日本の原発と原発反対運動の歴史社会学的考察 小熊英二 1、はじめに ...

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日 本 の 原 発 と 原 発 反 対 運 動 の 歴 史 社 会 学 的 考 察小 熊 英 二1、はじめに二 〇 一 一 年 三 月 の 震 災 と 原 発 事 故 を 機 会 に、 日 本 における 原 発 の 社 会 的 位 置 が 注 目 されている。ここでは、 日 本 における 原 発 と 原 発 反 対 運 動 について、 歴 史 的 ・ 社 会 的 に 考 察 していきたい。結 論 からいうと、 日 本 の 原 発 は 一 九 六 〇 年 代 から 八 〇 年 代 、まさに 日 本 が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とよばれた 時 代 に 築 かれた 社 会 構 造 の 縮 図 である。 原 発 を 考 えることは、それを 再 考 することにほかならない。2、 工 業 化 社 会 と 原 発日 本 の 原 発 は 一 九 六 〇 年 代 から 九 七 年 までが 建 設 のピークだった。 日 本 のさまざまな 経済 指 標 は 九 〇 年 代 後 半 がピークである。 小 売 販 売 額 や 出 版 物 売 上 は 九 六 年 、 国 内 貨 物 総 輸送 量 や 国 内 新 車 販 売 台 数 は 二 〇 〇 〇 年 がピークだった。この 動 向 は「クール・ジャパン」も 例 外 ではなく、 日 本 最 大 のマンガ 雑 誌 である『 週 刊 少 年 ジャンプ』の 発 行 部 数 も、 一 九九 五 年 に 六 五 三 万 部 を 記 録 したが、 二 〇 〇 八 年 には 二 七 八 万 部 となっている。さらにこのことは、 日 本 における 格 差 拡 大 と 貧 困 増 加 とも 結 びついている。デフレが 続き、 九 五 年 から 消 費 者 物 価 は 下 落 傾 向 であり、 大 卒 初 任 給 は 九 五 年 から 現 在 までほとんど上 昇 していない。ただし 非 正 規 労 働 者 が 増 加 したため、 日 本 の 雇 用 者 の 平 均 賃 金 は、この二 〇 年 で 約 五 二 〇 万 円 から 約 四 六 〇 万 円 に 低 下 している。このことは、 大 卒 正 規 労 働 者 と、それ 以 外 の 層 との 格 差 が 増 大 していることを 示 している。 生 活 保 護 受 給 者 数 は、 九 五 年 に最 低 の 八 八 万 人 を 記 録 したが、 二 〇 一 一 年 には 二 〇 〇 万 人 をこえた。こうした 状 況 は、 現 在 の 日 本 が、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とよばれた 時 代 とは変 化 していることを 示 している。ここではそれを、「 工 業 化 社 会 からポススト 工 業 化 社 会 へ」という 視 点 から 整 理 したい。日 本 はいつからいつまでが 工 業 化 社 会 だったのだろうか。 日 本 で 製 造 業 の 就 業 人 口 が 農林 水 産 業 を 抜 くのが 一 九 六 五 年 。サービス 業 の 就 業 人 口 が 製 造 業 を 抜 くのが 一 九 九 四 年 である。もちろん 日 本 の 製 造 業 はいまでも 強 大 であるが、 一 九 六 五 年 から 一 九 九 四 年 が、 日本 が 製 造 業 中 心 の 社 会 だった 時 代 といえる。その 時 代 が、 日 本 の 原 発 建 設 のピークでもあった。アメリカではどうだろうか。アメリカの 製 造 業 就 業 人 口 は 過 去 三 〇 年 間 で 約 五 百 万 人 減少 し、 労 働 力 シェアでは 七 九 年 の 二 〇 パーセントから 一 一 パーセントに 低 下 した。 七 〇 年代 の 二 度 の 石 油 ショックを 契 機 に、 製 造 業 の 衰 退 がおきたのが 原 因 である。そしてアメリカにおける 原 発 建 設 は、 一 九 七 〇 年 代 半 ば 以 降 は 低 迷 し、 一 九 七 九 年 のスリーマイル 事 故でそれが 決 定 的 になった。日 本 とアメリカでは、 時 期 はずれているが、 原 発 建 設 のピークは 工 業 化 社 会 の 時 代 だった。 大 規 模 投 資 を 要 する 巨 大 プラントである 原 発 は、 工 業 化 社 会 の 象 徴 である。しかし 日 本 とアメリカでは、 工 業 化 社 会 の 時 期 だけでなく、そのあり 方 が 異 なった。それは 同 時 に、 原 発 反 対 運 動 のあり 方 の 相 違 にもつながってくる。 一 言 で 相 違 をいえば、 日

日 本 の 原 発 と 原 発 反 対 運 動 の 歴 史 社 会 学 的 考 察小 熊 英 二1、はじめに二 〇 一 一 年 三 月 の 震 災 と 原 発 事 故 を 機 会 に、 日 本 における 原 発 の 社 会 的 位 置 が 注 目 されている。ここでは、 日 本 における 原 発 と 原 発 反 対 運 動 について、 歴 史 的 ・ 社 会 的 に 考 察 していきたい。結 論 からいうと、 日 本 の 原 発 は 一 九 六 〇 年 代 から 八 〇 年 代 、まさに 日 本 が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とよばれた 時 代 に 築 かれた 社 会 構 造 の 縮 図 である。 原 発 を 考 えることは、それを 再 考 することにほかならない。2、 工 業 化 社 会 と 原 発日 本 の 原 発 は 一 九 六 〇 年 代 から 九 七 年 までが 建 設 のピークだった。 日 本 のさまざまな 経済 指 標 は 九 〇 年 代 後 半 がピークである。 小 売 販 売 額 や 出 版 物 売 上 は 九 六 年 、 国 内 貨 物 総 輸送 量 や 国 内 新 車 販 売 台 数 は 二 〇 〇 〇 年 がピークだった。この 動 向 は「クール・ジャパン」も 例 外 ではなく、 日 本 最 大 のマンガ 雑 誌 である『 週 刊 少 年 ジャンプ』の 発 行 部 数 も、 一 九九 五 年 に 六 五 三 万 部 を 記 録 したが、 二 〇 〇 八 年 には 二 七 八 万 部 となっている。さらにこのことは、 日 本 における 格 差 拡 大 と 貧 困 増 加 とも 結 びついている。デフレが 続き、 九 五 年 から 消 費 者 物 価 は 下 落 傾 向 であり、 大 卒 初 任 給 は 九 五 年 から 現 在 までほとんど上 昇 していない。ただし 非 正 規 労 働 者 が 増 加 したため、 日 本 の 雇 用 者 の 平 均 賃 金 は、この二 〇 年 で 約 五 二 〇 万 円 から 約 四 六 〇 万 円 に 低 下 している。このことは、 大 卒 正 規 労 働 者 と、それ 以 外 の 層 との 格 差 が 増 大 していることを 示 している。 生 活 保 護 受 給 者 数 は、 九 五 年 に最 低 の 八 八 万 人 を 記 録 したが、 二 〇 一 一 年 には 二 〇 〇 万 人 をこえた。こうした 状 況 は、 現 在 の 日 本 が、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とよばれた 時 代 とは変 化 していることを 示 している。ここではそれを、「 工 業 化 社 会 からポススト 工 業 化 社 会 へ」という 視 点 から 整 理 したい。日 本 はいつからいつまでが 工 業 化 社 会 だったのだろうか。 日 本 で 製 造 業 の 就 業 人 口 が 農林 水 産 業 を 抜 くのが 一 九 六 五 年 。サービス 業 の 就 業 人 口 が 製 造 業 を 抜 くのが 一 九 九 四 年 である。もちろん 日 本 の 製 造 業 はいまでも 強 大 であるが、 一 九 六 五 年 から 一 九 九 四 年 が、 日本 が 製 造 業 中 心 の 社 会 だった 時 代 といえる。その 時 代 が、 日 本 の 原 発 建 設 のピークでもあった。アメリカではどうだろうか。アメリカの 製 造 業 就 業 人 口 は 過 去 三 〇 年 間 で 約 五 百 万 人 減少 し、 労 働 力 シェアでは 七 九 年 の 二 〇 パーセントから 一 一 パーセントに 低 下 した。 七 〇 年代 の 二 度 の 石 油 ショックを 契 機 に、 製 造 業 の 衰 退 がおきたのが 原 因 である。そしてアメリカにおける 原 発 建 設 は、 一 九 七 〇 年 代 半 ば 以 降 は 低 迷 し、 一 九 七 九 年 のスリーマイル 事 故でそれが 決 定 的 になった。日 本 とアメリカでは、 時 期 はずれているが、 原 発 建 設 のピークは 工 業 化 社 会 の 時 代 だった。 大 規 模 投 資 を 要 する 巨 大 プラントである 原 発 は、 工 業 化 社 会 の 象 徴 である。しかし 日 本 とアメリカでは、 工 業 化 社 会 の 時 期 だけでなく、そのあり 方 が 異 なった。それは 同 時 に、 原 発 反 対 運 動 のあり 方 の 相 違 にもつながってくる。 一 言 で 相 違 をいえば、 日


