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被災者であり, しかし,まず 医療者として. - 地域医療振興協会

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I N T E RV I E W女 川 町 立 病 院院 長齋 藤 充 先 生【プロフィール】 齋 藤 充 先 生 1989 年 自 治 医 科 大 学 卒 業 ,1991 年 に 県 立 猪 苗 代 病 院 に 赴任 . 途 中 3 年 間 大 学 に 戻 るが,6 年 間 勤 務 .2000 年 から 県 立 宮 下 病 院 に 勤 務 .2001 年 から 磐 梯 町保 健 医 療 福 祉 センター 副 センター 長 として 勤 務 .2010 年 院 長 として 女 川 町 立 病 院 に 赴 任 .であり,しかし,まずとして.聞 き 手 : 山 田 隆 司宮 崎 国 久公 益 社 団 法 人 地 域 医 療 振 興 協 会 地 域 医 療 研 究 所 所 長東 京 ベイ・ 浦 安 市 川 医 療 センター 副 管 理 者311,その山 田 隆 司 ( 聞 き 手 ) 3 月 11 日 14 時 46 分 , 東 北 地 方 太 平洋 沖 地 震 が 起 きてから 今 日 で3 週 間 と 少 しが 経 ちました.ここは, 震 災 で 町 が 壊 滅 的 な 被 害 を 受 けた宮 城 県 女 川 町 の 女 川 町 立 病 院 です. 当 地 はまだまだ 不 安 定 で 落 ち 着 かない 状 況 です. 今 ここの 窓 から 外 を 見 渡 すとあっと 驚 くような 光 景 が 広 がっています. 今 日 は 初 期 の 時 点 から 現 地 に 入 った 宮 崎 国久 先 生 にも 同 席 していただいて, 自 らも 被 災 しながら 病 院 に 留 まり 医 療 を 続 けている 院 長 の 齋 藤 充先 生 にお 話 を 伺 います.齋 藤 充 3 月 11 日 は,4 月 から 放 射 線 技 師 と 臨 床 検 査技 師 について 地 域 医 療 振 興 協 会 の 支 援 をいただくために 会 議 をしている 最 中 でした. 廊 下 に 出 て 壁 に掴 まったり 柱 に 掴 まったりしましたが,ひょっとしたらこのまま 病 院 が 倒 壊 するのではないかと 思 われるような 強 い 揺 れが3 分 ぐらい 続 きました. 女 川 町は 津 波 で 何 度 か 被 害 を 受 けたことがあったので,町 民 は 地 震 に 遭 ったら 高 いところに 逃 げなくてはいけないということを, 親 から 言 われて 育 っているのですね.ですから 病 院 の 周 りに 住 んでいた 方 も,地 震 が 来 た 途 端 , 病 院 のほうに 避 難 して 来 ました.病 院 では 地 震 でけがをした 人 が 運 ばれて 来 ると 考402()月 刊 地 域 医 学 Vol.25 No.5 2011


うことが 分 かります. 先 生 はその 時 には3 階 にいらっしゃったのですね.齋 藤 1 階 に 降 りようと 思 ったら, 階 段 からバァーッと水 が 上 がって 来 て 行 けなかったので,2 階 の 医 局の 前 の 吹 き 抜 けのところに 行 ったところ, 下 で 職 員も 患 者 さんも 流 されているのが 見 えたのです.でも何 もできない…. 看 護 師 がシーツを 持 ってきたのでそれを 縛 って 「 掴 まれ」ととにかく 下 に 降 ろしました.そんなことをしても 何 の 力 にもなれないという感 じでしたが・・・.山 田 二 波 , 三 波 の 後 は 水 位 は 戻 ったのですか.齋 藤 そうですね. 水 位 が 戻 ったときに 急 いで1 階 ,2階 に 避 難 して 来 た 人 たちを3 階 まで 上 げました.それから 水 に 浸 かって 呼 吸 困 難 になってしまっている 人 もいましたので,そういう 方 の 蘇 生 など,いろいろ 処 置 をしました.