の 開 設 …… 7活 動 報 告 ― 拠 点 教 育 状 況 ………………………… 8活 動 報 告 ― 創 生 部 会 ……………………………… 10連 載 コラム/ 食 の 文 化 交 渉 学 第 1 回 … ……… 12お 知 らせ…………………………………………… 13紀 要 募 集 要 項 ・ 編 集 後 記 ………………………… 15Institute for Cultural Interaction Studies, Kansai University


I C I S第 1 回 研 究 集 会東 アジアにおける 書 院 研 究2008 年 1 月 26 日 、 関 西 大 学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 と 二 松 学 舎 大 学 21 世 紀COEプログラム「 日 本 漢 文 学 研 究 の 世 界 的 拠 点 の 構 築 」の 共 催 により、 第 1 回研 究 集 会 「 東 アジアにおける 書 院 研 究 」が、 関 西 大 学 東 京 センターにおいて 開催 された。 東 アジアにおける 書 院 の 諸 相 をめぐり、 約 70 名 の 参 加 者 が 活 発 な 議論 を 交 わした。 当 日 の 報 告 者 と 報 告 内 容 は 次 のとおりである。書 院 研 究 の 現 状 と 展 望東 アジアにおける 書 院 研 究 の 展 望吾 妻 重 二 ( 関 西 大 学 ・ICIS 事 業 推 進 者 )書 院 ( 民 間 の 学 校 )とは、近 世 において 知 的 伝 統 やモラルを 形 成 した 拠 点 である。 東 アジアを 横 断 する 広 い 視 野 から 書 院 の 教育 機 能 の 総 合 的 な 研 究 を行 い、 東 アジアの 伝 統 的教 養 の 形 成 と 展 開 を 解 明することが 書 院 研 究 の 目 的 である。とくに 書 院 の 施 設 、運 営 方 法 、 講 学 の 形 式 と 内 容 、さらには 学 派 の 形 成 などを、 東 アジアにおける 文 化 交 渉 という 視 点 から、 各地 域 ・ 分 野 の 研 究 者 と 共 同 で 分 析 する。それは 今 日 に至 るまで 人 々が 保 持 しているその 地 域 「らしさ」の 解明 という 現 代 的 意 義 もある。中 国 における 書 院 研 究 の 現 状 と 課 題鄧 洪 波 ( 湖 南 大 学 ・ 教 授 )前 半 では、 藤 樹 書 院 などを 事 例 として、 中 、 日 、 韓の 書 院 の 沿 革 及 び 現 状 を 詳 述 し、 儒 学 を 主 とした 文 化交 渉 の 媒 体 として、 書 院 が 大 きな 役 割 を 果 たしたことを 示 し た。 後 半 で は、清 末 中 国 の 教 育 体 制 の改 編 により、 書 院 の 果たす 役 割 が 変 化 したことを 指 摘 した。 書 院 の変 容 を「 萌 芽 期 」、「 衰退 期 」、「 隆 盛 期 」と 三つの 段 階 に 分 け、 民 国初 期 から 現 在 に 至 る 書 院 研 究 の 実 態 を 紹 介 した。 書 院研 究 の 勃 興 は1980 年 代 以 降 の 東 アジア 諸 国 に 見 られる共 通 現 象 であり、 書 院 には 東 アジアにおける 文 化 交 渉研 究 の 可 能 性 が 存 在 している。韓 国 書 院 研 究 の 現 状 と 課 題薛 錫 圭 ( 韓 国 国 学 振 興 院 ・ 研 究 部 長 )まず 韓 国 における 書 院 の 成 立 と 推 移 について、 特 に 官学 である 成 均 館 ・ 郷 校 との 違 い、そして 祭 祀 機 能 に 特 化された 祠 宇 と 書 院 との 関連 性 が 示 さ れ た。16 世紀 中 葉 以 降 の 書 院 ・ 祠 宇の 建 立 の 動 きは、 粛 宗 期( 在 位 1674-1720)に 頂点 に 達 し、19 世 紀 中 葉には900ヶ 所 を 超 えるまでに 至 る。 一 方 、そうし2


ICIS Newsletter, Kansai Universityた 動 きは 近 代 以 降 、 朝 鮮 時 代 の 書 院 を 否 定 的 に 評 価 する論 拠 ともなった。 植 民 地 期 はもちろん、 独 立 回 復 後 もなお、 書 院 は 両 班 ・ 党 争 と 共 に 社 会 発 展 の 阻 害 要 因 とみなされたが、1960 年 代 後 半 以 降 の「 内 在 的 発 展 論 」や1980 年 代 以 後 の 関 連 資 料 の 整 理 等 により、 書 院 研 究 は著 しい 発 展 を 遂 げた。ヴェトナムにおける 伝 統 的 私 塾 に関 する 研 究 のための 予 備 的 報 告嶋 尾 稔 ( 慶 應 義 塾 大 学 言 語 文 化 研 究 所 ・ 准 教 授 )科 挙 制 度 は 陳 朝 期(13-14 世 紀 )に 本 格 的 に始 まったと 考 えられ、 黎朝 15 世 紀 に 学 校 制 度 とともに 整 備 発 展 し、 阮 朝 嗣徳 帝 期 (19 世 紀 末 )には全 国 7ヵ 所 で 行 われるようになった。 阮 朝 期 の 試験 自 体 は3 年 に1 度 行 われ、1919 年 まで 続 いた。 村 落 レベルでは 黎 朝 後 半 期 には 学 校 を 建 てる 活 動 が 盛 んであり、村 の 科 挙 受 験 者 、 合 格 者 が 構 成 員 となる 斯 文 会 、 科 挙 合格 者 を 祀 る 文 址 などが 存 在 した。また、 科 挙 下 位 レベルの 合 格 者 ( 一 場 、 二 場 、 秀 才 )が 自 宅 で 漢 文 教 育 を 行 い、帰 郷 した 科 挙 官 僚 などが 郷 学 を 開 くこともあった。 教 科書 には「 三 字 経 」、「 幼 学 五 言 詞 」や「 啓 童 説 約 」などが用 いられていた。書 院 の 諸 相 Ⅰ岳 麓 書 院 について鄧 洪 波 ( 湖 南 大 学 ・ 教 授 )宋 代 に 開 院 された 岳 麓 書 院 ( 現 湖 南 大 学 岳 麓 書 院 )は、中 国 「 四 大 書 院 」の 一 つに 数 えられる 名 門 書 院 である。とくに、 理 学 の 開 祖 で、 同 書 院 を 来 訪 した 朱 熹 と、 同書 院 の 中 心 的 教 授 であった 張 あとの 間 に 繰 り 広 げられた「 朱 張 会 講 」を 期 に、 書 院 が 隆 盛 を 極 めた。 朱 張 の学 を 王 道 とした 書 院 は、 後 に 陽 明 学 や 漢 学 も 取 り 入 れ地 位 を 確 立 し、 清 王 朝 から 経 済 支 援 を 得 られるまでに成 長 した。 岳 麓 書 院 は1903 年 の 教 育 改 正 で 湖 南 高 等 学堂 に 改 編 され、1926 年 に 湖 南 大 学 となる。 清 末 における 岳 麓 書 院 は、 儒 学 だけでなく、 洋 学 の 伝 授 にも 力 を注 いだ。1979 年 、 湖 南 大 学 が 岳 麓 書 院 を 修 復 し、 書 院文 化 研 究 所 を 設 立 した。「 岳 麓 書 院 データーベース」も構 築 中 である。陶 山 書 院 の 機 能 と 政 治 ・ 社 会 的 役 割薛 錫 圭 ( 韓 国 国 学 振 興 院 ・ 研 究 部 長 )明 宗 16 年 (1561 年 )に、 慶 尚 道 礼 安 県 に 建 立 された陶 山 書 院 は、 創 始 者 李 退 渓 の 学 問 的 遺 産 を 引 き 継 ぐとともに、 嶺 南 の 南 人 政 治 勢 力 の 中 核 に 位 置 していた。陶 山 書 院 は 他 の 書 院 と 同 様 、 祭 祀 機 能 と 教 育 機 能 を 兼ね 備 えている。 祭 祀 には 享 祀 と 致 祭 がある。 享 祀 は 毎年 春 と 秋 に 行 われ、 致 祭 は 朝 廷 から 礼 官 が 派 遣 されて行 われる。 陶 山 書 院 を 中 核 とする 南 人 勢 力 は、 長 く 政治 的 中 心 から 排 除 されてきた。しかし、 陶 山 書 院 院 長の 殺 害 事 件 (1626 年 )などを 期 に、 南 人 を 中 心 とする退 渓 学 派 の 結 束 が 固 まり、 嶺 南 における 政 治 的 公 論 の形 成 がなされた。19 世 紀 以 降 、 書 院 における 政 治 的 ・社 会 的 役 割 は 相 対 的 に 縮 小 されたが、2001 年 以 降 、 韓国 国 学 振 興 院 の 開 院 などを 経 て、 祭 祀 機 能 や 教 育 機 能が 回 復 されている。コメント馬 淵 昌 也 ( 学 習 院 大 学 ・ 教 授 )岳 麓 書 院 と 陶 山 書 院 に関 する 二 つの 報 告 をもとに、 中 国 と 韓 国 との書 院 の 類 型 の 違 いを 整理 し た。 ま ず、 中 国 の書 院 は 広 く 洋 学 等 の 諸学 を 取 り 入 れたのに 対して、 韓 国 の 場 合 は 伝統 の 保 持 に 重 点 を 置 いた。また、 中 国 の 書 院 は 地 域 的排 他 性 が 少 ないのに 対 して、 韓 国 の 書 院 には 地 域 的 な排 他 性 が 強 い。さらに、 中 国 の 書 院 の 政 治 性 の 弱 さと、韓 国 の 書 院 の 政 治 性 の 強 さも 指 摘 できる。 最 後 に、 中国 の 科 挙 制 度 は、すべての 男 子 に 開 かれたものであったのに 対 して、 韓 国 の 場 合 は 実 質 的 には 制 度 への 接 近可 能 性 が 両 班 層 に 限 られていた。