本 では 経 済 にたいする 政 府 の 関 与 がずっと 大 きい。 原 発 に 対 してもそれがいえる。3、 日 本 における 原 発 推 進 体 制日 本 は 政 府 主 導 の 開 発 政 策 で 工 業 発 展 した、アジアの 国 である。 政 治 的 な 自 由 と 民 主 主義 が 限 定 された 時 代 が 長 く 続 き、 産 業 政 策 も「 富 国 強 兵 」をスローガンに 行 われた。日 本 の 原 発 を 語 るには、まず 戦 争 の 歴 史 から 始 めねばならない。 一 九 三 〇 年 代 に 戦 争 体制 が 整 備 されるなかで、 軍 需 産 業 への 電 力 供 給 を 安 定 させるため、 電 力 の 統 制 が 行 われた。それまでは 電 力 会 社 は 自 由 競 争 で 乱 立 し、 発 電 も 送 電 も 安 定 していなかった。 一 九 三 九 年 、送 電 網 を 独 占 する 国 策 会 社 の 日 本 発 送 電 株 式 会 社 が 発 足 し、 一 九 四 二 年 には 全 国 に 一 五 二社 あった 電 力 会 社 が 九 社 に 統 合 され、 各 地 域 を 独 占 的 に 分 担 した。 日 本 発 送 電 は 戦 後 に 解体 されたが、 電 力 九 社 に 送 電 施 設 は 分 割 所 有 され、 地 域 独 占 体 制 は 残 った。 現 在 まで 続 く日 本 の 電 力 会 社 独 占 体 制 は、ここから 始 まっている。この 電 力 統 制 は、 国 有 会 社 化 ではなく、「 国 策 民 営 」として 行 われた。ときに 誤 解 されることがあるが、 日 本 政 府 は 公 務 員 数 からいっても、 政 府 支 出 の GDP に 占 める 比 率 からいっても、 先 進 国 のなかではむしろ 小 さい。 日 本 政 府 の 強 さは、 指 導 権 の 強 さである。 民 営 会社 に 事 業 を 担 わせることで 政 府 の 支 出 を 減 らしながら、 指 導 によって 民 営 会 社 を 操 ることが 日 本 の 産 業 政 策 の 基 本 である。たとえば 日 本 では 放 送 事 業 は 免 許 制 であるため、 民 間 テレビ 局 も 政 府 の 免 許 取 り 消 しを恐 れるため、 政 府 批 判 は 行 いにくい。そのかわり、テレビ 局 の 側 は、 新 規 参 入 業 者 を 政 府に 制 限 してもらうメリットをもつ。日 本 の 電 力 業 界 も、 政 府 の 意 向 に 逆 らえないかわりに、 地 域 独 占 を 認 めてもらい、 電 力料 金 を 自 由 に 上 げられるメリットを 享 受 する。 日 本 の 電 気 料 金 は、 政 府 が 決 めた 電 気 事 業法 によって、 発 電 コストに4パーセントをかけて 決 定 される。 電 力 会 社 は、 高 額 な 発 電 所を 建 ててコストをかけたほうが、 利 益 が 上 昇 する。 原 発 は 建 設 コストが 高 いため、 電 力 会社 にとってメリットがある。 地 域 独 占 であるため、 消 費 者 は 近 年 まで、 高 くとも 他 の 電 力供 給 者 から 電 力 を 買 うことができなかった。原 発 の 建 設 は 政 府 の 認 可 制 である。 原 発 を 含 む 発 電 所 の 建 設 は、 政 府 の 長 期 エネルギー需 給 見 通 しと、 原 子 力 開 発 利 用 長 期 計 画 ( 二 〇 〇 五 年 から 原 子 力 政 策 大 綱 に 名 称 変 更 )で決 定 される。これは 通 産 大 臣 ( 二 〇 〇 〇 年 から 経 産 大 臣 )の 諮 問 機 関 が 答 申 するもので、国 会 審 議 を 経 ずに 閣 議 決 定 される。この 計 画 にもとづいて、 政 府 が 各 種 の 補 助 金 や 社 会 基盤 整 備 を 提 供 し、 電 力 会 社 が 事 業 を 推 進 する。フランスやロシアのように 国 営 公 社 が 原 発を 作 るのでもなく、アメリカのように 民 間 会 社 が 一 定 の 決 定 権 をもつのでもない、「 国 策 民営 」の 推 進 体 制 である。この 体 制 の 特 徴 は、 一 九 六 一 年 の 原 子 力 損 害 賠 償 法 にも 表 れている。 原 発 事 故 がおきた場 合 、 電 力 会 社 が 拠 出 した 保 険 金 から 賠 償 が 支 払 われるが、 現 在 その 限 度 額 は 1200 億 円 にすぎない。 福 島 第 一 原 発 事 故 の 被 害 総 額 は、 少 なくとも 数 兆 円 以 上 にのぼるといわれる。原 子 力 損 害 賠 償 法 は、 賠 償 限 度 額 をこえた 事 故 がおきた 場 合 、 政 府 は 必 要 な 援 助 を 行 うことが「できる」と 記 載 しているのみである。 電 力 会 社 は 政 府 が 援 助 してくれることを 期 待しているが、 政 府 は 責 任 を 負 うことを 保 証 しているわけではない。このため、 福 島 第 一 原


発 事 故 以 前 は、 深 刻 な 事 故 がおきる 可 能 性 を 検 討 することそのものがタブーとされていた。それを 検 討 すれば 推 進 できない 体 制 だからである。ちなみにアメリカも「 国 策 民 営 」であるが、 一 九 五 七 年 には、 民 間 補 償 をこえた 金 額 はすべて 政 府 が 負 担 する 法 律 を 制 定 している。 電 力 会 社 への 政 府 の 指 導 力 が 日 本 にくらべて弱 いため、 電 力 会 社 はコストとリスクを 度 外 視 して 原 発 を 建 設 しないからである。4、 地 方 振 興 策 としての 原 発日 本 で 初 の 原 発 が 運 転 開 始 したのは 一 九 五 七 年 である。この 時 期 から 一 〇 年 ほどは、 原子 力 にたいして「 夢 のエネルギー」という 期 待 は 強 かった。 原 発 は 工 業 化 社 会 のシンボルだった。アイゼンハワー 大 統 領 が 一 九 五 三 年 に 宣 言 した「 核 の 平 和 利 用 Atom for Peaces」の 声のもと、 日 本 語 では「 原 子 力 発 電 所 」Atomic Power Plant は、「 核 」Nuclear の 語 を 含 まずに 使 い 分 けられた。 与 党 の 自 民 党 も、 野 党 の 社 会 党 も、ほかの 争 点 では 激 しく 対 立 したが、 原 発 を 作 って 経 済 を 発 展 させることには 異 論 はなかった。日 本 政 府 には、 核 武 装 の 意 図 もあったらしい。 一 九 五 〇 年 代 から 六 〇 年 代 の 首 相 は、 核武 装 に 意 欲 的 な 発 言 を 残 しており、とくに 一 九 六 四 年 に 中 国 が 核 実 験 に 成 功 してからはその 傾 向 が 強 まった。プルトニウムを 抽 出 できる 再 処 理 計 画 と、ロケット 技 術 を 中 心 とする宇 宙 開 発 の 推 進 が、この 時 期 に 政 府 によって 決 められている。しかし 一 九 六 八 年 、 米 ソの 妥 協 によって NPT 体 制 が 発 足 し、 日 本 はそれへの 加 入 を 迫 られた。 日 本 は 一 九 七 〇 年 には NPT に 署 名 したが、 一 九 六 九 年 の 外 務 省 文 書 は「 当 面 核 兵 器は 保 有 しない 政 策 をとるが、 核 兵 器 製 造 の 経 済 的 ・ 技 術 的 ポテンシャルは 常 に 保 持 する」とうたっており、 一 九 七 六 年 までは NPT は 議 会 で 批 准 されなかった。 批 准 後 も、 日 本 はアメリカ 政 府 の 圧 力 にもかかわらずプルトニウム 抽 出 をやめていない。こうした 核 開 発 政 策と、 原 発 推 進 との 関 係 は、いまだに 謎 に 包 まれている。 一 般 に 対 しては、 核 兵 器 開 発 の 意図 は 隠 蔽 され、 豊 かさをもたらす 新 時 代 のエネルギーというイメージが 作 り 出 された。しかしこうした 事 情 は、しだいに 変 化 する。 当 初 は 都 市 部 に 原 発 を 作 るという 構 想 もあったが、1960 年 の 秘 密 試 算 で、 重 大 事 故 がおきれば 周 囲 が 永 久 立 ち 退 きになり、 国 家 予 算の 半 分 以 上 が 吹 き 飛 ぶという 結 果 が 出 た。そのため 原 子 力 損 害 賠 償 法 が 作 られる 一 方 、 原発 は 過 疎 地 にしか 作 れなくなった。やがて 一 九 六 〇 年 代 の 高 度 経 済 成 長 で、 環 境 汚 染 がひどくなり、 一 九 六 〇 年 代 後 半 から各 地 で 公 害 反 対 運 動 がおきた。 原 発 もしだいに 環 境 への 害 が 知 られるようになり、 一 九 六九 年 の 総 理 府 調 査 では、 原 発 建 設 地 域 に 指 定 されたら 反 対 するという 意 見 が 多 数 を 占 めるようになった。それ 以 前 に 決 定 していた 立 地 地 点 では 原 発 建 設 が 進 み、 一 九 七 〇 年 には 日本 初 の 商 業 用 原 発 が 運 転 を 開 始 し、 一 九 七 一 年 には 福 島 第 一 原 発 も 運 転 開 始 する。しかし一 九 七 二 年 には、 社 会 党 が 原 発 反 対 に 転 じ、 各 地 の 反 対 運 動 を 支 援 し 始 めた。そこにおきたのが、 一 九 七 三 年 の 石 油 ショックだった。 石 油 の 安 定 供 給 に 不 安 を 抱 いた日 本 政 府 は、 原 子 力 を 推 進 する 方 針 を 決 める。しかし 立 地 地 域 の 反 対 運 動 は 根 強 いものがあった。時 の 首 相 は、 田 中 角 栄 だった。 小 学 校 しか 出 ていない 田 中 は、 豪 雪 で 知 られる 北 部 日 本


