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中澤正治さんを偲んで

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核 データニュース,No.84 (2006)<br />

中 澤 正 治 さんを 偲 んで<br />

中 澤 正 治 さんの 思 いで<br />

五 十 嵐 信 一<br />

中 澤 さんが 3 月 10 日 に 急 逝 されたとのメールを 核<br />

データセンターの 深 堀 さんから 受 けたときには、 何<br />

事 にも 積 極 的 なあの 元 気 な 人 がと、 全 く 信 じ 難 く、<br />

この 世 の 無 常 を 感 ぜざるを 得 なかった。 中 澤 さんほ<br />

ど 多 方 面 に 渡 り 活 動 され、 貢 献 されてきた 人 は 希 で<br />

あり、それだけに 健 康 な 方 と 思 っていたのだが・・・。<br />

確 か、 学 生 時 代 には 陸 上 競 技 の 選 手 であったと 聞 い<br />

たような 記 憶 があるが、 私 の 記 憶 違 いだろうか<br />

この 様 に 記 憶 も 確 かでなくなってきた 私 などに 比 べて 一 回 り 以 上 も 若 く、 量 子 工 学 の 第<br />

一 線 の 指 導 者 として、 日 々 精 力 的 に 研 究 生 活 を 送 られてきた 中 澤 さんであったのだか<br />

ら・・・。<br />

中 澤 さんがシグマ 委 員 会 に 参 加 されたのは 1980 年 頃 であったと 思 う。 当 初 は、 本 委 員<br />

としてご 参 加 頂 いた。その 頃 から、 核 データに 対 する 要 求 が、それまでの 炉 物 理 主 体 の<br />

核 データの 他 に、 核 燃 料 サイクル、 原 子 炉 の 運 転 ・ 保 守 、 原 子 炉 解 体 、 放 射 線 損 傷 、ド<br />

シメトリー、 燃 料 再 処 理 、 保 障 措 置 、 環 境 評 価 などの 広 い 研 究 分 野 から 出 て 来 るように<br />

なった。シグマ 委 員 会 ではこれらに 関 わる 核 データを 特 殊 目 的 核 データと 呼 んでいる。<br />

折 からシグマ 委 員 会 では JENDL-3 以 降 の 活 動 について 検 討 する 時 期 となり、 中 澤 さんに<br />

はその 検 討 グループのリーダをお 願 いした。その 答 申 でも 特 殊 目 的 データの 核 データの<br />

必 要 性 が 指 摘 され、 中 澤 さんはドシメトリーの 専 門 家 として、また 指 導 者 として 大 学 で<br />

教 えていられた 井 口 哲 夫 さん 達 を 伴 われて、ドシメトリーファイル 作 成 に 参 加 されたの<br />

である。<br />

1980 年 代 後 半 の 核 データ 活 動 は 国 際 的 にも 飛 躍 した 時 代 であったように 思 う。JENDL<br />

の 整 備 が 進 み、 国 際 協 力 を 交 えながら、JENDL-3 を 中 心 にした 各 種 のデータファイル 作<br />

成 が 計 画 され、 実 施 されるようになった。JENDL-3 ドシメトリーファイルもこうした 流<br />

れの 中 で、 中 澤 さんを 中 心 にして、IAEA の IRDF や 米 国 の ENDF/B とは 異 なる 観 点 から<br />

計 画 された。この JENDL-3 ドシメトリーファイルは 標 準 場 でのベンチマークテストを 終<br />

えて 公 開 されている。この 様 な 核 データの 実 質 的 整 備 活 動 の 他 に、 中 澤 さんは、 長 期 的<br />

― 1 ―


観 点 から 核 データ 活 動 のあり 方 を 検 討 する 諮 問 ・ 調 整 委 員 会 や 1988 年 に 水 戸 で 開 かれた<br />

核 データ 国 際 会 議 のプログラム 委 員 として、また、 毎 年 開 かれてきた 核 データ 研 究 会 の<br />

プログラム 委 員 としても 貢 献 されてきた。<br />