第 1 回 研 究 集 会 東 アジアにおける 書 院 研 究書 院 の 諸 相 Ⅱ書 院 としての 懐 徳 堂 について湯 浅 邦 弘 ( 大 阪 大 学 ・ 教 授 )懐 徳 堂 は、1724 年 大 坂 の 有 力 町 人 「 五 同 志 」 三 宅 石庵 を 迎 え 設 立 された。 一 時 期 閉 鎖 されるが、1910 年 に懐 徳 堂 記 念 会 が 設 立 され、1916 年 に 大 阪 市 東 区 に 重 建懐 徳 堂 が 竣 工 された。しかし1945 年 、 大 阪 大 空 襲 により 重 建 懐 徳 堂 は 書 庫 部 分 を 除 き 焼 失 する。 戦 災 を 免 れた 重 建 懐 徳 堂 蔵 書 は、1949 年 に 大 阪 大 学 に 寄 贈 された。「 懐 徳 堂 」の 名 称 や 構 成 員 、 経 営 母 体 、 教 科 書 など、 懐徳 堂 の 具 体 像 が 紹 介 され、 同 時 に 刻 書 ・ 成 書といった 出 版 事 業 や 江戸 幕 府 との 関 係 、 水 哉館 ( 中 井 履 軒 )の 経 書研 究 および 自 然 科 学 分野 での 業 績 など、 懐 徳堂 をめぐる 研 究 の 多 様な 視 点 が 示 された。特 別 講 演明 治 前 期 の 漢 学 塾 の 意 義戸 川 芳 郎 ( 二 松 学 舎 大 学 ・ 名 誉 教 授 )漢 文 教 育 は 作 文 教 育 を 根 幹 とし、 漢 学 塾 では 論 理 的思 考 に 基 づく 日 本 語 教 育 が 行 われていた。 明 治 初 期 に東 京 開 成 高 校 が 東 京 大 学 に 改 組 された。 東 京 大 学 は 欧米 近 代 の 学 術 を 身 に 付 ける 洋 学 を 中 心 としたが、 教 育カリキュラム 上 国 語 教 育 としての 日 本 語 文 修 得 が 課 され、その 根 幹 に「 漢 文 」 教 育 が 置 かれた。 中 村 正 直 や三 島 中 洲 らが 漢 文 学 の 講 師 として、 東 京 大 学 での 漢 文教 育 に 携 わった。しかし、 東 京 大 学 が 帝 国 大 学になると、 漢 文 作 文 科 目が 廃 止 される。 国 語 概 念が 成 立 していくにつれ、日 本 語 の 中 に 漢 文 が 含まれていたという 事 実そのものが 放 棄 されていったのである。泊 園 書 院 について陶 徳 民 ( 関 西 大 学 ・ICIS リーダー)幕 末 明 治 期 の 思 想 状 況 と 泊 園 書 院 とのかかわりをテーマに、 二 つの 事 例 が 取 り 上 げられた。1840 年 4 月1 日 、 荻 生 徂 徠 の 代 表 作 で、 中 国 で 出 版 された『 弁 名 』・『 弁 道 』( 清 板 二 弁 )の 入 手 を 祝 う 賀 宴 が 泊 園 書 院 にて催 された。「 寛 政 異 学 の 禁 」 以 降 、 日 本 で 冷 遇 されてきた「 徂 徠 学 派 」にとり、 両 書 の 中 国 での 出 版 が 慶 事 だったからだ。 明 治 期 に 入 ると、 藤 沢 南 岳 が 徳 教 重 視 の 教育 理 念 を 度 々 政 府 に 建 白 した。 日 清 戦 争 後 、 文 相 西 園寺 公 望 に 宛 てた「 上 西園 寺 公 書 」はその 一 例である。 南 岳 の 主 張 は結 局 聞 き 入 れ ら れ なかったが、『 教 育 勅 語 』発 布 後 の 教 育 界 における 熾 烈 な 思 想 闘 争 の 一幕 が 見 て 取 れる。コメント澤 井 啓 一 ( 恵 泉 女 学 園 大 学 ・ 教 授 )日 本 の 書 院 の 多 くは純 粋 な 民 間 教 育 学 校 とは 言 えず、 中 国 や 韓 国の 書 院 と 異 なる。 一 方 、日 本 の 藩 校 は 書 院 に 類似 した 民 間 学 校 と 言 えよう。こうした 相 違 点と 共 通 性 を 踏 まえ、 知の 流 通 をめぐる「 知 の商 品 化 」という 問 題 軸 を 設 定 したい。 日 本 における 儒学 の 発 展 は、 都 市 部 の 武 士 によって 担 われ、 一 方 の 中国 や 韓 国 では 郷 村 社 会 の 郷 紳 によって 担 われていた。そうした 社 会 経 済 的 実 態 の 違 いから、 東 アジアにおける「 知 の 商 品 化 」の 問 題 を 考 えることができる。4