の 新 潟 県 の 山 中 の 出 身 だった。そこは 高 度 経 済 成 長 で、 若 者 が 都 会 に 急 速 に 流 出 していた過 疎 地 だった。 彼 の 願 いは、 出 身 地 のような 過 疎 地 を 豊 かにすることだった。田 中 は 石 油 ショック 前 から、「 日 本 列 島 改 造 論 」を 唱 えていた。その 趣 旨 は、 日 本 各 地 に高 速 道 路 と 新 幹 線 をめぐらせ、 過 疎 地 と 都 会 を 結 ぶ 一 方 、 整 備 された 交 通 網 を 活 かして 工場 を 誘 致 し、 地 方 に 産 業 を 興 そうというものだった。田 中 がとくに 重 視 したのは、 道 路 建 設 だった。 一 九 五 三 年 、 田 中 はガソリンに 税 をかけ、それを 道 路 建 設 の 特 定 財 源 にする 制 度 を 議 員 立 法 した。 一 九 七 〇 年 には、 田 中 は 自 動 車 重量 税 を 新 設 し、これも 道 路 特 定 財 源 とした。この 制 度 では、 自 動 車 取 得 者 は、 取 得 時 と2年 ごとの 定 期 検 査 時 に、 政 府 の 指 定 工 場 で 検 査 をうけ、 政 府 の 安 全 基 準 に 沿 った 自 動 車 であることを 証 明 してもらい、 重 量 税 を 支 払 う。 自 動 車 を 買 い、 乗 り 続 け、ガソリンを 購 入すれば、 道 路 建 設 の 財 源 は 永 久 に 確 保 されるシステムである。 全 国 の 道 路 建 設 は、 発 電 所建 設 と 同 様 に、 政 府 が 五 カ 年 計 画 を 国 会 審 議 なしで 閣 議 決 定 し、 必 要 な 予 算 を 建 設 業 者 に配 分 する。田 中 が 原 発 にたいしてとった 政 策 も、 道 路 と 同 型 だった。 彼 は 反 対 運 動 をなだめて 原 発推 進 をなしとげるために、 電 気 料 金 から 税 金 をとり、それを 立 地 地 域 に 投 下 する 法 律 を 作った。その 税 金 は 都 会 や 工 業 地 域 の 電 力 消 費 地 から 徴 収 され、 原 発 が 建 つ 過 疎 地 に 回 される。 電 力 を 使 えば 使 うほど、 原 発 建 設 の 補 助 金 が 確 保 されるシステムである。 田 中 はこうした 原 発 補 助 金 制 度 について、「 東 京 に 作 れないものを 作 る。 作 ってどんどん 東 京 からカネを 送 らせるんだ」と 述 べていたという。田 中 の 作 った 制 度 によって、 地 方 には 道 路 がつぎつぎと 建 設 され、 建 設 業 が 農 林 水 産 業にかわって 地 方 の 主 力 産 業 になった。 現 在 では 建 設 業 の 就 労 人 口 は 農 林 水 産 業 の 二 ・ 五 倍にのぼっており、 二 〇 〇 〇 年 前 後 には 労 働 人 口 の 一 一 パーセントを 占 めていた。 原 発 立 地自 治 体 への 補 助 金 は、その 地 に 多 くの 公 共 建 築 物 を 建 てることを 可 能 にし、 豪 奢 な 建 設 物が 地 域 住 民 に 利 益 を 実 感 させると 同 時 に、 建 設 業 者 をうるおした。 田 中 をはじめとした 自民 党 の 政 治 家 は、 建 設 業 者 を 選 挙 のさいの 実 働 部 隊 とした。さらに 電 力 会 社 は、 立 地 自 治 体 に 多 額 の 寄 付 を 行 ない、 老 人 医 療 や 教 育 などへの 資 金 提供 を 約 束 した。 寄 付 金 は 建 設 コストとみなされるので、 寄 付 金 を 出 せば 出 すほど 利 益 率 が上 昇 し、 電 力 料 金 は 値 上 げができた。この 日 本 独 特 の 制 度 は、 反 対 運 動 を 沈 静 させるのに 効 果 があった。 原 発 立 地 地 域 では、原 発 をうけいれれば 多 額 の 補 助 金 でうるおい、 建 設 ブームで 仕 事 が 増 えた。 反 対 住 民 は 沈黙 させられ、 公 聴 会 も 名 目 的 なものだった。福 島 第 一 原 発 が 建 っていた 東 北 地 方 は、 明 治 政 府 に 反 抗 した 江 戸 幕 府 支 持 派 の 牙 城 だった。 日 本 の 近 代 化 において、 東 北 はつねに 発 展 から 取 り 残 された 地 域 だった。 戦 後 においても、 東 北 が 担 った 役 割 は、 労 働 力 と 食 料 と 電 力 の 供 給 地 だったといって 過 言 ではない。高 度 経 済 成 長 期 以 降 、 大 量 の 若 者 が 東 京 などの 工 場 地 帯 に 出 て 行 った。 主 要 な 農 産 物 であるコメは 供 給 過 剰 になり、 一 九 七 〇 年 からは 政 府 の 命 令 で、 補 助 金 とひきかえの 生 産 調整 が 始 まった。一 九 六 〇 年 代 に 急 成 長 した 日 本 の 自 動 車 産 業 や 電 気 産 業 は、 労 働 力 不 足 に 対 応 するべく、東 北 をはじめとした 過 疎 地 に 工 場 を 建 てた。しかし 東 北 に 作 られたのは、 零 細 な 部 品 工 場


も 少 なくなかった。 典 型 的 な 零 細 工 場 の 例 では、 都 市 の 工 場 に 働 きに 出 て 技 術 を 覚 えた 人が、 地 元 の 村 で 従 業 員 数 人 の 部 品 工 場 を 作 り、 大 企 業 に 納 入 した。 働 いたのはおもに 子 育てを 終 えた 農 家 の 中 年 婦 人 の、 非 正 規 雇 用 労 働 者 だった。 時 給 は 政 府 の 最 低 賃 金 基 準 ぎりぎりのことも 多 いが、 農 村 には 他 の 収 入 源 は 限 られている。政 府 は 田 中 内 閣 以 前 から、 道 路 や 港 湾 を 整 備 して 工 業 地 帯 を 作 ろうとした。しかしそのほとんどは 成 功 しなかった。 現 在 、 使 用 済 み 核 燃 料 処 理 施 設 がある 青 森 県 六 ヶ 所 村 は、 一九 六 九 年 の 大 規 模 工 業 団 地 誘 致 計 画 が 失 敗 したあと、 工 場 がこなかった 跡 地 に 建 設 されたものである。やがて 東 北 をはじめ 日 本 の 地 方 は、 政 府 の 補 助 金 に 頼 るようになった。 生 産 調 整 にあったコメの 補 助 金 や、そして 道 路 建 設 などの 公 共 投 資 による 建 設 業 がそれである。こうした状 態 は、 一 九 六 〇 年 代 から 始 まっていたが、 田 中 内 閣 のもと 一 九 七 〇 年 代 前 半 にはそれが大 規 模 化 した。そうした 補 助 金 を 得 る 一 つの 手 段 として、 原 発 誘 致 があったのである。5、 日 本 型 工 業 化 社 会原 発 の 日 本 における 社 会 的 位 置 を 説 明 するには、 一 九 七 〇 年 代 以 降 に 成 立 した 日 本 型 工業 化 社 会 の 全 体 像 について 述 べなければならない。一 九 七 〇 年 代 前 半 に、 政 府 の 補 助 に 頼 るようになっていったのは、 地 方 だけではなかった。 当 時 は、 高 度 成 長 にとりのこされた 中 小 企 業 や 自 営 業 、 都 市 部 に 出 てきた 労 働 者 、 公害 に 悩 まされる 工 業 地 帯 や 都 市 の 住 民 、とくに 女 性 と 高 齢 者 などに 不 満 がたまっていた。それらが 得 票 源 となって、 一 九 七 二 年 の 選 挙 では、 共 産 党 が 大 幅 に 議 席 を 増 やす。 都 市 部には 社 会 党 と 共 産 党 の 支 援 をうけた 知 事 が 多 数 当 選 し、 一 時 は 東 京 をはじめ 大 都 市 の 多 くがその 傘 下 に 入 った。六 〇 年 代 の 高 度 成 長 によって、 日 本 は 急 激 に 工 業 化 社 会 に 変 貌 した。 農 村 型 政 党 の 自 民党 は、 一 貫 して 得 票 率 を 低 下 させていた。 自 民 党 は、こうした 状 況 に 対 応 しなければ、 都市 労 働 者 を 基 盤 にした 社 会 党 や 共 産 党 に、 政 権 をおびやかされることを 恐 れていた。危 機 感 を 抱 いた 自 民 党 は、 田 中 角 栄 を 座 長 とした 調 査 会 をつくって 都 市 政 策 にとりくみ、公 害 対 策 や 都 市 環 境 整 備 にのりだす。 首 相 となった 田 中 のもとで、 福 祉 予 算 は 大 幅 に 増 やされ、 地 方 への 公 共 事 業 が 増 大 する。ほぼ 同 時 に 中 小 企 業 や 自 営 業 を 保 護 するため、 官 庁指 導 下 の 業 界 保 護 のしくみや、 大 規 模 店 舗 の 出 店 を 規 制 する 大 店 法 ( 大 規 模 小 売 店 舗 立 地法 )が 作 られた。 大 店 法 は、 地 元 商 店 などによって 構 成 される 商 工 会 議 の 合 意 がない 限 り、大 型 小 売 店 が 出 展 できない 法 律 である。これらはいわば、 高 度 成 長 の 恩 恵 からとりのこされ、 工 業 化 社 会 のなかで 周 辺 化 された地 域 と 人 びとを、 自 民 党 につなぎとめる 措 置 だった。こうした 措 置 によって 自 民 党 は 支 持を 回 復 した。原 発 への 補 助 金 は、こうした 政 策 の 一 環 だった。 原 発 は 一 九 六 〇 年 代 までは、 輝 かしい工 業 化 社 会 のシンボルだった。しかし 高 度 成 長 が 石 油 ショックで 終 わった 一 九 七 三 年 以 降は、 原 発 は 工 業 化 社 会 の 中 心 部 から 周 辺 部 に、パイを 配 分 する 制 度 に 変 貌 していく。反 面 こうした 政 策 は、 必 然 的 に、 財 政 赤 字 をもたらすものだった。しかし 当 時 は 高 齢 化が 進 んでおらず、 社 会 保 障 支 出 もそれほどではなかった。また 経 済 成 長 が 続 いているかぎ