もしや3 階 ,4 階 まで 水 が 上 がって 来 たらもう 駄 目 だろうと 思 っていました.ある 程度 避 難 していた 人 たちを 落 ち 着 かせて,それから外 を 見 たら,テレビのニュースなどでやっていたように, 水 の 流 れとともに 家 が 流 れていくというような 状 況 でした.山 田 そういう 衝 撃 的 な 瞬 間 が 過 ぎた 後 も, 現 場 でできる 限 り 被 災 した 人 たちを 助 けることをされたわけですね.齋 藤 車 に 押 しつぶされた 家 の 中 でサッシに 足 が 挟まって 逃 げられなくなっている 女 性 を 何 とか 助 けたいと 近 くの 人 が 来 られたので, 病 院 の 職 員 が 向 かって5 時 間 くらいかかってやっと 助 けたということもありました. 近 くの 高 台 に 三 十 三 観 音 遊 歩 道 というところがあるのですが, 一 度 そこに 逃 げて 病 院 に 向かう 途 中 に 倒 れた 患 者 さんがいて, 私 がかけつけたときにはすでに 亡 くなっていたということもありました.その 日 は 夕 方 5 時 に 職 員 をみんな 集 めましたが,病 院 から 見 る 周 りの 景 色 があまりにも 惨 憺 たる 状態 でわれわれも 外 に 行 けないという 状 況 でした.町 中 が 壊 滅 的 だったため, 外 との 連 絡 手 段 がなくなりました. 携 帯 電 話 がまずつながらなくなり, 固定 電 話 もつながらなくなり・・・ 最 初 の1 日 だけは 自 家発 電 があったのでテレビがついたのですね. 外 の情 報 は 入 ってくるのだけど, 女 川 の 情 報 はどこにも報 道 されず, 職 員 にとっては, 家 族 が 今 どうしているのか, 自 分 の 家 がどうなっているのか, 全 く 分 からない 状 況 でした. 自 分 の 家 が 流 されているのを 目の 当 たりにした 職 員 もいました. 何 よりも 家 族 がどうしているのかということが 職 員 にとって 一 番 不 安でした. 自 分 が 今 ここで 生 きているということもどこにも 連 絡 をとることができませんでした.山 田 何 もない 中 で, 先 生 は 院 長 として, 患 者 や 避 難 して 来 た 人 ,なおかつ 職 員 も 守 らなければならない.とにかくその 日 の 夜 を 越 えるのでさえ 大 変 だったと思 います.齋 藤 避 難 して 来 た 人 には 病 院 にあった 白 衣 や 術 衣 などあらゆるものに 着 替 えてもらいました.カーテンも 取 って,それも 巻 いて 使 ってもらいました. 病 室 はもちろん 廊 下 もほとんど 全 部 患 者 さんと 避 難 して来 た 方 で 埋 まっているような 状 態 でした. 職 員 はテレビやラジオから 入 ってくる 情 報 を 聞 きながら,その 夜 は 過 ごしたという 感 じです. 電 気 は 多 分 1 日 しかもたないだろうと 言 われていましたが, 実 際 , 翌日 , 朝 日 が 昇 った 時 に 電 源 を 停 めたらそれから 先は 全 く 電 気 が 使 えなくなってしまって, 乾 電 池 だけが 頼 りでした.とにかく・をけよう山 田次 の 日 は 雪 も 降 り,またさらに 厳 しい1 日 になったと 思 います.齋 藤 次 の 日 に, 役 場 の 庁 舎 は 駄 目 になってしまったけれど, 役 場 から 避 難 した 方 がどうやら 上 の 民 家 で404()月 刊 地 域 医 学 Vol.25 No.5 2011