ICIS Newsletter, Kansai University空 気 を 読 むか、 読 まないか―― 近 世 東 アジアにおける “ 場 ” と 文 化 交 渉岡 本 弘 道 ( 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 ・PD)18 世 紀 末 以 降 、 東 アジア 海 域 に 相 次 いで 来 航 した 欧米 船 の 航 海 記 の 中 で、 読 者 にとりわけ 強 い 印 象 を 残 すのがベイジル・ホールの『 朝 鮮 ・ 琉 球 航 海 記 』である。1818 年 に 初 版 が 世 に 出 ると 瞬 く 間 に 好 評 を 博 し、 数 年の 内 にオランダ・フランス・ドイツ・イタリアの 諸 語に 翻 訳 され、 海 賊 版 すら 出 回 ったという。 友 好 的 で 礼儀 正 しいなど、 琉 球 人 に 対 するその 好 意 的 な 記 述 の 数 々は、 当 時 なお 未 知 なる 東 洋 へのロマンチシズムと 結 びつき、 欧 米 世 界 に 広 く 受 け 入 れられたのである。【 王 子 の 招 宴 後 、 船 員 等 を 見 送 る 琉 球 人 たち】当 時 の 欧 米 世 界 にとって 驚 嘆 の 対 象 となったのは、琉 球 人 が 貨 幣 も 武 器 も 知 らない、とりわけ 貨 幣 についてはその 概 念 も 知 らないという 叙 述 であった。むろん、東 アジア・ 東 南 アジア 間 の 中 継 貿 易 によるかつての 琉球 の 繁 栄 を 振 り 返 れば、それが 事 実 と 異 なることは 言うまでもない。17 世 紀 以 降 、 琉 球 は 薩 摩 藩 そして 幕 藩体 制 に 従 属 すると 共 に、 清 朝 中 国 にも 臣 下 の 礼 をとっており、 両 者 の 矛 盾 を 引 き 受 ける 形 で、 対 日 関 係 等 琉球 の 内 情 についてこれを 隠 蔽 する 政 策 を 採 っていた。そのため、 外 来 者 に 対 しては 極 力 トラブルを 避 け、 平穏 に 退 去 してもらうことこそが 琉 球 側 の 希 望 であった。交 易 を 口 実 とした 恒 常 的 な 来 航 を 避 けるべく、 貨 幣 の流 通 の 実 態 を 極 力 見 せないようにしていたのも、ホール 等 英 国 船 員 たちに 補 給 物 資 が“ 無 償 ” 供 与 され、 概 して友 好 的 な 対 応 がなされたのもそのためである。当 時 の 東 アジアにおいては、 国 家 間 の 直 接 交 渉 やそれに 伴 う 摩 擦 ・ 衝 突 を 可 能 な 限 り 避 けるため、 軋 轢 の元 凶 となる 対 外 関 係 を 特 定 の――つまり 長 崎 の 出 島 や唐 人 屋 敷 のような――“ 場 ”に 押 し 込 め 遠 ざける 傾 向 があった。 相 互 のコミュニケーションはそれぞれの 場 によって 規 定 され、 各 々がその 場 の 空 気 を 読 むことによって 遂 行 された。このような 傾 向 は、その 前 提 を 共 有 しない 新 来 の 欧 米 人 たちをしばしば 苛 立 たせることになる。 琉 球 にしても、 日 清 の 狭 間 で 多 くの 制 約 と 矛 盾 を抱 えた 場 であった。そのような 場 に 踏 み 込 むに 際 しては、 踏 み 込 む 側 の“ 慎 ましさ”がなければ、 摩 擦 は 避 け 得ない。そして 十 分 な 敬 意 と 旺 盛 な 好 奇 心 がなければ、深 い 理 解 を 得 ることはできない。 本 書 における 琉 球 人との 交 流 は、その 中 での 幸 運 な 成 功 例 であったのではなかろうか。ホールは 琉 球 側 の 意 向 を 汲 む 形 でその 叙 述 の 末 尾 に、琉 球 が 交 易 上 重 要 でなく、 近 い 将 来 この 島 を 訪 れる 者もなかろうと 記 している。しかし、その 予 測 に 反 して以 後 多 くの 欧 米 船 が 琉 球 を 訪 れ、 隠 蔽 された 琉 球 側 の実 情 を 次 々に 明 らかにしていった。 結 果 、ホールの 描いた 牧 歌 的 な 琉 球 像 は 事 実 と 異 なる 幻 想 として 棄 却 されるに 至 る。だが、ホールたちが 見 た 琉 球 は 果 たして幻 想 に 過 ぎないのか。 後 続 の 来 航 者 が 見 た 琉 球 こそが“ 真実 ”と 言 えるのか。 少 なくとも、 後 続 の 来 航 者 たちは 貨幣 = 交 易 や、キリスト 教 、 条 約 関 係 などの 論 理 を 一 方的 に 持 ち 込 むことによって、 場 の 空 気 を 吹 き 飛 ばしてしまった。 自 己 主 張 しつつも 場 の 空 気 を 読 もうとしたホール 等 とは、 文 化 交 渉 の 質 が 全 く 異 なっていたと 言わざるを 得 ない。


I C I S高 田 時 雄 先 生 講 演 会敦 煌 吐 魯 番 における 言 語 接 触2008 年 2 月 22 日 、 高 田 時 雄 COE 客 員 教 授 による 講 演 会 「 敦 煌 吐 魯 番 における 言 語 接 触 」が 開 催 された。 西 域 諸 都 市 における 言 語 生 活 史 は 高 田 氏 の 主要 な 研 究 テーマのひとつであり、 敦 煌 及 び 吐 魯 番 (トルファン)における 言語 接 触 の 状 況 を 豊 富 な 文 書 史 料 を 用 いて 論 じられた。その 概 要 は 以 下 のとおりである。まず、シルクロードオアシス 都 市 の 言 語 接 触 について、 先 住 言 語 と 侵 入 言 語 との 関 係 を 主 軸 とするという基 本 的 構 図 が 提 示 された。 清 朝 以 降 になって 形 成 された 状 況 においては、 敦 煌 は 漢 文 化 圏 、 吐 魯 番 はウイグル 文 化 圏 に 属 するが、それ 以 前 の 言 語 文 化 的 背 景 は 現状 とはかなり 異 なっている。 敦 煌 及 び 吐 魯 番 の 言 語 史の 正 確 な 描 写 のためには、 各 オアシス 都 市 に 共 通 する側 面 と、 個 別 の 条 件 とを 見 極 める 必 要 がある。 敦 煌 及び 吐 魯 番 における 言 語 接 触 は、 前 出 の 先 住 言 語 と 侵 入言 語 との 関 係 でいえば、 侵 入 言 語 が 漢 語 であったという 共 通 性 を 有 している。前 漢 の 武 帝 期 に 経 営 が 開 始 された 植 民 都 市 である 敦煌 は、もと 異 民 族 の 居 住 地 であったが、 次 第 に 漢 族 の居 住 人 口 が 増 加 した。 唐 代 に 沙 州 が 置 かれ 内 地 と 変 わらない 制 度 が 施 行 される 頃 までには、 先 住 言 語 と 侵 入言 語 である 漢 語 との 相 克 を 経 て、 漢 語 使 用 が 高 い 水 準に 達 していたと 推 測 される。しかし8 世 紀 後 半 の 吐 蕃 王国 による 敦 煌 の 陥 落 、その 後 の 軍 事 的 支 配 にともない、今 度 はチベット 語 が 侵 入 語 となり、 広 範 囲 にわたって蔵 漢 二 言 語 が 併 用 された。なかでも 漢 人 の 非 識 字 層 がチベット 文 字 による 漢 語 書 写 を 行 ったことは 特 筆 に 値する。また10 世 紀 の 曹 氏 帰 義 軍 時 代 には、コータン 国とのあいだに 姻 戚 関 係 が 結 ばれていたことから、コータン 語 と 漢 語 の 二 言 語 併 用 も 行 われ、さらにウイグル語 等 の 行 われた 形 跡 も 認 められる。吐 魯 番 の 場 合 には、 敦 煌 とはやや 事 情 が 異 なり、 現地 語 の 文 書 が 用 いられた 痕 跡 が 存 在 しない。その 理 由のひとつには、 吐 魯 番 が 前 漢 元 帝 の 戊 己 校 尉 設 置 以 来 、中 原 や 五 涼 王 朝 の 支 配 を 経 て、 漢 人 の 独 立 王 朝 である麹 氏 高 昌 国 の 成 立 まで、 一 貫 して 漢 字 文 化 の 大 きな 影響 下 にあったことがあげられる。しかしその 度 合 いは敦 煌 ほどではなく、 唐 代 には 先 住 言 語 使 用 者 の 統 治 のために、 言 葉 に 巧 みなソグド 人 が 仲 介 者 として 雇 用 されていたことが、 出 土 史 料 からうかがわれる。また9 世紀 の 高 昌 ウイグル 王 国 の 成 立 後 も、ウイグル 独 自 の 漢字 音 を 用 いた 漢 字 文 化 が 継 承 された。 日 本 における 漢字 仮 名 まじり 文 に 似 た 漢 字 ウイグル 字 まじり 文 等 も 行われたが、 日 本 ・ 朝 鮮 ・ヴェトナムなどの 東 アジア 諸国 には 普 遍 的 に 見 られるこれらの 現 象 も、シルクロード 上 のオアシス 国 家 においては 唯 一 のことであり、 極めて 特 異 な 事 例 であると 指 摘 された。6