この 頃 から 情 報 化 時 代 などと 言 う 言 葉 が 盛 んに 使 われるようになり、 当 時 の 科 学 技 術<br />

会 議 などでもデータベース 及 びデータ 流 通 システムの 整 備 が 強 調 されるようになった。<br />

こうした 世 の 情 勢 を 背 景 にして、 核 データなど 原 子 力 研 究 に 関 わるファクトデータのデ<br />

ータベースの 構 築 とその 利 用 促 進 について 昭 和 61 年 (1986 年 ) 度 の 原 子 力 平 和 利 用 研 究<br />

が 財 団 法 人 未 来 工 学 研 究 所 と 言 う 機 関 に 委 託 された。 中 澤 さんはこの 調 査 研 究 委 員 会 の<br />

主 査 として、 当 時 の 原 研 、 動 燃 、 原 産 、 金 材 研 、 理 研 、 放 医 研 などのデータベースにつ<br />

いて 取 りまとめを 担 当 された。 中 澤 さんはこれら 各 研 究 機 関 の 状 況 を 把 握 され、 原 子 力<br />

データベース 整 備 の 具 体 的 推 進 策 として、 各 研 究 機 関 内 にデータベースセンタを 設 置 す<br />

ること、このデータベースセンタで 行 うべき 事 柄 などを 提 案 された。<br />

この 様 に、 中 澤 さんは 本 業 の 大 学 教 授 としての 研 究 、 教 育 の 他 に 幅 広 い 分 野 での 活 動<br />

と 貢 献 をされてきた。それでもご 本 人 にとっては 道 半 ばであったことと 思 う。 特 に、 量<br />

子 工 学 の 分 野 では 中 性 子 を 使 った 量 子 ニュートロニクス 研 究 に 意 欲 を 持 たれていたよう<br />

なので、J-PARC の 完 成 を 待 ちわびながら、それを 使 った 独 創 的 な 実 験 を 考 えられていた<br />

のではないかと 想 像 する。<br />

振 り 返 ってみると、この 核 データニュースには 多 くの 追 悼 記 事 が 載 っている。 中 澤 さ<br />

んご 自 身 も 1997 年 2 月 の 核 データニュース 通 巻 92 号 の「 菊 池 康 之 氏 を 偲 んで」と 言 う<br />

特 集 に 追 悼 記 事 を 書 いておられる。その 記 事 の 中 で、 中 澤 さんが 菊 池 氏 の 病 床 を 見 舞 っ<br />

た 時 の 会 話 が 載 っている。この 時 、 菊 池 氏 は 退 院 後 に 核 データの 本 を 一 緒 に 書 かないか<br />

と 誘 ったとのことである。 中 澤 さんは 学 生 の 教 科 書 になるような 物 を 書 こうと 答 えたと<br />

言 う。そして、 中 澤 さんのこの 追 悼 文 の 表 題 が「 天 国 にて、きちんと 相 談 しましょう」<br />

とある。 菊 池 氏 は 私 が 彼 を 見 舞 ったときにもそんな 話 をしていたので、 中 澤 さんのこの<br />

追 悼 文 を 読 んだときには 微 笑 ましい 感 じさえ 受 けたものだった。しかし、 二 人 とも 故 人<br />

になってみると、 今 頃 は 本 当 に 二 人 がこの 相 談 をしているのではなかろうか などと<br />

思 えてくる。そこに 中 嶋 龍 三 さんや 飯 島 俊 吾 さんなども 加 わって 未 だ 逝 けないで 居 る 私<br />

などを 肴 にして 楽 しんでいるのであろう。そんなことを 思 うと、 彼 方 の 賑 やかさと 在 り<br />

し 日 の 此 方 の 姿 が 重 なってくる。その 様 子 を 思 い 出 しながら 結 びとする。 合 掌 !<br />

☆ ☆ ☆ ☆ ☆<br />

― 2 ―


中 澤 正 治 先 生 を 偲 んで<br />

名 古 屋 大 学 大 学 院 工 学 研 究 科<br />

井 口 哲 夫<br />

t-iguchi@nucl.nagoya-u.ac.jp<br />

まずは、 中 澤 正 治 先 生 に 最 もお 世 話 になった 門 下 生 の 一 人 として、 先 生 のご 逝 去 に 対<br />