INTERVIEW / 被 災 者 であり,しかし,まず 医 療 者 として.一 晩 過 ごされたということがわかりました.その他 , 女 川 町 総 合 体 育 館 に 避 難 している 人 もいるということで, 役 場 の 方 たちが 瓦 礫 を 越 えて 情 報 を 持 って 来 てくれました.トランシーバーもとりあえずつながるようになって, 体 育 館 に 大 けがをしている 人 がいるので, 何 とか 診 てほしいということで, 瓦 礫 の山 を 越 えながら 体 育 館 まで 行 ったのですが, 向 こうでは 処 置 できなかったので, 担 架 でこちらに 運 んで来 たということがありました.山 田 体 育 館 には 大 勢 の 人 が 避 難 していたのですか.齋 藤 そのころは2,300 ~ 3,000 人 近 くが 体 育 館 に 避難 していました.山 田 食 べ 物 や 飲 み 物 はどうしたのですか?齋 藤 1 日 は 非 常 食 が 何 とかあって, 後 は 医 局 や 控 室にあったお 菓 子 などを 食 べていました.山 田 でも, 入 院 患 者 や 職 員 以 外 にも200 人 を 超 す 人 たちがこの 建 物 の 中 にいたわけですよね.齋 藤 翌 日 に, 歩 ける 方 , 元 気 な 方 には 体 育 館 の 避 難 所の 方 に 移 っていただいて, 本 当 に 具 合 が 悪 い 方 や歩 けない 方 だけに 残 ってもらう 形 にしました.ところが, 病 院 で 一 晩 過 ごした 方 が 翌 朝 「 今 日 飲 む 薬がないのだがどうすればよいか」ということになりました. 病 院 の1 階 の 薬 局 はほとんど 水 没 してしまって, 一 部 の 薬 しか 残 らなかったので,1 日 分 だけ 渡 すことにしました.さらに 避 難 所 からは 元 気 な人 が 何 十 人 分 の 名 前 と, 血 圧 とか 心 臓 病 など 大 雑把 な 病 名 だけを 書 いて 薬 をもらいに 訪 れました. 避難 所 にいる 人 たちは 病 院 が 今 までどおりの 機 能 を保 っていると 思 われていたのですね.山 田 外 から 見 ると 建 物 はちゃんと 建 っているから 分からなかったかもしれませんね.齋 藤 というよりも,「 病 院 の1 階 も 流 されたんですよ.町 内 にあった 院 外 薬 局 や, 町 内 の 開 業 の 先 生 も 全部 流 されたのですよ」と 言 っても, 遠 くの 避 難 所 にいる 方 は 自 分 の 家 が 流 されたのは 信 じるけれど,まさか 病 院 は 大 丈 夫 だろうという 感 覚 だったようです.山 田 病 院 は, 今 は2 階 のセンターアトリウムで 診 療 していますが, 診 療 を 始 めたのはいつからですか.齋 藤 ある 程 度 まとまった 薬 が 支 援 物 資 として 届 いたのは2 日 目 でしたので,センターアトリウムに 移 ったのは3 日 目 の 日 曜 日 だったと 思 います.それまでは病 棟 で 少 しずつ 薬 を 出 したり, 避 難 所 の 体 育 館 に行 って 薬 を1 回 分 とか1 日 分 渡 すということをしていました.山 田 自 衛 隊 が 入 ったのはその 時 が 初 めてですか?齋 藤 そうですね. 最 初 は 脇 に 機 関 銃 を 付 けた 戦 闘 用のヘリが 上 空 に 来 て,「 助 けを 呼 びたい 時 , 患 者 さんを 搬 送 してほしい 時 は 旗 を 振 ってください」というので, 職 員 一 人 を 旗 振 り 役 にして,ヘリが 来 ると 旗 を振 りました. 透 析 の 患 者 さんや 妊 婦 さん,あとは 大けがをしてこちらで 応 急 処 置 をしたものの 搬 送 しなければ 駄 目 だという 方 を 自 衛 隊 のヘリで 送 りました.山 田 自 家 発 電 が 消 えてから 土 曜 日 の 夜 や 日 曜 日 の 夜は 全 館 真 っ 暗 で, 暖 も 取 れず, 食 べ 物 もなく,その上 翌 日 には 雪 も 降 って・・・齋 藤 食 べ 物 がないということよりも, 病 院 の 中 にいる職 員 にとっては, 自 分 は 生 きているけれど 身 内 の 安否 がわからないことが 一 番 不 安 でした. 紙 コップに半 分 ぐらいのおかゆとスープが 朝 晩 「 食 事 です」と配 られたのですが,それも 喉 を 通 らないのです. 自分 の 家 族 は 本 当 に 生 きているんだろうか, 大 丈 夫なんだろうか, 生 きていたとしても 避 難 所 でどんな聞 き 手 : 地 域 医 療 研 究 所 所 長 ・「 月 刊 地 域 医 学 」 編 集 長 山 田 隆 司月 刊 地 域 医 学 Vol.25 No.5 2011 405()