ICIS Newsletter, Kansai University北 京 連 絡 所 の 開 所 式 典2008 年 2 月 15 日 に 北 京 外 国 語 大 学 において、 関 西 大学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 ( 以 下 ICIS) 北 京 連 絡 所 の 開所 式 典 が 行 われた。 北 京 外 国 語 大 学 中 国 文 学 院 院 長 魏崇 新 氏 が 司 会 を 務 め、 北 京 大 学 、 清 華 大 学 、 中 国 社 会科 学 院 、 中 国 人 民 大 学 、 北 京 師 範 大 学 及 び 北 京 語 言 大学 などから 研 究 者 が 出 席 した。北 京 外 国 語 大 学 党 書 記 である 楊 学 義 氏 と 関 西 大 学 の河 田 悌 一 学 長 の 祝 辞 に 続 いて、 関 西 大 学 ICISサブリーダー 内 田 慶 市 教 授 がICISの 拠 点 概 要 について 説 明 した。拠 点 概 要 説 明 につづき、 北 京 外 国 語 大 学 中 国 海 外 漢 学研 究 センター 所 長 張 西 平 教 授 が、センターの 概 要 および 関 西 大 学 ICISとの 交 流 について 次 のように 紹 介 された。1 北 京 外 国 語 大 学 中 国 海 外 漢 学 研 究 センターが 関西 大 学 ICISの 最 新 情 報 をウェブサイトに 発 表 し、 両 校 の研 究 教 育 資 源 を 共 有 すること、2 国 際 シンポジウムを開 催 し、 研 究 者 と 学 生 が 交 流 していくこと、3テレビ会 議 システムを 用 いた 遠 隔 授 業 を 発 展 させて「 北 京 学術 フォーラム」を 開 設 すること、の3 点 である。協 定 書 への 署 名 ・ 交 換 に 続 いて、 関 西 大 学 拠 点 リーダーの 陶 徳 民 教 授 が「 井 上 哲 次 郎 と 内 藤 湖 南 ―― 近 代日 本 対 外 文 化 交 渉 史 の 新 しい 探 索 」と 題 する 記 念 講 演を 行 った。 近 年 発 見 された 史 料 に 基 づき、ドイツ 式 の国 家 主 義 を 信 仰 する 井 上 哲 次 郎 が、 井 上 の 師 でもあり、イギリス 式 の 自 由 主 義 を 信 仰 する 教 育 者 中 村 正 直 に 対して 行 った 批 判 、 東 洋 史 の 大 家 である 内 藤 湖 南 が、 民国 の 初 代 総 理 で、 親 友 の 熊 希 齢 らが 採 用 した 親 米 反 日政 策 に 対 して 行 った 非 難 について 明 らかにした。関 西 大 学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 海 外 連 絡 所 の 開 設上 海 連 絡 所 の 開 所 式 典2008 年 3 月 29 日 に、 上 海 ・ 復 旦 大 学 新 聞 学 院 培 訓 中心 において、 関 西 大 学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 (ICIS)上 海 連 絡 所 の 開 設 式 典 が 行 われ、 本 拠 点 と 復 旦 大 学 文史 研 究 院 、 歴 史 学 系 及 び 歴 史 地 理 研 究 所 との 間 で 学 術交 流 協 定 が 締 結 された。 式 典 には、 日 本 側 から 河 田 悌一 関 西 大 学 学 長 をはじめ6 名 が 出 席 し、 中 国 側 からは復 旦 大 学 の 学 長 補 佐 ・ 外 事 弁 公 室 主 任 の 陳 寅 章 教 授 をはじめ 来 賓 約 40 人 が 出 席 した。開 設 式 典 では、まず 復 旦 大 学 の 陳 寅 章 学 長 補 佐 と 関西 大 学 の 河 田 悌 一 学 長 が 祝 辞 を 述 べられた。その 後 、関 西 大 学 ICIS 拠 点 リーダーの 陶 徳 民 教 授 が、 文 化 交 渉 学教 育 研 究 拠 点 の 概 要 について 説 明 し、 続 いて 復 旦 大 学文 史 研 究 院 の 葛 兆 光 院 長 、 復 旦 大 学 歴 史 地 理 研 究 所 の満 志 敏 所 長 、 上 海 社 会 科 学 院 の 熊 月 之 副 院 長 から 祝 辞をいただいた。協 定 書 の 交 換 式 、 上 海 連 絡 所 のプレートの 除 幕 式 、記 念 撮 影 の 後 、 関 西 大 学 ICIS 事 業 推 進 者 の 吾 妻 重 二 教 授が、「『 儒 教 』 再 考 ―― 孔 子 、 十 三 経 、 新 儒 教 」と 題 する 中 国 語 による 記 念 講 演 を 行 った。 吾 妻 教 授 は、「 儒 教 」あるいは「 儒 学 」の 内 包 するものが、 単 純 に「 哲 学 」や「 思 想 」なのではなく、また「 宗 教 」なのでもない一 種 の「 総 合 的 な 言 説 」であり、「パラダイム」であるとの 指 摘 を 行 った。開 設 式 典 に 先 立 つ3 月 28 日 には、 河 田 学 長 ら6 名 が、ジョージタウン 大 学 (アメリカ) 在 復 旦 大 学 連 絡 事 務所 などの 視 察 を 行 った。 各 事 務 所 ・センターの 代 表 の現 状 紹 介 から、 欧 米 の 大 学 が 研 究 ・ 教 育 の 両 面 で 積 極的 に 復 旦 大 学 と 連 携 関 係 を 構 築 している 様 子 を 窺 うことができた。


活 動 報 告《 拠 点 教 育 状 況 》文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 の 教 育 プログラムを 担 う、 文化 交 渉 学 専 攻 ・ 東 アジア 文 化 交 渉 学 専 修 が2008 年 4 月に 開 設 された。その 第 1 期 生 として 大 学 院 博 士 課 程 前 期課 程 に10 名 、 後 期 課 程 に6 名 の 大 学 院 生 が 入 学 し、 文化 交 渉 学 を 学 んでいる。文 化 交 渉 学 専 攻 ・ 東 アジア 文 化 交 渉 学 専 修 課 程 のプログラムには 三 つの 目 標 がある。すなわち、1 複 眼 的 アプローチを 身 につけ、2 多 言 語 による 情 報 発 信 能 力 を 習 得し、3 国 際 的 にリーダーシップを 発 揮 できる 若 手 研 究 者を 養 成 することである。 国 際 的 なリーダーシップの 発 揮にはあと 数 年 後 まで 待 つことになるとして、 言 語 とアプローチの 習 得 については、それぞれ 多 言 語 発 信 能 力 を 養成 するための 外 国 語 教 育 プログラムと、ディシプリンの枠 を 超 えた 学 際 的 教 育 プログラムが 用 意 されている。多 言 語 教 育 プログラムでは、 中 国 語 、 韓 国 語 、 日 本 語 、英 語 について、アカデミックな 情 報 発 信 能 力 を 高 めるために、 少 人 数 クラスを 開 設 して 集 中 的 な 教 育 を 行 っている。 学 生 諸 君 は 三 つのアジア 言 語 のうち 一 つもしくは 二つと、 英 語 を 学 習 し、 二 つ 以 上 のアジア 言 語 と 英 語 を 用いて 情 報 発 信 を 行 う 訓 練 がなされている。また、 学 際 的 教 育 プログラムでは、 地 域 と 分 野 を 越 えて東 アジアを 認 識 することができるような、 複 合 的 なアプローチが 習 得 可 能 である。 東 アジア 世 界 における 各 地 域 文化 の 相 互 接 触 や 衝 突 、その 変 容 の 状 況 を、 文 化 交 渉 の 諸 相として 把 握 して、 一 国 を 中 心 にした 従 来 の 研 究 を 脱 皮 した東 アジアにおける 文 化 交 渉 そのものの、 複 合 的 な 人 文 学 研究 を 行 っている。2008 年 度 は、それぞれの 学 生 の 指 導 教員 が 行 う 演 習 のほかに、 次 の4 科 目 が 講 義 科 目 として 文 化交 渉 学 の 教 育 プログラムのなかで 行 われている。周 縁 プロジェクト(1) 講 義担 当 : 野 間 晴 雄2008 年 8 月 下 旬 から9 月 初 旬 にヴェトナムで 行 う 予定 のフィールドワークに 向 けて、ヴェトナムの 歴 史 、 地理 、 民 俗 などを 扱 った 論 文 を 輪 読 している。これまでは、ヴェトナムの 王 朝 の 変 遷 と 国 家 統 一 の 歴 史 、ヴェトナムの 都 城 の 変 遷 史 、 家 譜 を 利 用 した 分 析 、 土 着 化 した 華 人である「 明 郷 人 」に 関 する 文 化 人 類 学 的 調 査 研 究 などについて 学 んできた。テーマ 設 定 からフィールドワークに基 づく 調 査 、データの 集 積 と 整 理 、 報 告 書 の 作 成 までが一 つのプログラムとなっており、 実 地 調 査 をもとにアウトプットする 方 法 を 学 ぶことが 可 能 である。文 化 交 渉 学 (1)A 講 義担 当 : 藤 田 高 夫 / 内 田 慶 市藤 田 高 夫 ( 前 半 )と 内 田 慶 市 ( 後 半 )の 両 教 授 が「 西学 東 漸 」という 共 通 テーマで 担 当 する。 前 半 では、 近 代の 日 本 、 中 国 における 学 問 としての 歴 史 学 の 発 展 を 通 史8