りは 税 収 があがるので、 財 政 赤 字 の 問 題 も 現 在 ほど 深 刻 ではなかった。石 油 ショックで 高 度 成 長 は 終 わり、 一 九 六 〇 年 から 七 三 年 の 経 済 成 長 率 が 平 均 一 〇 パーセントほどだったのにたいし、 一 九 七 四 年 から 九 一 年 までは 平 均 四 パーセントほどになった。それでも 一 九 七 三 年 と 七 九 年 の 石 油 ショックによって、アメリカと 西 欧 の 経 済 が 極 度に 停 滞 したのにたいし、 日 本 は 経 済 成 長 をつづけ、 失 業 率 も 低 いままだった。 高 度 成 長 が終 わって 内 需 が 縮 小 したため、 日 本 の 製 造 業 は 輸 出 攻 勢 に 転 じた。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とよばれたのは、この 時 期 のことだった。それでは、なぜ 日 本 はそれが 可 能 だったのか。ごく 簡 略 に 私 の 考 えを 述 べる。アメリカや 西 欧 は、 石 油 ショック 後 に 製 造 業 の 衰 退 にみまわれた。OECD 諸 国 は、 一 九 七九 年 から 一 九 九 三 年 までに、 平 均 して 製 造 業 雇 用 の 二 二 パーセントが 失 われ、サービス 業への 移 転 がおきている。石 油 価 格 と 賃 金 の 上 昇 によって、 先 進 諸 国 の 製 造 業 は 途 上 国 に 出 ていった。またオートメーション 技 術 の 発 達 で 製 造 業 の 人 員 が 不 要 になった。それによって 失 業 が 増 大 し、 長 期安 定 雇 用 から 短 期 非 正 規 雇 用 への 切 り 替 えが 増 える。そして 男 性 正 規 労 働 者 を 中 核 とする中 産 層 が 減 少 して、 男 性 の 賃 金 が 下 がったため 女 性 の 労 働 力 率 が 上 昇 し、 離 婚 率 が 上 昇 する。これらが 工 業 化 社 会 からポスト 工 業 化 社 会 への 移 行 とよばれる 現 象 である。ところが 日 本 では、 製 造 業 の 就 業 人 口 が 減 少 に 転 じたのは、 一 九 九 二 年 からだった。これはアメリカの 推 移 とくらべると 二 〇 ~ 三 〇 年 遅 れている。こうみると、 日 本 が 後 発 国 だったから、 製 造 業 の 衰 退 が 遅 れたのだ、という 見 方 もできそうである。 実 際 に、 一 九 八 四 年 のアメリカの 対 日 貿 易 赤 字 の 四 分 の 一 が、 在 日 アメリカ 企 業 の輸 出 と、アメリカ 企 業 の 発 注 による 部 品 /OEM 契 約 の 輸 出 だった。つまり 当 時 の 日 本 は、 今 日 の中 国 のように、アメリカの 製 造 業 の 移 動 先 でもあったわけである。また 冷 戦 が 日 本 に 好 作 用 した。 中 国 は 東 側 陣 営 だったし、アジアの 西 側 諸 国 は 冷 戦 体 制特 有 の 親 米 独 裁 政 権 で、 政 情 も 不 安 定 で 教 育 程 度 もまだ 低 く、 工 場 の 移 転 先 に 適 さなかった。またレーガン 政 権 下 の「 新 冷 戦 」のもと、ドル 高 円 安 が 続 いたため、 日 本 企 業 はあえてアジアに 進 出 する 動 機 に 欠 けた。しかし 日 本 国 内 の 社 会 構 造 要 因 が、 最 大 のものだった。 石 油 ショックに 直 面 した 日 本 企業 は、いちはやくオートメーション 化 を 進 め、 石 油 コストと 人 員 コストの 削 減 に 成 功 した。「ハイテクの 国 日 本 」のイメージはこの 時 期 に 作 られ、 日 本 の 製 造 業 の 生 産 性 は 他 国 を 圧倒 した。それで 失 業 が 増 加 しなかったのはどうしてかといえば、 女 性 ・ 地 方 ・ 中 小 企 業 といった、 日 本 社 会 の 弱 い 環 が 負 担 をひきうけたからだった。日 本 企 業 が 優 先 的 に 削 減 したのは、 女 性 社 員 だった。 結 婚 退 職 や 出 産 退 職 を 奨 励 された女 性 たちは、 男 性 労 働 者 の 妻 になった。 日 米 の 女 性 労 働 力 率 は、 一 九 六 〇 年 代 まで 日 本 のほうが 高 かったが、 七 〇 年 代 に 逆 転 する。 日 本 では、 一 九 七 五 年 が 専 業 主 婦 率 のピークだった。しかし 主 婦 になった 女 性 は、 失 業 者 にカウントされない。 子 育 てが 終 わると、 女 性たちは 時 給 2~3ドルの 非 正 規 労 働 者 として、 製 造 業 やサービス 業 で 日 本 経 済 を 支 えた。なかでも 地 方 の 女 性 の 製 造 業 労 働 が、 日 本 を 支 えた。 一 九 六 〇 年 代 から 作 られていた 東北 などの 中 小 の 下 請 工 場 で、 夫 が 農 業 や 建 設 業 に 就 いている 既 婚 女 性 が、 時 給 数 ドルで 働いた。 賃 金 は 安 くとも、 失 業 者 ではない。トヨタのカンバン 方 式 をはじめ、 日 本 の 製 造 業


の 合 理 化 は、 下 請 け 中 小 企 業 に 厳 しい 負 担 を 負 わせることで 成 立 した。こうした 状 況 があったにもかかわらず、 問 題 が 露 呈 しなかった 要 因 は 三 つあった。 一 つは 大 企 業 の 景 気 と 雇 用 が 安 定 していたことだった。 大 企 業 が 安 定 していれば、 下 請 け 企 業にも 恩 恵 がおよぶ。そして 大 企 業 の 男 性 正 社 員 の 雇 用 と 賃 金 が 安 定 していれば、 妻 が 専 業主 婦 だったり、 低 賃 金 労 働 者 だったとしても、 問 題 はないとみなされた。第 二 は 日 本 社 会 が 若 かったことだった。 製 造 業 は 男 性 正 社 員 を 製 造 部 門 から 販 売 部 門 へ配 置 転 換 することなどによって、 製 造 部 門 からの 削 減 と 雇 用 維 持 を 両 立 させた。 日 本 の 労働 組 合 は 職 種 別 組 合 ではなく 企 業 内 組 合 だったため、ヨーロッパ 諸 国 やアメリカと 違 い、配 置 転 換 に 協 力 した。それでも 遊 休 人 員 はあったが、 労 働 者 が 平 均 的 に 若 かったため 賃 金が 低 く、 問 題 が 露 呈 しなかった。 高 齢 化 が 進 むと、 人 員 を 削 減 するか 年 功 賃 金 をやめるかしなくてはならなくなり、そうなると 女 性 の 低 賃 金 状 態 を 支 えられなくなるのだが、それは 一 九 九 〇 年 代 以 降 のこととなる。第 三 は 田 中 政 権 いらいの 補 助 政 策 だった。 地 方 の 低 賃 金 地 帯 には 公 共 事 業 で 建 設 業 の 仕事 が 配 分 され、 中 小 企 業 には 大 店 法 その 他 の 保 護 があった。もっとも 貧 困 な 地 帯 には、 原発 がやってきた。 福 祉 予 算 は 一 九 八 〇 年 代 には 抑 制 にむかうが、 老 人 を 家 庭 内 で 女 性 に 介護 させる 見 返 りとして、 専 業 主 婦 の 優 遇 税 制 と 優 遇 年 金 制 度 が 一 九 八 五 年 に 導 入 された。それでも 大 企 業 の 景 気 がよく 経 済 成 長 が 続 くなら、 税 収 もあがって 財 政 赤 字 は 深 刻 ではなく、 大 企 業 男 性 正 社 員 の 雇 用 が 維 持 されれば、 専 業 主 婦 が 老 人 介 護 に 専 念 してくれるはずだった。こうして 一 九 六 〇 年 代 から 八 〇 年 代 にかけて、「 日 本 型 工 業 化 社 会 」が 築 かれた。 結 果 からみれば、この 時 期 が 日 本 の 原 発 建 設 のピークだった。しかし 一 九 九 〇 年 代 に 入 ると、この 社 会 構 造 は 前 提 を 失 い、 機 能 不 全 に 陥 っていく。6、 機 能 不 全 に 陥 った「 日 本 型 工 業 化 社 会 」まず 前 提 が 変 わったのは、 国 際 条 件 だった。ドル 高 政 策 と 冷 戦 の 終 焉 によって、 日 本 の製 造 業 は 政 情 が 安 定 してきた 韓 国 ・ 中 国 ・ 東 南 アジアなどに 続 々と 移 転 した。それでも 九〇 年 前 後 のバブル 景 気 の 時 期 は、 国 内 需 要 で 製 造 業 も 好 況 が 続 き、 就 業 人 口 は 九 二 年 まで伸 びていた。しかしバブル 崩 壊 とともに、 製 造 業 はコスト 削 減 のため 海 外 移 転 を 促 進 し、一 九 九 二 年 から 二 〇 〇 九 年 までに 製 造 業 の 就 業 人 口 は 三 二 パーセント 減 少 した。ポスト 工 業 化 社 会 への 移 行 がおこり、 景 気 が 低 迷 すると、 八 〇 年 代 には 隠 れていた 問 題が 連 鎖 的 に 露 呈 し 始 めた。 男 性 正 社 員 の 雇 用 が 維 持 できなくなり、 人 員 削 減 と 年 功 賃 金 の見 直 しが 始 まる。さらに 採 用 抑 制 で、 若 者 の 場 合 は 正 社 員 になれる 比 率 が 減 った。そうなると 女 性 は 働 きに 出 ざるをえなくなり、 女 性 労 働 力 率 は 上 昇 した。しかし 一 部 の若 い 高 学 歴 女 性 をのぞけば、 大 半 は 非 正 規 雇 用 だった。 不 安 な 男 性 と 疲 れた 女 性 のあいだでトラブルが 起 こり、 家 庭 の 崩 壊 が 議 論 されるようになる。また 一 九 八 〇 年 代 後 半 からのアメリカの 市 場 開 放 要 求 によって、 一 連 の 規 制 や 補 助 政 策が 撤 廃 されていった。 大 店 法 は 一 九 九 一 年 に 改 正 され、 二 〇 〇 〇 年 に 廃 止 された。 一 九 九一 年 から 二 〇 〇 七 年 までに、 小 売 店 の 数 は 三 分 の 二 に 減 った。しかも 化 粧 品 や 医 薬 品 などの 販 売 価 格 の 自 由 化 や、 輸 入 規 制 の 撤 廃 で、 大 手 チェーンの 小 売 店 が 安 い 中 国 製 品 などを