聞 き 手 : 東 京 ベイ・ 浦 安 市 川 医 療 センター 副 管 理 者 宮 崎 国 久生 活 をしているんだろうかという 思 いで, 私 も 家 族が 無 事 なのは 火 曜 日 まで 分 かりませんでしたので,数 日 はほとんど 喉 を 通 りませんでした.山 田 そういう 中 でも,すでに 月 曜 日 からは 診 療 するブースを 作 って, 私 が4 日 目 の 火 曜 日 にここに 到 着したときには,みんなガウンを 着 てサインペンで 名前 や 看 護 師 と 記 して,てきぱきと 足 早 に 仕 事 をしていました. 被 災 者 でありながら 不 眠 不 休 で, 医 療 者として,さらに 困 っている 人 を 助 けている 姿 は, 本当 に 感 動 する, 神 々しいともいえる 光 景 でした.齋 藤 自 分 も 水 没 したのにそのまま 風 呂 にも 入 れず1週 間 も,10 日 も 働 いていたわけですから, 本 当 によくやってくれたと 思 います. 誰 がやろうと 言 ったわけでもなく, 職 員 自 らがああしましょう,こうしましょうと 言 って, 自 分 たちでよく 動 いてくれました.働 いていないといられないというのがあったと思 います. 全 員 が 避 難 所 や 自 宅 へ 戻 って 家 族 の 安否 を 確 認 したいと 思 っていたはずです.でも 誰 か一 人 が 行 ったら 多 分 全 員 が 外 に 行 ってしまって,ここで 医 療 をやる 人 が 残 らなくなってしまう.だから誰 も 自 分 から 家 族 のところに 行 かせてくださいとは 言 わなかった.3 日 目 ,4 日 目 になって,やっと 外からの 情 報 が 入 ってくるようになったので,1つの地 域 は 誰 か1 人 が 見 に 行 くことにして,その 人 に 家族 の 連 絡 先 などを 託 すようにした,という 感 じでした.山 田 地 震 があったとき 私 は 東 京 にいたのですが, 電車 が 止 まった,あるいは 帰 宅 できないという 人 もいて, 自 分 の 病 院 のことに 対 応 せざるを 得 なかったのですが,でも 東 北 が 震 源 だとわかり,ニュースで映 像 が 流 れるようになったのに, 最 初 の3 日 間 くらいは 女 川 町 の 情 報 は 全 くなく, 役 場 と 連 絡 がとれない 町 村 の 中 に 必 ず 南 三 陸 町 , 女 川 町 が 入 っていたので, 役 場 も 壊 滅 してしまったのではないか… 女川 町 立 病 院 も 高 台 にあるとはいえかなり 深 刻 な 状態 にあるのではないか…とわれわれも 非 常 に 心 配しました. 報 道 がない 中 でとにかく 安 否 を 確 認 しなければならないと, 日 曜 日 にヘリでこちらに 向 かいましたが, 残 念 ながら 着 陸 できず, 病 院 の 建 物 は外 からみると 結 構 しっかりしていたものの, 駐 車 場は 泥 で 汚 れていたので,そこまで 水 が 来 たということは 容 易 に 想 像 がついたし,その 時 点 でもまだ 先生 たちの 安 否 がわからなかったので 本 当 に 心 配 でした.齋 藤 訪 問 リハビリに 出 ていた 職 員 がその 晩 帰 って 来なかったのです. 訪 問 した 先 で 地 震 にあって, 患 者さんを 車 で 高 台 まで 乗 せて 行 き,その 部 落 の 高 いところに 移 動 して 一 晩 何 とか 過 ごしたと, 次 の 日 歩いて 病 院 に 戻 って 来 ました. 帰 って 来 たときは 抱 き合 って 泣 いて 喜 びました.その 職 員 が 生 きているんだろうか?ひょっとしたら 駄 目 だったんじゃないか?と 責 任 を 感 じて, 一 晩 眠 れませんでした. 地 震が 起 きた 時 間 は,われわれは 本 当 なら 訪 問 診 療 に出 ている 時 間 だったのですが,たまたまその 日 は 会議 があったために 病 院 にいたのですね.2 日 前 に往 診 した 家 は 流 されて, 患 者 さんも 流 されてしまいました.406()月 刊 地 域 医 学 Vol.25 No.5 2011