ICIS Newsletter, Kansai University的 に 追 うことで、 文 化 交 渉 学 の 今 後 の 方 向 性 を 探 っている。 具 体 的 には、 桑 原 隲 藏 や 白 鳥 庫 吉 らが 西 洋 のオリエンタリズムを 参 照 しながら、 日 本 における「 東 洋 史 」を如 何 に 成 立 させようとしたのか、また 梁 啓 超 や 章 炳 麟 らが 日 本 の「 東 洋 史 」の 枠 組 みを 参 照 しながら、 中 国 国 史を 如 何 に 成 立 させようと 試 みたのかという、ディシプリンが 創 造 される 際 の 交 渉 過 程 を 詳 しく 学 べる。とくに、領 域 横 断 的 に 歴 史 を 記 述 し、 中 国 の 歴 史 を 相 対 化 するという、 日 本 における 初 期 の「 東 洋 史 」が 目 指 していた 目的 を 再 検 証 することで、 構 想 としての 文 化 交 渉 学 のアウトラインを 理 解 することができる。東 アジア 地 域 研 究 ( 北 東 ) 講 義担 当 : 薮 田 貫主 に 東 アジアにおける 接 触 ・ 衝 突 ・ 受 容 ・ 変 容 の 具 体的 諸 相 が 取 り 上 げられている。また 講 義 では、 歴 史 学 ・地 理 学 ・ 文 化 人 類 学 などの 分 野 を 越 境 して、 文 化 交 渉 学の 方 法 論 が 提 示 される。 具 体 的 には、 日 本 列 島 を 中 心 とした、 宣 教 師 の 往 来 などを 題 材 に、 中 国 文 化 や 欧 米 文 化が 海 を 越 えて 日 本 に 到 来 したときの、 日 本 文 化 の 展 開 について 検 討 を 加 えている。 藪 田 教 授 は 欧 米 文 化 に 詳 しく、英 語 にも 堪 能 であり、 欧 米 の 人 々の 価 値 観 と 考 え 方 も 折に 触 れて 紹 介 している。また、 時 には、 関 西 大 学 大 学 院文 学 研 究 科 の 欧 米 人 留 学 生 も 授 業 に 参 加 し、 彼 らの 研 究発 表 を 聞 く 機 会 も 提 供 されている。文 化 交 渉 学 海 外 共 同 研 究 (1) 講 義担 当 : 内 田 慶 市遠 隔 会 議 システムを 利 用 して、 中 国 との 遠 隔 講 義 を行 っている。 関 西 大 学 は 北 京 外 国 語 大 学 と 学 術 交 流 協 定を 締 結 しているため、 学 生 は 日 本 にいながら 北 京 にある様 々な 大 学 の 教 授 陣 の 講 義 を 受 けることができる。 近 代以 降 の 日 中 語 彙 交 流 や 近 代 における 日 本 人 の 中 国 書 の 探求 など、 言 語 における 文 化 接 触 をテーマにした 講 義 が 中心 となっている。 講 義 では、まず 初 めに 中 国 側 の 担 当 者から 遠 隔 講 義 を 受 け、 次 の 講 義 では 日 本 側 の 担 当 者 から補 足 説 明 を 受 けて、 理 解 をより 深 いものへとする 形 式 がと ら れ て い る。 ま た、 関 西 大 学 が 持 つ 授 業 支 援 型e-Learningシステム「CEAS」を 利 用 し、 資 料 の 配 布 や講 義 を 収 録 したビデオの 配 信 を 試 みるなど、 授 業 をサポートする 体 制 も 整 えられている。


活 動 報 告《 創 生 部 会 》要 な 意 義 を 秘 めている。() 複 数 の 異 なる 価 値 観 ・ 世界 観 の 交 差 点 である 琉 球 から 文 化 交 渉 の 本 質 に 迫 る。2007 年 11 月 から2008 年 3 月 末 までの 間に、 創 生 部 会 が7 回 開 催 された。それぞれの報 告 要 旨 は 以 下 のとおりである。木 村 自「『 憑 きもの』 言 説 から 見 る 雲 南 ムスリムの他 者 包 摂 ―― 雲 南 とビルマの 事 例 から」雲 南 省 とビルマにおいて 行 ったフィールドワークの 事例 を 紹 介 し、 精 神 疾 患 の 説 明 体 系 において、ビルマでは周 辺 他 民 族 の 精 霊 が 出 現 し、 他 者 の 包 摂 と 呼 ぶべき 現 象が 見 られることを 指 摘 した。第 5 回 創 生 部 会 :2007 年 12 月 14 日第 4 回 創 生 部 会 :2007 年 11 月 0 日増 田 周 子「 日 本 近 現 代 文 学 と 東 アジア 文 化 交 渉 学 」「 民 謡 」という 概 念 が、 民 謡 ブームやレコード 会 社 の影 響 によって 変 容 したことを 指 摘 し、 民 謡 に 関 連 する 近現 代 の 日 本 の 雑 誌 や 東 アジアの 雑 誌 、あるいは 出 版 文 化の 比 較 を 行 った。また 新 民 謡 運 動 の 植 民 地 における 広 がりや、 東 アジアを 題 材 に 作 品 を 発 表 した 知 識 人 や 作 家 に関 する 研 究 テーマを 挙 げ、 文 学 における 文 化 交 渉 の 可 能性 を 指 摘 した。佐 藤 実「 回 儒 ( 中 国 ムスリム 知 識 人 )と 文 化 交 渉 」前 近 代 の 中 国 におけるムスリム 知 識 人 ( 回 儒 )の 思 想的 営 為 についての 研 究 は、これまで 未 開 拓 の 分 野 であった。 近 年 、 比 較 的 容 易 に 入 手 できるようになった 中 国 イスラーム 漢 籍 を 使 用 し、かれらの 思 想 、 儀 礼 を 読 み 解 くことで、 儒 教 とイスラームにおける 文 化 的 交 渉 の 解 明 を目 指 す。岡 本 弘 道「 琉 球 王 国 史 研 究 のポテンシャル― 境 界 領 域 からみた 文 化 交 渉 」琉 球 王 国 史 研 究 の 潜 在 的 可 能 性 について 以 下 の 指 摘 をおこなった。(1) 多 様 な 関 連 資 料 が 利 用 可 能 になったことから、さらに 各 研 究 分 野 間 の 相 互 交 流 を 充 実 させて、「 周 縁 」としての 琉 球 の 研 究 をおこなう。(2) 明 朝 の「 朝貢 体 制 」における「 華 夷 秩 序 」の 検 討 に 琉 球 の 事 例 は 重高 橋 誠 一「 石 敢 當 と 文 化 交 渉 ― 奄 美 諸 島 を 中 心 として―」石 敢 當 の 伝 播 と 分 布 をめぐる 問 題 から、 文 化 交 渉 学 のあり 方 を 模 索 する。 奄 美 諸 島 における 石 敢 當 は 形 態 などの 特 徴 から 鹿 児 島 の 石 敢 當 に 近 い。 明 治 以 降 、 鹿 児 島 の大 工 ・ 石 工 等 により 喜 界 島 に 伝 えられたとみられる。さらに 日 本 全 土 における 伝 播 を 考 えると、 首 里 ・ 那 覇 から鹿 児 島 、さらには 江 戸 への 伝 播 を 軸 としつつも 多 方 向 的かつ 交 錯 的 なものとして 理 解 すべきである。伏 見 英 俊「チベット 学 と 文 化 交 渉 」チベットでは、 仏 教 の 教 えについてはインド 流 を 正 統とし 受 容 してきたが、 聖 典 の 印 刷 技 術 は 主 に 中 国 から 導入 した。 木 版 印 刷 は 種 々の 文 化 の 影 響 下 にあったといえる。 現 存 する 木 版 本 資 料 からは 木 版 印 刷 に 関 する 様 々な情 報 を 読 み 取 ることができ、 文 化 交 渉 学 としてのチベット 出 版 文 化 研 究 の 可 能 性 を 示 唆 した。10