売 ることが 増 えた。 高 い 国 産 品 を 売 っている 古 い 自 営 小 売 店 は 続 々とつぶれ、 地 方 の 商 店街 は「シャッター 街 」とよばれるまでになった。冷 戦 終 結 とともに 日 本 の 景 気 後 退 が 始 まり、 地 方 経 済 が 疲 弊 した。 政 府 は 公 共 投 資 を 増大 させ、 一 九 九 八 年 にはピークに 達 し、 建 設 業 は 就 労 人 口 の 一 一 パーセントに 達 した。しかし 財 政 赤 字 に 耐 えかねた 日 本 政 府 は、 二 〇 〇 〇 年 代 には 公 共 事 業 削 減 に 転 じ、 関 連 予 算は 最 盛 期 の 半 分 に 低 下 した。この 状 態 を 招 いた 一 因 は、 皮 肉 にもアメリカの 要 求 だった。 対 日 貿 易 赤 字 に 悩 んだアメリカ 政 府 は、 日 本 に 市 場 開 放 と 自 由 化 を 要 求 する 一 方 、 公 共 事 業 を 増 やして 内 需 を 拡 大 することを 要 求 した。その 結 果 、 対 米 公 約 というかたちで、 一 九 九 一 年 度 から 一 〇 年 間 で 総額 四 三 〇 兆 円 という 公 共 投 資 基 本 計 画 が 策 定 されたのである。この 計 画 はやがて 目 的 が 景気 対 策 に 変 わったが、 二 〇 〇 二 年 には 延 長 計 画 が 廃 止 された。西 欧 では 賃 金 が 年 功 によって 上 昇 しないかわりに、 大 学 教 育 が 無 償 だったり 住 宅 補 助 があったりする。 日 本 はそれらがない 代 わりに、 正 社 員 であれば 年 功 で 賃 金 があがり、 家 族にお 金 がかかる 年 齢 になると 高 収 入 になるようになっていた。しかし 若 者 が 正 社 員 になれず、なっても 終 身 雇 用 や 年 功 賃 金 制 度 が 廃 止 されるとなると、こうした 前 提 が 崩 れる。 現在 、 日 本 の 子 供 が 大 学 を 出 るまでに 安 くとも 一 人 三 〇 〇 〇 万 円 、 高 ければ 六 〇 〇 〇 万 円 かかるといわれ、 三 人 子 供 を 生 んだら 破 産 するといわれている。結 婚 できず、 子 供 を 作 れず、 親 の 自 宅 や 賃 貸 住 宅 に 住 み 続 ける 三 〇 代 男 女 が 増 え 続 け、晩 婚 化 と 少 子 化 が 進 んでいる。 低 収 入 層 が 子 供 を 進 学 させられず、 貧 困 の 再 生 産 に 陥 りつつある 傾 向 も 出 始 めた。高 齢 化 が 進 み、 社 会 保 障 費 がかさんでいる。 二 〇 一 一 年 度 当 初 予 算 の 三 四 パーセントが社 会 保 障 費 、 三 七 パーセントが 国 債 の 返 還 費 で、 国 債 が 予 算 源 の 半 分 以 上 だった。日 本 の 社 会 保 障 制 度 は、 一 九 六 〇 年 代 から 七 〇 年 代 前 半 に 基 本 ができた。 現 在 の 問 題 は高 齢 者 医 療 と 年 金 の 費 用 が 七 割 以 上 で、 中 年 以 下 の 失 業 者 や 母 子 家 庭 などに 回 っていないことである。 中 年 以 下 は 働 ける、 雇 用 はある、という 前 提 の 制 度 だった。雇 用 はあるにはあるが、 正 社 員 が 減 って 低 賃 金 の 非 正 規 雇 用 が 増 えている。 中 年 の 子 供たちが、 戸 籍 上 は 一 〇 〇 歳 をこえる 親 が 死 んだことを 隠 して 年 金 をうけとっていた 事 件 は、二 〇 一 〇 年 にニュースとなった。また 高 齢 者 年 金 も、 正 規 雇 用 を 前 提 とした 厚 生 年 金 は 手 厚 いが、 自 営 業 や 非 正 規 雇 用 の基 礎 年 金 は 月 額 六 万 円 にすぎず、 高 齢 貧 困 者 も 増 えている。 生 活 保 護 は 一 九 九 五 年 以 後 は急 激 に 上 昇 に 転 じているが、 若 年 ・ 中 年 者 はなかなか 適 用 されないため、 高 齢 者 とくに 単身 高 齢 者 が 受 給 世 帯 の 半 数 をこえている。 二 〇 一 一 年 には、OECD 基 準 の 相 対 的 貧 困 ライン以 下 の 人 口 は 一 六 パーセントをこえ、アメリカについで 高 くなった。大 企 業 が 景 気 悪 化 で 中 国 などに 工 場 を 移 転 したため、 下 請 け 工 場 は 苦 境 におちいっている。 今 回 の 津 波 で 壊 滅 したある 東 北 の 町 の 零 細 工 場 では、 時 給 三 〇 〇 円 で 農 村 女 性 たちが電 気 部 品 を 作 っていた。 納 入 先 がペルーの 工 場 に 部 品 を 発 注 するから 契 約 を 打 ち 切 る、と言 ってきたのを 引 き 止 めるため、 時 給 を 切 り 下 げたのである。 法 定 最 低 賃 金 以 下 だが、 雇用 がない 地 方 なので、 監 督 署 に 告 発 することもできない。この 工 場 の 経 営 者 は、 土 建 業 を 営 んでもいて、 自 民 党 の 支 持 者 だった。しかし 公 共 投 資


を 削 減 した 自 民 党 政 権 は 支 持 基 盤 を 失 い、おりからのリーマンショックによる 景 気 後 退 もあいまって、 二 〇 〇 九 年 には 民 主 党 に 政 権 が 交 代 した。地 方 には 仕 事 がないので、 都 市 への 集 中 が 進 んでいる。 地 方 といっても、 県 庁 所 在 地 に人 口 の 半 分 以 上 が 集 まっている 県 は 少 なくない。さらにそこから 東 京 への 集 中 が 進 んでいる。一 九 八 九 年 に 行 なわれた、 北 海 道 の 県 庁 所 在 地 である 札 幌 市 の 公 営 住 宅 のある 調 査 は、すでに 二 〇 年 前 に、こうした 状 況 が 何 をもたらしていたかを 示 している。 地 方 で 仕 事 のなくなった 女 性 たちが 公 営 住 宅 に 集 まっていたが、 人 生 経 歴 はほとんど 似 通 っていた。 実 家の 貧 困 ・ 自 身 の 低 学 歴 ・ 親 族 関 係 の 希 薄 ・ 都 会 への 流 出 ・ 不 安 定 就 業 ・おなじ 境 遇 の 男 性との 結 婚 と 出 産 ・ 夫 のギャンブルと 借 金 ・ 家 庭 内 暴 力 と 離 婚 ・ 転 職 と 転 居 をくりかえして公 営 住 宅 にたどりつく、というパターンである。 母 子 家 庭 の 場 合 、 生 活 が 不 規 則 になり、子 供 が 不 登 校 になるケースも 多 く 見 られた。ここで 注 目 すべきなのは、この 地 域 の 貧 困 母 子 家 庭 が、 表 面 上 は 必 ずしも 貧 困 にみえなかったことだった。その 公 営 住 宅 は、 公 共 投 資 で 建 設 された、コンクリート 製 のビルが 並ぶ 近 代 的 な 計 画 団 地 だった。 人 並 み 以 上 に 新 しい 家 電 製 品 や 衣 類 を 買 い、マンガ 本 が 狭 い住 居 あふれている 例 も 少 なくなかった。しかしこれらの 女 性 たちは 日 々の 低 賃 金 労 働 に 追われ、 病 気 や 神 経 失 調 にかかる 例 が 多 く、 食 事 はインスタント 食 品 が 大 半 だった。 家 電 製品 などの 買 い 物 やマンガ 本 に 走 るのは、 未 来 のみえない 不 安 定 な 生 活 のストレスと 社 会 的な 劣 等 感 からで、その 支 払 いのローンで 苦 しんでいるケースが 多 いとされている。こうした 現 象 は、 一 九 八 九 年 には 地 方 都 市 の 例 外 的 区 域 だけの 問 題 だと 考 えられていたが、いまでは 無 視 できないものになった。今 回 の 被 災 地 は、 二 〇 三 〇 年 までに 人 口 が 二 割 から 三 割 減 ると 予 測 されていた、 過 疎 化と 高 齢 化 が 進 む 地 域 で、 津 波 の 犠 牲 者 の 多 くは 高 齢 者 だった。 大 きな 産 業 はなく、 最 大 の工 業 都 市 の 釜 石 市 でも、 一 九 八 九 年 から 製 鉄 は 行 なっておらず、 外 部 から 移 入 した 鉄 を 高品 位 の 線 材 に 加 工 しており、 雇 用 は 最 盛 期 の 数 パーセントである。 高 齢 者 福 祉 の 負 担 もあり、 自 治 体 の 多 くは 大 きな 財 政 赤 字 を 抱 えている。 二 〇 〇 〇 年 代 からは 公 共 事 業 も 削 減 に転 じ、 地 方 の 衰 退 はますます 深 まった。そうしたなかで、 原 発 を 受 け 入 れた 町 だけが、 補助 金 でうるおっていたのだった。7、ポスト 工 業 化 社 会 での 原 発原 発 の 建 設 は、 一 九 九 七 年 までで 増 加 が 止 まった。 一 九 九 九 年 の JCO 事 故 や 二 〇 〇 二 年の 事 故 隠 蔽 工 作 発 覚 などがあいつぎ 批 判 を 招 いたこと、 国 際 的 に 原 発 の 安 全 性 が 問 われ 建設 コストが 上 昇 していったことなどが 影 響 している。しかしもっとも 大 きな 理 由 は、 日 本経 済 そのものがこの 時 期 をピークに 縮 小 に 転 じ、 省 エネルギー 技 術 の 発 達 もあいまって、電 力 需 要 が 伸 びなくなったことだった。製 造 業 の 海 外 移 転 や、 小 売 店 の 減 少 や 合 理 化 は、 九 二 年 からおこっていた。しかし 九 〇年 代 半 ばまでは、その 縮 小 の 傾 向 がまだ 大 きくなかったことと、 公 共 事 業 が 需 要 をカバーしていたことで、それほど 目 立 たなかった。しかし 九 七 年 のアジア 通 貨 危 機 の 時 期 に、 日本 でもおきた 金 融 危 機 を 境 目 として、 多 くの 経 済 指 標 が 減 少 に 転 じていった。 電 力 需 要 と