INTERVIEW / 被 災 者 であり,しかし,まず 医 療 者 として.のえ山 田 これほどの 被 災 の 中 で, 職 員 も 含 め, 病 院 の 中 にいた 人 たちがほとんど 一 命 をとりとめたというのは, 正 直 なところ 奇 跡 のように 思 いました.ここに 研修 に 来 ていた 東 京 の 職 員 たちが, 車 で 黒 川 病 院 に到 達 したというのを 聞 いた 時 は,あれだけの 被 災 の中 をよく 陸 路 でとにわかには 信 じられない 思 いでしたが,それが 女 川 の 最 初 の 情 報 でした. 多 分 日 曜 日だったと 思 います.齋 藤 研 修 にいらしていた 方 たちが, 地 震 の 後 ,「 会 議をキャンセルしてもう 帰 ります」と 言 ったのですが,津 波 が 来 るという 話 があったので,「 津 波 が 来 ると女 川 からの 帰 りは 一 本 道 なので, 途 中 で 寸 断 されると 帰 れなくなってしまうし, 万 が 一 途 中 で 津 波 に 遭うと 大 変 なので 少 し 待 ってください」と 待 ってもらったのです.その 後 に 津 波 が 来 たので,そのまま行 ったら 危 なかったかもしれません. 彼 らが 仙 台 から 借 りてきたレンタカーは 流 されてしまいました.3日 経 って 日 曜 日 に, 病 院 の 外 で 避 難 していた 職 員 が瓦 礫 を 越 えて 通 勤 して 来 て,どうやら 外 に 行 けそうだということになったのですね.そこで 彼 らが,「 何としても 今 日 中 に 黒 川 病 院 に 行 ってみます」と 言 ってくれて,それでその 職 員 の 車 で 黒 川 まで 行 ってもらったのです.山 田 それで 協 会 の 職 員 は 無 事 らしいと 分 かり,また陸 路 で 女 川 へ 入 れると 分 かったので, 仙 台 にいた宮 崎 先 生 たちが 翌 月 曜 日 に 女 川 へ 入 り,その 日 のうちに 協 会 本 部 に 対 策 本 部 ができて 支 援 活 動 が 本格 的 に 始 まったわけです. 最 初 は 本 当 にどういった支 援 が 必 要 か,どういうお 手 伝 いができるのかわからない 状 態 で,まず 先 生 たちの 無 事 を 確 かめることに 尽 きたという 感 じですが.齋 藤 それまでは 本 当 に 心 細 く,こんな 状 況 があと 何日 続 くのだろうと 思 っていたところに, 宮 崎 先 生 が来 てくださって,「 齋 藤 頑 張 れ! 吉 新 ・ 山 田 」と 手書 きされた 支 援 物 資 が 届 いた 時 には,センターアトリウムで 泣 き 崩 れてしまいました.山 田 あれは 日 曜 日 にヘリで 飛 んだときに 投 下 するつもりでできなかったのですよ.齋 藤 自 分 たちだけではない, 協 会 が 助 けに 来 てくれたと 本 当 に 嬉 しかったですね.その 後 も 協 会 から次 々と 先 生 方 が 来 てくださり,ヘリが 着 いて 物 資 が届 くたびに, 職 員 みんなが 「 協 会 ってやっぱりすごい. 自 分 たちも 協 会 の 職 員 になれるというのは 本 当に 素 晴 らしいことなんだ」と 言 ってくれました.山 田 全 国 の 協 会 施 設 に 支 援 者 を 募 ったところ, 医 師や 看 護 師 ,コメディカル, 事 務 職 員 が 本 当 に 大 勢 手を 挙 げてくれました. 