ICIS Newsletter, Kansai University第 6 回 創 生 部 会 :2007 年 12 月 27 日陶 徳 民「ICISの 研 究 プロジェクトに 関 する 二 、 三 の 提 案 」ICISプロジェクト・リーダー 陶 徳 民 教 授 から、 関 西 大 学の 伝 統 的 な 学 術 リソースを 存 分 に 活 用 することで、 関 西 大学 の 学 問 的 伝 統 を 発 展 的 に 継 承 していくことなどが 提 起 された。これらの 提 案 をうけ、4つの 地 域 班 ( 北 東 アジア 班 、沿 海 アジア 班 、 内 陸 アジア 班 、アジア 域 外 班 )による 研 究プロジェクトの 可 能 性 、また 教 育 研 究 拠 点 として、 人 材 養成 面 での 重 要 性 についても 議 論 された。第 7 回 創 生 部 会 :2008 年 1 月 18 日フィールドの 可 能 性 に 注 目 した。さらには 周 縁 としての日 本 、または 欧 米 を 中 心 とした 場 合 の 周 縁 としての 日 ・中 ・ 韓 という 周 縁 概 念 の 適 用 の 可 能 性 を 指 摘 した。高 田 時 雄「ヨーロッパ 中 国 語 学 の 発 展 と 印 刷 術 」ヨーロッパにおける 漢 語 学 の 変 遷 を、 印 刷 技 術 の 発 展に 結 び 付 けて 探 った。ヨーロッパにおいて 漢 語 学 関 係 の書 物 を 出 版 する 際 には、 漢 字 印 刷 用 の 活 字 の 製 造 が 課 題であった。17 世 紀 からはじまる 漢 字 活 字 の 製 造 は 次 第に 質 をあげ、19 世 紀 にはモントゥッチ(Montucci)が中 国 語 辞 書 の 編 纂 のために 活 字 の 製 造 に 尽 力 する。また、19 世 紀 中 葉 には、キリスト 教 ミッションがアジアで 漢字 活 字 を 作 成 し、ヨーロッパの 漢 語 学 に 大 きな 影 響 を 与えた。第 9 回 創 生 部 会 :2008 年 3 月 15 日第 10 回 創 生 部 会 :2008 年 3 月 21 日高 田 時 雄「ロシアの 中 央 アジア 探 検 隊 所 獲 品 と 日 本 」ロシアは19 世 紀 末 以 降 、 中 央 アジアにおける 考 古 学的 調 査 を 開 始 する。 本 発 表 ではロシアが 中 央 アジアに 派遣 した 探 検 隊 を 紹 介 し、 探 検 隊 の 特 徴 や 重 要 な 発 見 について 解 説 をおこなった。また 探 検 隊 がもたらした 文 献 ・文 物 を 研 究 した 日 本 人 学 者 や、かれらと 交 流 したロシア人 学 者 が 紹 介 され、 東 洋 学 の 系 譜 の 一 端 が 示 された。ロシアがあつめた 中 央 アジア 文 献 は 手 つかずのものが 多く、 新 たな 史 料 研 究 をおこなう 必 要 性 を 提 言 した。第 8 回 創 生 部 会 :2008 年 2 月 15 日藪 田 貫「 東 アジア 文 化 交 渉 学 と 近 世 日 本 」伝 統 ある 関 西 大 学 日 中 関 係 史 研 究 が、「 東 アジア 文 化交 渉 学 」によって 新 たな 潮 流 となるべく 方 策 を 提 示 した。周 縁 地 域 としての 長 崎 研 究 の 動 向 を 紹 介 したうえで、 新たな 視 点 として 九 州 / 日 本 、あるいは 九 州 / 西 海 の熊 野 建「 文 化 交 渉 学 と 文 化 人 類 学 」High culture( 大 伝 統 )と 大 衆 文 化 ( 小 伝 統 )とのインターフェイスとして、 文 化 交 渉 を 捉 えようとしたレッドフィールドの 業 績 を 紹 介 し、マクロな 世 界 システムとミクロな 社 会 の 反 応 を 記 述 する 人 類 学 の 特 徴 を 確 認 した。そのうえで 東 アジアと 文 化 交 渉 との 関 係 については、華 僑 華 人 やムスリムを 受 け 入 れてきた 東 南 アジア 社 会の、 文 化 共 存 の 様 態 を 探 ることが 課 題 となると 指 摘 した。11


第 一 回ワンワンも 国 境 を 越 える西 村 昌 也 ( 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 ・ 助 教 )連 載 第 一 回 だからワンちゃんの 話 を 一 つ。東 アジア 食 文 化 の 共 通 項 に、“ 犬 食 ”がある。ぎょっとする 人 もいるかもしれないが、 日 本 、 朝 鮮 半 島 、 中 国 、ヴェトナムともに、 犬 食 の 歴 史 が 長 いことが、 考 古 学 や文 献 の 資 料 から 窺 える。 犬 は 狩 猟 採 集 の 時 代 より 人 間 に一 番 近 い 愛 玩 動 物 であったことは 確 かだが、その 肉 としての 価 値 も 昔 から 認 められていたようだ。 朝 鮮 半 島 の 犬鍋 や 中 国 の 貴 州 犬 鍋 は 有 名 だし、 日 本 でも 中 世 の 絵 巻 物に 犬 肉 が 売 られている 光 景 がある。ヴェトナムでは、 犬を 食 用 家 畜 として 飼 っている 村 があり、 市 場 でも 売 られている。 犬 肉 料 理 屋 では、 煮 込 み、スープ、チャーシウ状 のたたき、 腸 詰 めなど 種 類 も 豊 富 で、レモングラスや各 種 香 草 と 付 け 合 わせて 食 べるのが 流 儀 。 中 でも 腸 詰 めは 絶 品 で、“ 腸 詰 めを 食 べなきゃ 死 ねない!“という 言 い回 しもあるくらい。 面 白 いのは、キン 族 (ヴェトナムの多 数 民 族 )の 観 念 では、 陰 暦 の 月 の 前 半 に 食 べることは縁 起 が 悪 く、 後 半 になると 犬 肉 レストランの 客 足 がぐっと 伸 びる。 商 売 をする 人 たちが 縁 起 担 ぎをすることに 関係 するようだ。また、なにか 大 きな 出 来 事 があったときにみんなで 食 べたりすることもあり、 地 方 では 結 婚 式 や宴 会 の 料 理 に 出 ることも 多 い。だからといって、ヴェトナム 人 は 犬 をペットとして飼 っていないかというと、そんなことはない。1990 年代 初 頭 、 中 国 経 由 で 入 ってきた 毛 が 長 くふさふさした 犬種 は“ 日 本 犬 ”と 呼 ばれ、ペットとして 高 い 値 段 で 売 り 買いされていたし、 家 に 犬 を 飼 うのは 普 通 のことで、 犬 肉料 理 屋 の 主 人 もペットとして 飼 っている。 一 目 瞭 然 なのは、ペット 犬 と 食 用 犬 では、 目 つきが 全 然 違 って、 食 用犬 は 目 つきがトロンとして、まるで 人 生 を 悲 しく 悟 ってしまったという 感 じである。ちなみに 食 用 にされるのは在 来 種 のもので、 西 洋 系 統 の 犬 は 一 切 食 されていない。そういえば、 日 本 でも“ 赤 犬 はうまい”ということを 聞 いたことがある。ここで、クイズをひとつ。 食 べる 犬 と 食べない 犬 はどう 区 別 するか?答 えは、 名 前 があるか、ないかである。 農 村 に 行 くと家 で 飼 う 犬 でも、 名 前 なんてなくて“Cho!( 犬 !)”なんて 呼 ばれている。そういう 犬 は、もしかしたら 明 日 捕 らえられて 肉 になるかもしれないのだ。 要 は 犬 に 人 格 ならぬ 犬 格 を 認 めるかどうかの 問 題 らしい。ところで、1994 年 に 中 越 国 境 のランソンに 行 ったときに、かごに 入 れられたたくさんの 子 犬 が 中 国 に 売 られていくのをみて、びっくりしたが、その 頃 は 犬 や 猫 などが 食 用 に 広 東 などへ 密 輸 されるために、 都 市 や 農 村 で 犬猫 の 誘 拐 事 件 が 多 発 していた 頃 だった。 猫 が 減 りすぎ、ネズミが 増 えて 困 るから、 猫 料 理 屋 経 営 禁 止 の 条 例 を 政府 が 出 したのもこの 頃 だ。ところが 先 年 、タイの 新 聞 に東 北 タイからラオス 経 由 でヴェトナムに 密 輸 される 途 中の 犬 達 が 保 護 された 記 事 が 出 ていた。こんなところにも、近 年 のヴェトナムの 経 済 成 長 を 窺 える 時 代 になった。ワンワンたちにはちょっとやっかいな 時 代 である。【ヴェトナムでは、 犬 の 煮 込 みは 米 の 麺 (ブン)と 食 べるのが 流 儀 。骨 付 き 肉 だから 旨 い!】12