発 電 所 建 設 も、その 例 外 ではなかったといえる。プルトニウムの 過 剰 蓄 積 を 批 判 されている 日 本 は、 一 九 九 三 年 の 日 米 交 渉 で、 余 剰 蓄 積を 持 たないことを 国 際 公 約 とした。しかし 一 九 九 五 年 、プルトニウムを 燃 料 にする 高 速 増殖 炉 「もんじゅ」が 事 故 をおこした。 事 故 の 深 刻 さは 隠 蔽 されたが、その 後 に 自 治 体 職 員の 立 ち 入 り 調 査 で 明 るみに 出 た。 以 後 現 在 にいたるまで、 一 日 五 千 万 円 に 相 当 する 修 理 維持 費 を 費 やしながら、いまだに 稼 動 していない。おりしも 一 九 九 五 年 は、 阪 神 大 震 災 と 薬 害 エイズ 事 件 によって、 行 政 の 不 透 明 さに 批 判が 高 まっていた 時 期 だった。これを 機 に、 原 子 力 行 政 も 議 事 録 などの 情 報 公 開 と、 批 判 派をふくむ 参 考 人 招 致 を 余 儀 なくされた。こうした 流 れは、 一 九 九 九 年 の 情 報 公 開 法 によって 加 速 された。一 九 九 〇 年 代 後 半 から 二 〇 〇 〇 年 代 前 半 にかけては、 高 い 電 気 料 金 に 不 満 をもつ 経 済 界と、 経 産 省 の 改 革 派 から、 経 済 合 理 性 のない 高 速 増 殖 炉 やプルトニウム 抽 出 をやめ、 電 力市 場 を 自 由 化 すべきだという 動 きが 台 頭 した。 一 九 八 五 年 の 通 信 事 業 自 由 化 のあと、 大 幅に 通 信 料 金 が 下 がったことを 踏 まえての 動 きだった。しかし 電 力 業 界 は、 企 業 など 大 口 需 要 家 への 自 由 化 のみを 行 なうことで 経 済 界 の 不 満 を沈 静 させた。また 改 革 派 の 官 僚 は、 旧 来 の 方 針 と 利 権 を 守 ろうとする 勢 力 との 抗 争 に 敗 れた。こうして 二 〇 〇 五 年 には、 原 発 を 大 規 模 に 増 設 する 原 子 力 政 策 大 綱 がまとめられた。二 〇 〇 〇 年 代 前 半 は、 公 共 事 業 の 大 幅 な 削 減 や、 郵 政 民 営 化 にみられるように、 日 本 型工 業 化 社 会 の 非 効 率 性 を、 市 場 自 由 化 によって 打 開 しようという 改 革 の 動 きがおきた 時 期だった。 原 発 についてもそれがおこったのだが、 日 本 型 工 業 化 社 会 の 構 造 を 維 持 しようとする 守 旧 派 が 一 時 的 に 勝 ったのである。 二 〇 〇 七 年 の 中 越 地 震 のさいの 柏 崎 原 発 事 故 など、頻 発 していた 事 故 は 隠 蔽 され、 地 球 温 暖 化 対 策 に 原 発 が 役 立 つという 宣 伝 もなされて、 原発 推 進 は 安 定 したようにみえた。しかし 原 発 産 業 の 実 態 は 苦 しくなる 一 方 だった。 二 〇 〇 八 年 のリーマンショック 以 降 、日 本 経 済 の 低 迷 はますます 著 しくなり、それ 以 前 から 伸 び 悩 んでいた 電 力 需 要 は 減 少 に 転じ、 二 〇 〇 七 年 度 から 二 〇 〇 九 年 度 に 七 パーセント 減 った。 原 発 の 運 転 開 始 から 半 世 紀 以上 たっても、 安 全 性 や 廃 棄 物 処 理 などの 技 術 的 な 問 題 が 解 決 せず、 一 九 七 〇 年 前 後 に 建 てられた 原 発 は 老 朽 化 し、 新 規 建 設 による 設 備 更 新 もままならないまま、あいつぐ 事 故 で 稼働 率 は 六 〇 パーセント 台 に 低 迷 していた。青 森 県 六 ヶ 所 村 の 使 用 済 み 核 燃 料 再 処 理 施 設 (プルトニウム 抽 出 施 設 )は、プルトニウムの 過 剰 蓄 積 を 持 たないという 国 際 公 約 が 行 なわれたのにもかかわらず、 一 九 九 三 年 から建 設 が 開 始 された。しかし 当 初 予 定 の 三 倍 ちかい 二 兆 二 千 億 円 を 費 やしても 技 術 的 問 題 が解 決 せず、いまだに 試 運 転 中 にとどまっている。日 本 は 再 処 理 と 高 速 増 殖 炉 による「 核 燃 料 サイクル 計 画 」に 一 九 六 〇 年 代 から 固 執 してきたため、 使 用 済 み 核 燃 料 の 処 分 施 設 を 作 ってこなかった。このまま 再 処 理 が 行 き 詰 まれば、また 再 処 理 ができてもプルトニウムを 使 う 高 速 増 殖 炉 が 行 き 詰 れば、 日 本 の 原 子 力 政策 そのものが 行 き 詰 る。そのため、 抽 出 したプルトニウムを 通 常 の 原 発 で 燃 料 にするプルサーマル 計 画 が 推 進 されたが、こちらも 予 定 を 大 幅 に 遅 れ、 二 〇 一 〇 年 一 〇 月 から 福 島 第一 原 発 で 商 業 運 転 を 開 始 した。


二 〇 〇 九 年 、 民 主 党 に 政 権 が 交 代 したが、 結 果 的 には 原 発 政 策 にほとんど 影 響 をあたえなかった。やがて 低 迷 する 経 済 状 況 を 打 開 することと、 国 内 の 原 発 建 設 が 行 き 詰 っていることのため、 原 発 を 政 府 支 援 で 輸 出 産 業 にする 方 針 がとられるようになり、 工 業 化 社 会 になりつつあるベトナムやタイ、インドへの 交 渉 が 進 められた。大 口 需 要 家 の 電 力 市 場 が 自 由 化 されたため、 東 京 電 力 の 販 売 電 力 量 は 大 口 が 六 割 以 上 であるのに、 利 益 は 一 割 にすぎなかった。そのため 大 部 分 の 利 益 は、 独 占 が 保 たれている 家庭 用 電 力 販 売 から 得 ているといういびつな 構 造 となっていた。 東 京 電 力 は 二 〇 〇 〇 年 代 後半 から、 暖 房 や 調 理 など、 家 庭 のエネルギー 利 用 をすべて 電 力 にする「オール 電 化 」のキャンペーンを 行 なった。この 利 益 から、 立 地 自 治 体 に 寄 付 金 や 補 助 金 がばらまかれていた。 建 設 のピークはすぎていたが、 公 共 事 業 の 削 減 とともに 地 方 の 窮 状 は 深 まり、 原 発 を 増 設 したいという 声 は 立地 自 治 体 から 多 く 出 ていた。しかしひとたび 何 かのきっかけで、この 構 造 が 注 目 をあびれば、 批 判 が 高 まることは 明 らかだった。そこにおきたのが 二 〇 一 一 年 の 福 島 第 一 原 発 事 故 である。8、 原 発 反 対 運 動 の 社 会 的 基 盤日 本 の 原 発 反 対 運 動 は、 一 九 六 〇 年 代 後 半 から 始 まった。その 担 い 手 は、 社 会 構 造 の 歴史 的 変 化 に 応 じて、いくつかの 種 類 にわかれる。第 一 の 層 は、 原 発 立 地 地 域 の 農 業 者 と 漁 業 者 である。 日 本 の 原 発 は 冷 却 水 の 必 要 から 海沿 いに 建 てられるため、 地 権 者 の 農 民 だけでなく、 漁 民 の 漁 業 権 が 問 題 になることが 多 い。彼 らが 土 地 と 漁 業 権 を 譲 渡 しない 限 り、 原 発 は 建 てられない。第 二 は、 労 働 組 合 と 社 会 党 、そして 知 識 人 である。とくに 立 地 地 域 の 近 隣 にある 地 方 都市 の 労 組 、 社 会 党 員 、 弁 護 士 、 教 員 、 学 生 、 科 学 者 などが、 農 民 や 漁 民 の 運 動 を 支 援 してきた。この 層 は、もともと 日 本 の 労 働 運 動 や 平 和 運 動 の 担 い 手 でもあった。上 記 の 二 つは、 日 本 社 会 が 発 展 途 上 国 の 特 徴 を 残 していた 時 代 の、いわば 伝 統 的 社 会 の社 会 層 である。 運 動 の 強 さも 伝 統 的 社 会 にみあったもので、 農 民 や 労 働 者 は 共 同 体 のつながりを 基 盤 としており、 学 者 や 弁 護 士 は 知 的 権 威 を 基 盤 としていた。 七 〇 年 代 においては、原 発 反 対 運 動 は 水 俣 病 訴 訟 や 成 田 空 港 反 対 運 動 などと 並 列 に 語 られがちだったが、それは担 い 手 の 社 会 層 が 似 通 っていたためでもある。日 本 の 原 発 は、 大 部 分 は 一 九 六 〇 年 代 までに 選 定 された 立 地 地 点 に 建 っている。いちど原 発 をうけいれた 自 治 体 は、 補 助 金 を 目 当 てに 増 設 を 要 請 しつづけた。もっとも 貧 困 な 県である 青 森 県 では、 一 九 八 〇 年 代 にプルトニウム 抽 出 工 場 を 受 け 入 れさせるため、 電 力 業界 は 立 地 自 治 体 だけでなく 全 県 の 市 町 村 に 寄 付 金 を 配 布 するシステムをつくりあげ、 強 力だった 反 対 運 動 を 沈 静 化 した。しかしこれは 全 国 にはとうてい 波 及 し 得 ないシステムであり、 一 九 七 〇 年 代 以 降 に 新 規 に 建 設 立 地 を 受 け 入 れたところは 少 なかった。これはこの 時期 の 運 動 の 大 きな 成 果 である。運 動 を 立 地 地 域 以 外 に 広 めるフレーミングとしては、 日 本 の 戦 争 体 験 にもとづく 平 和 志向 や 反 核 兵 器 、 反 資 本 主 義 、そして 反 自 然 破 壊 が 有 力 だった。七 〇 年 代 までの 自 然 志 向 は、やや 現 代 と 異 なる。 日 本 は 一 九 六 五 年 まで 農 林 水 産 業 の 就