最 初 のころは, 危 険 があるかもしれないことは 否 定 できない 中 , 物 資 も 不 十 分で, 暖 もとれず, 寝 るときは 会 議 室 の 冷 たい 床 に 寝袋 で 寝 るというかなり 厳 しい 状 況 であったにもかかわらず, 自 主 的 に,これだけの 多 くの 人 たちが 支援 に 来 てくれたことに, 私 も 驚 きました.みんなが 居ても 立 ってもいられない, 女 川 を 助 けるんだ, 先 生たちを 支 援 するんだという 気 持 ちだったと 思 います. 情 報 についても, 協 会 内 のグループウエアであるMOSSを 通 じて, 即 , 職 員 全 員 に 女 川 の 状 況 を 知らせました.MOSSはこれまで 職 員 がそれほど 閲 覧しているとは 思 えなかったのですが, 今 では 毎 日 アクセスが 何 万 回 を 超 える 状 態 です.地 震 の 時 には, 吉 新 通 康 理 事 長 は 視 察 のために海 外 に 居 られたのですが, 海 外 からMOSSで 女 川協 会 の 支 援 ヘリ月 刊 地 域 医 学 Vol.25 No.5 2011 407()


の 状 況 を 知 り,「 女 川 をみんなで 救 おう. 現 地 の 人たちが 疲 れているだろうから, 早 期 に 交 代 できるようにしてほしい」という 指 示 があり, 協 会 全 体 が 支援 に 動 くという 形 になったのです. 今 回 の 被 災 の 中で, 協 会 は 気 持 ちがひとつになり,よい 仕 事 ができたのではないかと 感 じています.のにけて山 田 この1 年 間 , 先 生 は 女 川 の 地 域 医 療 のために 力を 尽 くされてきて,あと 少 しで 協 会 の 指 定 管 理 というスタートラインに 立 って, 自 分 たちの 計 画 に 則 った 運 営 が 始 まるところだったわけですが, 振 り 出 しに 戻 ったどころか,マイナスまで 戻 ることになってしまいました. 今 どのように 考 えていますか.齋 藤 そうですね.ここは 人 口 1 万 人 の 町 の100 床 の 病院 で, 東 北 大 から 医 師 が 赴 任 し,いろいろな 専 門 科があったのですね.しかし 東 北 大 からここまでは距 離 的 に 離 れていることもあり, 総 合 医 が 中 心 となって, 地 域 の 方 が 安 心 して 暮 らしていけるような,地 域 に 根 ざした 医 療 を 実 践 していこうと 考 えていました.こんな 状 況 になってしまったので, 町 作 りから始 めなくてはなりませんが. 今 回 私 だけではなくて職 員 もみんな 感 じていますが,やはり 医 療 というのはライフラインです. 水 が 来 ない, 電 気 が 来 ない,ガスが 来 ないのと 同 じように, 医 療 がなければ 生 活できません.それを 今 職 員 の 誰 もが 感 じています.今 後 町 を 復 興 していく 中 で, 自 分 たちがやらなければいけないのは 何 か, 復 興 に 合 わせて 少 しずつ 自分 たちの 役 割 も 変 わっていくだろうし, 最 終 的 にどういった 形 になるのか,まだ 全 く 見 当 もつかない 状態 ではありますが.山 田 これまで 女 川 は 医 療 崩 壊 , 医 師 不 足 という 地 域で, 医 療 再 生 を 目 指 して, 総 合 医 ・ 地 域 医 という 今 までの 齋 藤 先 生 のノウハウを 活 かしてもらいたいと 考えていましたが,いまや 地 域 自 体 , 行 政 も 崩 壊 してしまっている 状 況 です. 医 療 再 生 というよりは, 地域 再 生 を 同 時 に 考 えていかなければならない. 協会 にとっても 全 く 未 知 な 経 験 です.齋 藤 私 にとっては 人 生 の 目 標 が 変 わってしまいました. 