ICIS Newsletter, Kansai University❖学 術 交 流 協 定 について関 西 大 学 グローバルCOE 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 は、海 外 の 各 研 究 機 関 と 学 術 交 流 協 定 を 締 結 し、 学 術 情 報 、資 料 の 交 換 など 積 極 的 な 国 際 学 術 交 流 を 展 開 している。2008 年 2 月 15 日 、 中 国 北 京 外 国 語 大 学 中 国 海 外 漢 学研 究 センターと 学 術 協 定 を 締 結 した。2008 年 月 21 日には、 中 国 浙 江 工 商 大 学 日 本 文 化 研 究 所 と 学 術 協 定 を 締結 した。 浙 江 工 商 大 学 の 日 本 文 化 研 究 所 は、 日 本 国 際 交流 機 構 から 海 外 日 本 研 究 重 点 支 援 機 構 に 指 定 され、 研 究活 動 を 展 開 している。2008 年 月 21 日 には、 韓 国 慶 尚 大 学 校 慶 南 文 化 研 究 院と 学 術 交 流 協 定 を 締 結 した。 慶 南 文 化 研 究 院 は 韓 国 慶 南地 域 の 文 化 遺 産 などを 対 象 に、 地 域 の 歴 史 ・ 文 化 の 発 展に 関 する 研 究 を 先 導 する 研 究 機 関 として 設 立 され、 人 文学 の 発 展 を 目 指 す、 韓 国 政 府 の 人 文 韓 国 支 援 事 業(Humanities Korea)の 推 進 機 関 となった。また 同 日 、韓 国 全 北 大 学 校 人 文 韓 国 支 援 事 業 (Humanities Korea)プロジェクト「 米 と 生 活 ・ 文 明 研 究 団 」と 学 術 協 定 を 締結 した。「 米 と 生 活 ・ 文 明 研 究 団 」については、 米 を 中心 に 韓 国 人 とアジア 人 の 文 化 的 特 性 を 理 解 しようとするアプローチが、 新 しい 人 文 学 的 地 平 を 拡 大 し 得 る 研 究 課題 であると 高 く 評 価 されている。2008 年 月 29 日 には、中 国 上 海 復 旦 大 学 文 史 研 究 院 、 歴 史 学 系 及 び 歴 史 地 理 研究 所 と 学 術 交 流 協 定 を 締 結 した。❖客 員 研 究 員 の 紹 介高 田 時 雄京 都 大 学 人 文 科 学 研 究 所 教 授 。 専 門 は 敦 煌 学 ・ 東 方学 ・ 言 語 学 など。 在 職 中 の 講 演 ・ 報 告 に「ロシアの 中央 アジア 探 検 隊 所 獲 品 と 日 本 」、「ヨーロッパ 中 国 語 学の 発 展 と 印 刷 術 」、「 敦 煌 吐 魯 番 における 言 語 接 觸 」などがある。王 勇中 国 浙 江 工 商 大 学 教 授 。 専 門 は 唐 代 日 中 文 化 交 流 史 ・隋 唐 外 交 史 。 在 職 中 の 講 演 に「 日 本 と 中 国 の 交 流 史 研 究 」があり、「 鑑 真 渡 日 とブックロード」と 題 する 論 文 を 発表 した。また、 浙 江 工 商 大 学 日 本 文 化 研 究 所 所 長 として 関 西 大 学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 との 学 術 交 流 協 定に 調 印 した。ジョシュア・フォーゲル(Joshua A. Fogel)カリフォルニア 大 学 サンタバーバラ 校 教 授 などを 経て、2005 年 からカナダ・トロントのヨーク 大 学 文 学 部の 教 授 として 教 鞭 を 取 っている。 専 門 は 近 現 代 中 国 政治 史 や 日 中 の 文 化 関 係 史 。❖出 版 物 紹 介・ 吾 妻 重 二 訳 注 、 馮 友 蘭 『 馮 友 蘭 自 伝 1―― 中 国 現 代 哲 学 者 の 回 想 』( 東 洋 文 庫 767) 2007 年 10 月 平 凡 社・ 吾 妻 重 二 訳 注 、 馮 友 蘭 『 馮 友 蘭 自 伝 2―― 中 国 現 代 哲 学 者 の 回 想 』( 東 洋 文 庫 768) 2007 年 11 月 平 凡 社・ 関 西 大 学 東 西 学 術 研 究 所 研 究 報 告 書 、 思 想 ・ 儀 礼 研 究 班 、 吾 妻 重 二 主 幹 『 東 アジアにおける 儒 教 儀 礼 の 研 究 』2007 年 10 月・ 于 臣 著 『 渋 沢 栄 一 と〈 義 利 〉 思 想 ―― 近 代 東 アジアの 実 業 と 教 育 』( 単 行 本 ) 2008 年 月 ぺりかん 社・ 佐 藤 実 著 『 劉 智 の 自 然 学 ―― 中 国 イスラーム 思 想 研 究 序 説 』 2008 年 2 月 汲 古 書 院・ 陶 徳 民 ・ 藤 田 高 夫 編 『 近 代 日 中 関 係 人 物 史 研 究 の 新 しい 地 平 』( 関 西 大 学 アジア 文 化 交 流 研 究 叢 刊 第 2 輯 ) 2008 年 2 月 雄 松 堂 出 版・ 保 阪 正 康 ( 馮 瑋 ・ 陸 旭 訳 )『 昭 和 時 代 見 証 録 』 2008 年 4 月 東 方 出 版 中 心 ( 中 国 )・ 松 浦 章 編 著 『 安 政 二 ・ 三 年 漂 流 小 唐 船 資 料 ―― 江 戸 時 代 漂 着 唐 船 資 料 集 八 』( 関 西 大 学 東 西 学 術 研 究 所 資 料 集 刊 1-8) 2008 年 月 関 西 大 学 出 版 部・ICIS 紀 要 『 東 アジア 文 化 交 渉 研 究 』 創 刊 号 および 別 冊 第 1 号 2008 年 月1