業 人 口 が 製 造 業 より 多 かった 国 であり、 都 市 住 民 の 多 くも 元 農 民 だった。 彼 らにとって、原 発 や 空 港 の 建 設 は、ブルドーザーが 農 村 をふみつぶしていく 光 景 に 映 った。それがたんなる 自 然 志 向 を 超 えた 感 情 だったことは、「ふるさとを 守 れ」というスローガンが 多 用 されたことにもみられる。しかしこれら 第 一 と 第 二 の 社 会 層 は、 八 〇 年 代 半 ばまでは 運 動 の 主 力 だったが、 現 在 では 衰 退 している。 第 一 の 要 因 は、 彼 らの 基 盤 だった 伝 統 的 社 会 が 衰 退 したことである。 農業 や 漁 業 が 衰 退 し、 原 発 に 頼 る 傾 向 が 生 まれた。 労 組 の 団 結 と 組 織 率 も 下 がり、 知 識 人 の権 威 も 衰 えた。そこに 第 二 の 要 因 として、 日 本 型 工 業 化 社 会 の 利 益 誘 導 システムが 働 いた。農 民 や 漁 民 には 補 助 金 や 寄 付 金 による 切 り 崩 しが 行 なわれ、 労 組 は 石 油 ショック 後 の 合 理化 政 策 のなかで 経 済 界 と 妥 協 し、 雇 用 を 守 る 代 わりに 政 治 活 動 を 控 えていった。それに 代 わって、 八 〇 年 代 後 半 以 降 の 原 発 反 対 運 動 の 担 い 手 となったのは、 第 三 の 社 会層 である 都 市 部 の 主 婦 だった。 比 較 的 高 学 歴 で、 三 〇 代 後 半 から 四 〇 代 前 半 の、 育 児 を 終えた 都 市 部 の 専 業 主 婦 である。 八 六 年 のチェルノブイリ 原 発 事 故 のあと、この 層 が 原 発 反対 運 動 の 中 心 となった。 彼 女 たちは 時 間 と 知 識 と 体 力 があり、 食 品 の 安 全 性 や 放 射 能 汚 染などに 関 心 が 高 かった。この 現 象 を 理 解 するには、 一 九 七 〇 年 代 から 八 〇 年 代 の 日 本 では、 男 性 の 雇 用 と 賃 金 が安 定 していたことを 述 べなければならない。 一 九 七 〇 年 代 以 降 のアメリカでは、 男 性 の 雇用 と 賃 金 が 不 安 定 となり、 専 業 主 婦 が 劇 的 に 減 っていった。しかし 前 述 したように、 日 本の 女 性 はこの 時 期 が 専 業 主 婦 率 がもっとも 高 かった。 郊 外 に 住 む 白 人 中 産 階 級 の 専 業 主 婦の 空 虚 さを 描 いたベティ・フリーダンの 著 作 は、アメリカでは 一 九 六 三 年 に 出 版 されたが、日 本 でよく 読 まれたのは 七 〇 年 代 から 八 〇 年 代 である。運 動 を 担 った 主 婦 たちは、 高 学 歴 であるにもかかわらず、 性 差 別 のためよい 職 に 就 くことができず、あるいは 出 産 ・ 育 児 のため 退 職 せざるをえなかった 女 性 たちだった。しかも彼 女 たちは、 高 学 歴 ・ 高 収 入 の 夫 と 結 婚 して 経 済 的 余 裕 があり、 子 育 てを 終 えて 時 間 的 にも 余 裕 があった。そしてまだ 若 く 体 力 があり、しばしば 六 八 年 の 学 生 運 動 の 経 験 もあり、自 分 にふさわしい 自 己 実 現 の 場 を 求 めていた。彼 女 たちは、まさに「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の 時 代 の、 日 本 型 工 業 化 社 会 の構 造 のなかで 登 場 した 社 会 層 だった。 彼 女 たちは、 豊 かさの 中 で 政 治 的 関 心 を 失 っていた学 生 や 労 働 者 に 代 わって、 原 発 反 対 運 動 にかぎらず、この 時 代 のさまざまな 社 会 運 動 の 担い 手 となった。彼 女 たちは、 第 一 と 第 二 の 社 会 層 のように、 伝 統 的 社 会 の 価 値 観 を 身 につけてはいなかった。 運 動 のスタイルも、 共 同 体 に 依 拠 せず、 権 威 を 認 めない 水 平 的 な 個 人 のつながりであり、 組 織 や 方 針 の 統 一 を 重 視 しなかった。こうしたスタイルは、 当 時 は「 脱 原 発 ニューウェーブ」と 形 容 されたが、アメリカなどの「 新 しい 社 会 運 動 」と 類 似 している。この 時代 に 主 婦 たちが 行 なっていた 有 機 農 産 物 の 生 協 運 動 にならって、 共 同 出 資 による 風 力 発 電事 業 などが 起 業 されたのも、 従 来 にはなかったスタイルだった。運 動 のフレーミングとしては、 食 品 の 安 全 や、 有 機 農 業 者 との 提 携 など、 自 然 環 境 志 向が 打 ち 出 された。この 自 然 志 向 は、 七 〇 年 代 のように、 具 体 的 な「ふるさと」を 守 るというよりは、 理 念 的 な 環 境 保 護 運 動 に 近 かった。


また 彼 女 たちは、「 経 済 大 国 日 本 」が、アジア 諸 国 の 自 然 環 境 を 破 壊 し、 戦 争 の 時 代 に 行なわれた 武 力 侵 略 に 代 わって「 経 済 侵 略 」を 行 なっている、というフレーミングも 好 んだ。彼 女 たちの 多 くは、こうしたフレーミングと、 女 性 としての 共 感 ゆえに、 従 軍 慰 安 婦 問 題にも 関 心 が 高 かった。しかしこの 層 も、その 後 に 活 力 を 低 下 させた。チェルノブイリ 原 発 事 故 の 衝 撃 が 薄 れていったという 理 由 もあるが、 九 〇 年 代 以 降 のポスト 工 業 化 社 会 への 移 行 のなかで、この 層は 社 会 的 基 盤 を 失 っていった。現 代 の 日 本 では、 大 部 分 の 若 年 男 性 は、 専 業 主 婦 を 養 う 余 裕 も 志 向 も 失 っている。 若 年層 では、 中 下 層 の 女 性 は 多 くが 非 正 規 雇 用 に 就 いている。 一 方 で 上 層 部 分 においては 性 差別 はやや 緩 和 され、 高 学 歴 女 性 が 社 会 的 に 上 昇 できる 可 能 性 は 増 した。そのため 現 代 では、 学 歴 と 時 間 と 経 済 的 余 裕 のある 専 業 主 婦 層 は、 八 〇 年 代 までに 主 婦になった 四 〇 代 後 半 以 上 が 中 心 となっている。この 層 にはいまでも 活 動 的 な 人 物 が 少 なくないが、 九 〇 年 代 以 降 は、 高 齢 化 とともに 自 分 にとってより 切 実 となっていった 老 人 介 護問 題 や、 従 軍 慰 安 婦 問 題 に 関 心 を 移 していった。 一 九 九 七 年 の 介 護 保 険 法 の 成 立 には、この 層 からの 運 動 が 影 響 している。もともとこの 層 にとっては、 原 発 立 地 自 治 体 の 反 対 住 民とはちがって、 原 発 問 題 は 選 択 的 なテーマだった。9、 現 代 の 原 発 反 対 運 動二 〇 一 一 年 の 福 島 第 一 原 発 事 故 のあと、 第 四 の 層 が 台 頭 した。 二 〇 〇 〇 年 代 以 降 に 急 増した、 三 〇 代 を 中 心 とする「 自 由 」 労 働 者 たちである。事 故 直 後 の 四 月 、 東 京 の 高 円 寺 でデモをよびかけたのは、 非 正 規 雇 用 の 若 年 労 働 者 の 待遇 改 善 運 動 の 周 辺 にいた、 三 〇 歳 前 後 の 活 動 家 たちだった。 彼 ら 自 身 もその 多 くが、 比 較的 高 学 歴 であるにもかかわらず、 経 済 の 低 迷 で 正 規 雇 用 に 就 けなかった 人 びとだった。 彼らは 社 会 経 験 と 知 識 があり、それが 欠 落 している 学 生 よりもはるかに 政 治 的 関 心 が 高 い。デモにあたって 組 織 的 動 員 はなく、ツイッターやフェイスブックで 集 まった 一 万 五 千 人の 多 くは、デモに 初 めて 参 加 する 二 〇 代 から 四 〇 代 の 男 女 だった。その 社 会 層 の 公 式 調 査はないが、 集 まっている 人 びとの 服 装 や 髪 型 は、 大 手 企 業 のビジネスマンのそれとはほど遠 い「 自 由 」な 傾 向 がある。 非 正 規 雇 用 労 働 者 は、 服 装 や 労 働 時 間 において 正 規 雇 用 労 働者 より「 自 由 」であり、こうしたデモに 参 加 しやすい。ただし 正 規 雇 用 労 働 者 も、 二 〇 〇 〇 年 代 になって、 新 興 業 種 ではフレックスタイムや 服装 の 自 由 化 が 進 んでいる。また 三 〇 代 でも 結 婚 していない、ないしは 子 供 を 生 んでいない女 性 が 増 えている。さらに 子 供 を 生 んでいても、 保 育 サービスの 普 及 によって、 退 職 して専 業 主 婦 になる 道 を 選 ばない 女 性 が 増 えた。 全 体 に、デモに 参 加 するだけの「 自 由 」を 得た 層 が 増 大 したのである。日 本 型 工 業 化 社 会 の 最 盛 期 には、 三 〇 代 の 男 女 の 多 くは、 背 広 を 着 たビジネスマンか 専業 主 婦 であり、 主 婦 の 一 部 が 子 育 てを 終 えた 時 期 に、 社 会 運 動 をする 余 裕 を 持 てるにすぎなかった。ところが 二 〇 一 一 年 には、ポスト 工 業 化 社 会 への 以 降 によって 出 現 した 新 しい「 自 由 」 層 が、 原 発 反 対 運 動 に 流 入 してきたのである。さらに 外 国 人 の 参 加 も、みられるようになってきた。 単 純 に 日 本 に 在 住 している 外 国 人


が 増 えたのが 大 きな 理 由 である。 前 述 の 高 円 寺 のデモを 主 催 したグループのホームページでは、 呼 びかけ 文 の 英 語 ・ 中 国 語 ・ 韓 国 語 の 翻 訳 がいちはやく 掲 載 された。 彼 ら 自 身 の 語学 能 力 が 前 世 代 よりあがっているが、 非 正 規 雇 用 の 現 場 で 知 りあった 中 国 人 や 韓 国 人 の 友人 、アメリカ 人 の 留 学 生 などに 訳 してもらったという。運 動 のフレーミングも、 従 来 とは 異 なっている。 八 〇 年 代 までは、 原 発 反 対 運 動 は 産 業社 会 の 象 徴 である 原 発 の 否 定 であり、「ふるさと」や 有 機 農 産 物 をそれに 対 置 するといったフレーミングが 多 かった。しかしこのフレーミングは、 上 記 の 層 をひきつけていない。 有機 農 産 物 などは、 非 正 規 労 働 者 にとってはぜいたく 品 であり、むしろ 反 発 を 示 す。非 正 規 雇 用 労 働 者 のデモ 参 加 者 たちが 共 感 を 示 すのは、 非 正 規 で 危 険 な 労 働 をさせられている 原 発 労 働 者 の 境 遇 である。 彼 らにとって 電 力 会 社 は、 労 働 者 を 使 い 捨 てにする 一 方 、ろくに 働 いていない 正 社 員 を 厚 遇 し、 独 占 によって 既 得 権 益 を 得 ている、 前 時 代 の 日 本 企業 の 象 徴 である。そして 電 力 市 場 自 由 化 や、 再 生 可 能 エネルギーの 導 入 によって、 原 発 を廃 絶 することが 主 張 される。このようなフレーミングを 理 解 するには、 彼 ら 自 身 が、ポスト 工 業 化 と 自 由 化 の 犠 牲 者であると 同 時 に、 日 本 型 工 業 化 社 会 の 守 旧 的 姿 勢 の 犠 牲 者 であることを 踏 まえなくてはならない。 彼 らの 多 くは、それなりに 有 能 であっても、 経 済 の 低 迷 で 大 学 卒 業 時 に 正 規 雇 用されるチャンスを 失 っている。そして、 新 卒 者 しか 正 社 員 に 雇 用 しない 日 本 企 業 の 慣 行 のために、 非 正 規 労 働 を 余 儀 なくされている。日 本 の 大 企 業 は、 組 織 内 においては 日 本 型 工 業 化 社 会 の 特 徴 である 新 卒 一 括 採 用 ・ 終 身雇 用 などを 維 持 しつつ、 組 織 の 周 辺 部 分 において 非 正 規 雇 用 を 増 大 させることで、ポスト工 業 化 に 対 応 している。そのため 彼 らの 怒 りは、 自 由 化 そのものよりも、 自 由 化 の 波 を 逃れて 日 本 型 工 業 化 社 会 の 既 得 権 を 守 っている 守 旧 派 にむかう。 電 力 会 社 と 原 発 は、その 象徴 とみなされている。そのため 現 代 日 本 では、この 層 と、ネオリベラリズムを 唱 える 新 興 エリート 層 が、 連 携して 原 発 を 批 判 する 動 きがみられる。 通 信 市 場 の 自 由 化 にともなって 参 入 した 新 興 企 業 であるソフトバンクの 社 長 が、 原 発 を 批 判 して 経 団 連 を 脱 退 し、 太 陽 光 発 電 事 業 に 進 出 したことは、 彼 らの 喝 采 をあびている。また 公 務 員 削 減 と 自 由 競 争 を 唱 える 大 阪 府 知 事 も、 電力 会 社 批 判 と 脱 原 発 をうたって 支 持 された。 反 面 、アメリカのウォール 街 占 拠 に 呼 応 して、ネオリベラリズムと 新 興 富 裕 層 批 判 を 唱 えて 一 〇 月 に 行 なわれたオキュパイ・トウキョウは、 原 発 反 対 デモにくらべはるかに 少 ない 人 数 しか 集 まらなかった。また 正 規 雇 用 のエリートのなかでも、ソフトバンクなど IT 系 の 新 興 企 業 では、 服 装 や 勤務 時 間 が 自 由 な 場 合 も 多 く、 旧 財 閥 系 企 業 に 代 表 される 背 広 姿 のビジネスマンとちがって、文 化 的 には 非 正 規 労 働 者 たちと 親 和 性 が 高 い。この 層 は、 経 済 自 由 化 に 積 極 的 であると 同時 に、 高 価 な 有 機 栽 培 食 品 などにも 関 心 を 示 し、 食 品 の 放 射 能 汚 染 にも 関 心 がある。彼 らにフレーミングを 構 築 する 知 識 を 提 供 しているのが、 一 九 九 八 年 の NPO 法 や、 一 九九 九 年 の 情 報 公 開 法 などによって、 日 本 でも 育 ちつつある NPO の 知 的 専 門 家 たちである。一 九 九 五 年 の 阪 神 大 震 災 によって、 民 間 のボランティア 活 動 が 認 知 され、 政 府 は NPO 法 を制 定 した。 政 府 がみこんでいたのは、 介 護 保 険 法 などにともなって 発 生 する 膨 大 なニーズに 応 えるために、 政 府 機 関 と 提 携 する NPO の 育 成 であった。しかしこれによって 寄 付 税 制