今 回 の 震 災 で 病 院 が 津 波 で 流 されてしまった地 域 もあり,そういうところではそこで 生 活 をすることもできず, 集 団 で 疎 開 するしかない 状 況 だと 思 うのですが, 女 川 はとりあえず 病 院 が 残 ったので, 何とかわれわれが 踏 みとどまって 医 療 を 続 けることで, 町 もここで 再 生 できるのではないかという 思 いがあります.山 田 町 長 さんともお 会 いしましたが, 元 通 りにするのではなく, 本 当 に 新 しい 町 を 作 るのだということを気 丈 夫 に 言 っておられましたし, 町 民 にもそれに 懸ける 熱 いものがあると 思 います. 壊 滅 した 町 を 病 院から 眺 めると, 夢 なら 覚 めてほしいというような 現実 ですが, 当 初 5,000 人 が 行 方 不 明 と 報 道 されていましたが, 実 際 には 千 何 百 人 程 度 で 収 まるのではないかということで, 町 の 人 たちがこの 町 を 再 生 しようという 活 力 は 十 分 残 っているのではないかと思 います.この 町 が 消 滅 するようなことはないと 私は 確 信 しています.齋 藤 職 員 もこれまではぎくしゃくしたりしたこともあり408()月 刊 地 域 医 学 Vol.25 No.5 2011


INTERVIEW / 被 災 者 であり,しかし,まず 医 療 者 として.ましたが, 今 はみんな 一 丸 となって 働 いています.今 までは 自 分 の 仕 事 はこれだというところがあったのですが, 今 自 分 がしなければいけないのは 何か, 自 分 が 今 何 ができるかということを 考 えてみんなで 働 いていますので, 風 通 しが 良 いし,みんなで一 緒 にやっているという 雰 囲 気 ができています.山 田 先 生 は 家 族 を 心 配 しながら, 自 分 も 大 変 な 思 いをしながらこの3 週 間 が 過 ぎたわけですが, 託 されてしまった, 逃 げ 場 のない 仕 事 を 背 負 ってしまった気 がしないでもないのですが… 町 の 復 興 に 対 して, 協 会 も 地 域 医 療 の 集 団 として 何 とかお 力 添 えしたいと 思 います.齋 藤 地 域 医 療 をやろうと 思 った 時 には,へき 地 で 困 った 人 たちがたくさんいて, 満 足 に 医 療 を 受 けられないような 人 たちがたくさんいて,その 中 で 自 分 ができることは 何 だろうと 考 えてこの 道 に 進 んだわけですが, 今 , 被 災 地 では 究 極 に 困 った 人 たちがもっと大 勢 いる. 避 難 所 にいて, 辛 い 思 いをしている 人 たちが,1 日 も 早 く 普 通 の 生 活 に 戻 って 安 心 して 暮 らしていけるように,その 人 たちの 健 康 を 守 れるような,そういう 形 にしていきたいと 思 います.山 田 宮 崎 先 生 からも 一 言 お 願 いします. 先 生 は 最 初にここにかけつけてくれて, 齋 藤 先 生 にとっては 神様 みたいな 存 在 だと 思 います.宮 崎 国 久 こういうふうになる 前 の 女 川 に1 回 来 たかったなと 思 いますので, 復 興 した 後 の 女 川 をぜひ 見 たい.そこまで 一 緒 にやっていきたいと 強 く 思 っています.齋 藤 病 院 の 窓 から 見 る 朝 日 が 本 当 にきれいな 町 だったのですよ.山 田 きれいな 朝 日 をまたみんなで 見 る 日 が 来 ると 信じています.齋 藤 協 会 の 方 々には 熱 い 支 援 をいただきまして 本 当に 感 謝 しています. 美 しい 女 川 町 を 再 生 できるように,われわれも 頑 張 っていきたいと 思 いますので,今 後 ともご 支 援 をよろしくお 願 いします. 今 日 は,ありがとうございました.山 田 ・ 宮 崎 齋 藤 先 生 , 頑 張 ってください.女 川 の 海 岸 から 見 た 朝 日月 刊 地 域 医 学 Vol.25 No.5 2011 409()

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