❖今 後 の 予 定文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 では、 以 下 の 行 事 の 開 催 を 予 定 している。○ベトナム・フエ 外 港 タインハーの 歴 史 ・ 地 理 ・ 人 類 学 的 研 究 スクール日 時 :2008 年 8 月 28 日 ( 木 )~9 月 6 日 ( 土 )○ 第 2 回 国 際 シンポジウム「 文 化 交 渉 学 の 可 能 性 を 考 える(2)( 仮 題 )」日 時 :2008 年 10 月 24 日 ( 金 )~25 日 ( 土 )/ 場 所 : 関 西 大 学○ 第 1 回 若 手 研 究 者 国 際 学 術 フォーラム「 境 界 面 における 文 化 の 再 生 産 ― 東 アジアにおけるテクスト、 外 交 、 他 者 イメージ、 茶 文 化 の 視 点 から―」日 時 :2008 年 12 月 1 日 ( 土 )~14 日 ( 日 )/ 場 所 : 関 西 大 学○ 第 3 回 研 究 集 会 「 周 縁 から 見 た 中 国 文 化 ( 仮 題 )」日 時 :2009 年 1 月 24 日 ( 土 )/ 場 所 : 関 西 大 学❖若 手 研 究 者 国 際 学 術 フォーラムのご 案 内関 西 大 学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 では、2008 年 12 月 1 日 ( 土 )、14 日 ( 日 )の 両 日 、 若 手 研 究 者 国 際 学 術 フォーラムを 開 催 いたします。 本 フォーラムの 日 時 、 開 催 場 所 および 開 催 趣 旨 は 下 記 のとおりです。 報 告 内 容 やプログラムに 関 する 詳 細 は、ホームページ(http://www.icis.kansai-u.ac.jp/)をご 覧 ください。❖境 界 面 における 文 化 の 再 生 産― 東 アジアにおけるテクスト、 外 交 、 他 者 イメージ、 茶 文 化 の 視 点 から―人 事 異 動2008 年 1 月 1 日 から2008 年 月 1 日 まで 高 田 時 雄 氏 ( 京 都 大 学 教 授 )をCOE 客 員 教 授 として 招 聘 した。2008 年 2 月 1 日 から2008 年 月 1 日 まで 王 勇 氏 ( 浙 江 工 商 大 学 教 授 )をCOE 客 員 教 授 として 招 聘 した。2008 年 4 月 1 日 を 以 てJoshua Fogel 氏 (Professor, York University)がCOE 客 員 教 授 に 着 任 した。2008 年 4 月 1 日 を 以 て 篠 原 啓 方 氏 がCOE 特 別 研 究 員 に 着 任 した。2008 年 4 月 1 日 を 以 て 于 臣 氏 がCOE-PDに 着 任 した。日 時 :2008 年 12 月 13 日 ( 土 )~14 日 ( 日 )開 催 場 所 : 関 西 大 学【 若 手 フォーラム 開 催 趣 旨 】本 フォーラムが 議 論 の 対 象 とするのは、 東 アジアにおける 文 化 の 接 触 領 域 であり、 文 化 間 の 境 界 面 である。あらゆる 文 化 は、その 社 会 集 団 において 歴 史 を 越 えて 定 性 的 に 保 持 され 続 けるものではなく、 接 触 領 域 における 文 化 交渉 の 過 程 を 通 して 不 断 に 変 容 しながら、 再 生 産 される。 文 化 の 接 触 領 域 においては、 支 配 者 と 非 支 配 者 、 中 心 と 周 辺 、マジョリティとマイノリティ、 先 住 文 化 と 外 来 文 化 など、 歴 史 的 ・ 社 会 的 背 景 も 政 治 的 力 関 係 も 異 なる 社 会 集 団 が接 触 する。そこでは、 文 化 が 争 点 となり、 文 化 的 な 差 異 が 構 築 され、さらに 文 化 的 差 異 によって 境 界 面 が 構 築 される。そして、こうした 境 界 面 を 通 して、 人 々は 自 己 の 文 化 や 他 者 の 文 化 を 絶 えず 再 解 釈 し、 再 生 産 する。 本 フォーラムでは、こうした 問 題 関 心 に 基 づき、とくに 東 アジアにおけるテクスト、 外 交 、 他 者 イメージ、 物 質 文 化 ( 茶 )という 四 つの 観 点 から、 文 化 が 再 解 釈 され、 再 生 産 されるプロセスを 分 析 し、 文 化 一 般 における 文 化 交 渉 の 構 造 を 動 的に 理 解 する 手 がかりを 模 索 する。2008 年 4 月 1 日 を 以 て 陸 旭 氏 、 熊 野 弘 子 氏 、 王 頂 倨 氏 、 三 宅 美 穂 氏 以 上 4 名 がCOE-RAに 着 任 した。2008 年 5 月 1 日 を 以 て 鄭 潔 西 氏 とNguyen Thi Ha Thanh 氏 がCOE-RAに 着 任 した。14


ICIS Newsletter, Kansai UniversityグローバルCOEプログラム「 関 西 大 学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 (ICIS)」紀 要 原 稿 募 集 のお 知 らせ関 西 大 学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点 では、 紀 要 『 東 アジア 文化 交 渉 研 究 』(Journal of East Asian Cultural Interaction Studies)の 原 稿 を、 下 記 の 要 領 で 募 集 しております。 応 募 いただいた原 稿 は、 編 集 委 員 の 査 読 により、 掲 載 の 可 否 を 決 定 いたします。(1) 原 稿東 アジアの 文 化 交 渉 にかかわる 論 考 、 研 究 ノート、その 他(2) 使 用 言 語日 本 語 :20,000 字 程 度中 国 語 :12,000 字 程 度英 語 :4,000 語 程 度(3) 注 意 事 項(a) 英 語 による 要 旨 を、150 語 程 度 で 添 付 してください。(b) 提 出 はワード 文 書 でお 願 いいたします。(c) 注 は 脚 注 方 式 でお 願 いいたします。(d) 文 献 についても 参 照 文 献 リストは 付 けず、 脚 注 に収 めてください。(e) 図 表 がある 場 合 にも、なるべく 上 記 字 数 に 収 めてください。(4) 投 稿 原 稿 の 二 次 利 用 としての 電 子 化 ・ 公 開 につきましては、 紀 要 掲 載 時 点 で 執 筆 者 が 本 拠 点 に 許 諾 したものといたします。(5) 提 出 締 切 り 等 、 詳 しくは 下 記 の 連 絡 先 にお 問 い 合 わせください。〒564-8680 大 阪 府 吹 田 市 山 手 町 3-3-35関 西 大 学 文 化 交 渉 学 教 育 研 究 拠 点『 東 アジア 文 化 交 渉 研 究 』 編 集 委 員 会編 集 後 記近 年 、 文 化 人 類 学 では 共 同 体 (コミュニティ) 論 が 再 び 脚光 を 浴 びている。もちろん、 一 時 期 流 行 した 市 民 社 会 vs.「 共同 体 」という 枠 組 みに 言 う「 共 同 体 」 論 ではない。こうした文 脈 で 語 られる「 共 同 体 」は、 慣 習 に 縛 られ、 均 一 で 強 固 な構 造 を 持 った「 共 同 体 」である。しかし、 今 日 の 文 化 人 類 学では、 多 様 な 社 会 的 ・ 文 化 的 背 景 を 持 った 人 々が 創 り 出 す 移民 社 会 や、 複 数 の 宗 教 が 混 在 する 地 域 社 会 などはもとより、そもそもいわゆる「 共 同 体 」そのものが、 決 して 均 一 で 強 固な 構 造 によって 裏 打 ちされたものではなく、 対 面 的 な 社 会 関係 のなかでフレキシブルに 構 築 ・ 再 構 築 されていくものだったのではないか、と 議 論 されている。さて、 本 号 の「 活 動 報 告 」で 言 及 したように、 今 年 度 から 東 アジア 文 化 交 渉 学 専 修 の 学生 諸 君 が 入 学 した。 本 専 修 課 程 の 学 生 諸 君 のなかには 留 学 生も 多 く、 文 化 的 背 景 もこれまで 学 んできたディシプリンも 多様 である。そしてここには 縛 られるべき 慣 習 もない(はずである)。そうした 多 様 なバックグラウンドを 持 つ 人 々からなる共 同 体 を、どのようにうまく 構 築 するのか。 対 面 的 社 会 関 係の 重 要 性 が 増 すような 気 がする。 ( 担 当 : 木 村 自 )表 紙 写 真 について( 春 節 を 祝 うヤンゴンの 華 人 )2008 年 2 月 8 日 、ビルマ( 現 ミャンマー)の 首都 ヤンゴンのダウンタウンでは、 太 鼓 や 銅 鑼 、鈸 (シンバル)を 打 ち 鳴 らす 音 が 方 々から 聞 こえていた。 春 節 の 獅 子 舞 である。 旗 を 先 頭 に 楽隊 が 続 き、さらに 獅 子 や 大 頭 佛 などが 連 なる。子 供 たちを 主 な 構 成 員 とする 獅 子 舞 の 一 団 はダウンタウンのチャイナタウンを 中 心 に、 華 人 の家 庭 や 商 店 を1 軒 ずつ 訪 問 し、 一 年 の 招 福 駆 邪 を願 う。ビルマでは 春 節 の 獅 子 舞 が 禁 止 されていると 聞 いていたが、2008 年 のヤンゴンでは 獅 子舞 が 健 在 だった。ビルマに 居 住 する 華 人 たちは、1948 年 のビルマ 独 立 以 降 苦 難 の 道 を 歩 んできた。 華 人 は 国 籍 や 市 民 権 が 付 与 されず、 排 華 運動 に 苦 しみ、 社 会 主 義 化 にともない 商 店 が 国 有化 ( 華 人 の 多 くが 商 店 を 経 営 していた)され、ビルマを 後 にした 人 々も 少 なくない。しかし、炎 天 下 のヤンゴンの 町 を、 獅 子 を 担 ぎながら 歩き 回 る 子 供 たちの 顔 を 見 ると、ビルマの 華 人 たちも 元 気 を 取 り 戻 しつつあるようだ。[ 撮 影 : 木 村 自 ]15


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