などが 整 えられ、 従 来 は 財 政 基 盤 を 欠 きがちだった 市 民 団 体 が、 専 門 知 識 を 身 につけたスタッフを 育 成 する 余 裕 が 生 まれた。これによって、 政 府 に 批 判 的 な 政 策 提 言 をするグループも 発 生 し 始 めていたのである。またこれら 専 門 家 たちは、 非 正 規 雇 用 層 と、 新 興 エリート 層 を 橋 渡 しする 機 能 も 果 たしている。NPO などに 集 まっている 若 手 のスタッフは、 高 学 歴 かつ 優 秀 な 人 材 が 多 いが、しばしば 日 本 型 工 業 化 社 会 の 弊 害 を 説 き、また 文 化 的 にも「 背 広 を 着 たビジネスマン」から遠 い 傾 向 がある。その 意 味 で、 彼 らは 新 興 エリート 層 と 親 和 性 をもつ。 一 方 で 彼 らは、 新卒 採 用 のチャンスを 逃 しているか、 中 途 退 社 しているため、 日 本 の 雇 用 慣 行 では、 二 度 と大 企 業 の 正 社 員 に 雇 われる 見 込 みのない 人 びとである。その 意 味 で、 彼 らは 非 正 規 雇 用 層 、とくにそのなかの 高 学 歴 層 と 親 和 性 を 持 つ。ポスト 工 業 化 社 会 への 移 行 のなかで 生 まれた「 自 由 」 層 である 点 、そして 日 本 型 工 業 化 社 会 の 弊 害 に 批 判 的 である 点 において、これら三 つの 社 会 層 は 一 致 している。一 方 で、 従 来 から 原 発 反 対 運 動 を 行 なっていた 第 一 から 第 三 の 層 も、 運 動 にふたたび 回帰 してきた。 三 月 から 五 月 に 東 京 で 行 なわれたデモは、これらの 社 会 層 の 分 化 を 示 していた。よびかけグループがばらばらに 行 動 していたため、その 性 格 によって、 参 加 する 社 会層 が 異 なる 傾 向 がみられた。たとえば、 従 来 からの 反 原 子 力 運 動 団 体 や、 原 水 協 などがよびかけたデモでは、 六 〇 ~八 〇 年 代 から 活 動 していた 高 齢 者 や 組 織 労 働 者 が 集 まり、 原 発 反 対 のスローガンや 労 組 名などを 書 いた 幟 やプラカードを 掲 げて 行 なわれた。 環 境 問 題 と 有 機 食 品 普 及 を 行 なっていたグループがよびかけたデモでは、 中 産 層 の 家 族 連 れがめだち、 電 力 市 場 自 由 化 を 主 張 する 専 門 家 が 集 会 で 演 説 を 行 ない、 土 壌 除 染 効 果 があるという 菜 の 花 を 掲 げて 整 然 とデモが行 なわれた。 一 方 、 前 述 の 非 正 規 労 働 者 たちがよびかけたデモでは、ロックミュージックやラップとともに 行 進 が 行 なわれ、デモ 出 発 前 のアピールでは「 私 たち 貧 乏 人 はしょっちゅう 電 気 が 止 まっているから 原 発 がなくても 困 らない」と 述 べられていた。しかしその 後 、 呼 びかけグループの 交 流 とともに、これらの 社 会 層 の 混 交 が 進 んだ。 二〇 一 二 年 になってからの 原 発 反 対 デモでは、 上 記 の 社 会 層 が 隊 列 ごとに 分 かれている 傾 向はあるものの、 共 存 が 進 んでいる。また 地 域 に 根 ざした 活 動 もおこっている。 前 述 の 高 円寺 で 二 月 に 行 なわれたデモでは、 若 者 から 高 齢 者 まで 幅 広 い 地 元 住 民 が 集 まった 会 議 で 準備 が 行 なわれ、 自 治 体 とも 協 力 して、 小 学 校 の 校 庭 を 集 会 地 にしていた。日 本 でも、ドイツの「 緑 の 党 」のような 勢 力 が 台 頭 するだろうか。 比 例 代 表 制 ではない日 本 の 選 挙 制 度 では、 少 数 党 の 議 会 進 出 はドイツほど 容 易 ではない。 八 〇 年 代 の「 脱 原 発ニューウェーブ」が 成 果 をあげないまま 消 えていったように、こんども 同 じ 経 過 をたどるだろうという 意 見 もある。しかし 現 代 の 日 本 は、 八 〇 年 代 のドイツと、 社 会 条 件 が 似 通 ってきた。八 〇 年 代 のドイツでは、 第 二 次 石 油 ショック 後 の 経 済 低 迷 で、 製 造 業 の 衰 退 と 雇 用 の 不安 定 化 が 激 しくなっていた。そこへ 中 距 離 核 ミサイルの 配 備 や、チェルノブイリ 原 発 事 故がおこり、 近 代 産 業 社 会 が 行 きづまったという 認 識 が 広 がった。 緑 の 党 が 支 持 を 集 めたのは、こうした 社 会 背 景 による。それにたいし 八 〇 年 代 に 日 本 の 原 発 反 対 運 動 の 高 揚 が 一 時的 に 終 わった 時 期 は、 日 本 の 原 発 産 業 がまだ 上 り 坂 だっただけでなく、 日 本 型 工 業 化 社 会


の 最 盛 期 で、ドイツとは 社 会 条 件 も 意 識 も 異 なっていた。それを 示 す 一 例 として、 八 六 年 にドイツでベストセラーになったウルリッヒ・ベックの『リスク 社 会 』の、 読 まれ 方 の 相 違 が 挙 げられる。この 本 は、チェルノブイリ 原 発 事 故 後のドイツで 食 品 の 放 射 能 リスクへの 不 安 が 高 まったことを 背 景 に、ポスト 工 業 化 社 会 への移 行 のなかで、 雇 用 ・ 家 族 ・ 教 育 など 社 会 のあらゆる 分 野 で 不 安 定 とリスクが 高 まっていることを 書 き、ドイツでは 広 範 な 共 感 をよんだ。この 本 は 日 本 でも、チェルノブイリ 原 発 事 故 後 のドイツでの 環 境 保 護 運 動 の 高 まりを 示すものとして、 八 八 年 に 翻 訳 出 版 された。しかしそのさい、 雇 用 ・ 家 族 ・ 教 育 の 不 安 定 化にかんする 章 は 削 除 され、「リスク」という 言 葉 が 日 本 ではなじみがないとして、「 危 険 社会 」という 邦 題 がついた。このことは、 日 本 型 工 業 化 社 会 の 最 盛 期 にあった 当 時 の 日 本 では、 雇 用 や 家 族 の 不 安 定 化 や、「リスク」という 観 念 が、 理 解 される 社 会 的 背 景 がなかったことを 示 している。しかし 現 代 の 日 本 では、まったく 状 況 がちがっている。現 在 の 日 本 では、 段 階 的 な 原 発 廃 止 を 求 める 世 論 は、 約 七 割 にのぼっている。 知 識 人 のあいだでは、 従 来 から 原 発 に 批 判 的 だった 者 ばかりでなく、 経 済 自 由 化 論 者 をはじめとした 経 済 学 者 たちも 原 発 に 批 判 的 な 者 が 多 くなった。原 発 推 進 の 姿 勢 を 崩 していないのは、 官 庁 、 政 界 、 経 団 連 、 保 守 的 なマスメディアといった、 旧 来 の 日 本 型 工 業 化 社 会 の 中 心 だった 部 分 の、やや 年 長 の 世 代 である。 彼 らのなかには、 原 発 を 廃 止 することは、 日 本 型 工 業 化 社 会 のなかで 達 成 された 豊 かさを 放 棄 することだ、と 主 張 する 者 が 少 なくない。これら 政 界 と 経 済 界 の 中 枢 部 の 動 きにより、 一 時 的 にゆり 戻 しがあったとしても、 中 長期 的 には 原 発 は 日 本 から 消 えていくだろう。これは 社 会 構 造 の 変 化 の 必 然 である。 問 題 は、そうした 避 けられない 転 換 のあいだに 日 本 社 会 が 支 払 う 犠 牲 を 最 小 限 におさえること、そして 政 治 の 民 主 化 と 社 会 運 動 の 活 性 化 をはかることである。それは 同 時 に、 日 本 が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の 時 代 へのノスタルジーを 断 ち 切 り、 新 しい 時 代 へふみだすことができるか 否 かの、 試 金 石 にほかならない。

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