し、 心 から 哀 悼 の 意 を 捧 げます。<br />

さて、 中 澤 先 生 との 思 い 出 はたくさんありますが、 門 下 生 の 立 場 から、 徒 然 なるまま<br />

に、 年 代 を 追 って 中 澤 先 生 の 研 究 業 績 とともに 思 い 起 こしてみたいと 思 います。<br />

1. 助 手 時 代<br />

私 が、 放 射 線 計 測 の 専 門 家 、しかも 大 学 で 教 鞭 をとる 立 場 として 現 在 あるのは、 今 か<br />

らちょうど 30 年 前 、 東 京 大 学 工 学 部 原 子 力 工 学 科 の 放 射 線 計 測 学 講 座 に、 学 部 4 年 生 の<br />

卒 業 論 文 で 配 属 されたのがきっかけです。 卒 論 テーマは、 確 か「 核 融 合 中 性 子 計 測 法 に<br />

関 する 研 究 」とかで、これを 直 接 ご 指 導 いただいたのが、 当 時 、この 講 座 の 助 手 をし<br />

ておられた 中 澤 先 生 でした。 卒 論 の 内 容 は、 研 究 室 にあった 殆 どすべての 放 射 線 検 出 器<br />

に DT(~14MeV) 中 性 子 を 照 射 して、その 検 出 器 応 答 を 実 験 的 に 解 釈 するというもので、<br />

中 澤 先 生 には、DT 中 性 子 発 生 管 (コッククロフト 型 加 速 器 )の 使 用 法 、いろいろな 放 射<br />

線 検 出 器 の 取 り 扱 い、 測 定 系 の 組 み 立 て・ 調 整 法 等 について、 直 接 手 ほどきを 受 けまし<br />

た。おかげさまで、 修 士 学 生 の 段 階 で、ほぼプライス「 放 射 線 計 測 」 等 の 教 科 書 に 掲 載<br />

されていたほとんど 放 射 線 検 出 器 を 実 際 に 扱 える 技 術 を 習 得 でき、その 後 の 実 験 的 な 研<br />

究 活 動 で 大 いに 役 立 ちました。また、 茨 城 県 東 海 村 にある 東 京 大 学 の 高 速 中 性 子 源 炉 「 弥<br />

生 」を 用 いた 各 種 炉 物 理 ・ 遮 蔽 実 験 では、エネルギッシュに 陣 頭 指 揮 をとられておりま<br />

した。 例 えば、 液 体 空 気 を 用 いたスカイシャイン 模 擬 実 験 等 は、 単 にマンパワーのお 手<br />

伝 いで 側 についていた 私 にも、 非 常 にユニークな 基 礎 実 験 として 今 でも 強 く 記 憶 に 残 っ<br />

ています。 私 は 学 生 の 頃 、 机 の 上 でいろいろものを 考 えるのが 研 究 だと 錯 覚 しておりま<br />

したが、これら「 弥 生 」 炉 の 実 験 作 業 で、 朝 の 8 時 頃 から 夜 の 11 時 頃 までマンツーマン<br />

にみっちりしごかれ、「まずは 体 を 動 かして、 自 分 の 目 で 確 かめろ。」という、 知 力 も<br />

さることながら 気 力 と 体 力 の 重 要 性 について、 身 をもってご 教 示 いただいた 次 第 です。<br />

この 頃 、 中 澤 先 生 はご 自 分 の 博 士 学 位 論 文 「 標 準 中 性 子 場 の 測 定 と 応 用 に 関 する 研 究 」<br />

をまとめられておりました。 前 半 は、 変 分 原 理 (J-1 法 及 び J-log 法 )に 基 づく 独 自 の 中<br />

性 子 スペクトルアジャストメント 手 法 の 開 発 であり、 後 半 は 各 種 中 性 子 標 準 場 の 中 性 子<br />

スペクトルの 理 論 モデルと 測 定 によるキャラクタリゼーション 技 術 に 関 する 内 容 ですが、<br />

この 独 自 で 汎 用 的 な 手 法 ・ 技 術 の 開 発 と 様 々な 応 用 展 開 を 組 み 合 わせるスタイルは、 現<br />

― 3 ―


在 の 私 の 研 究 室 の 修 士 論 文 や 博 士 論 文 構 成 の 基 本 パターンとして 踏 襲 させていただいて<br />

おります。<br />

2. 助 教 授 時 代<br />

中 澤 先 生 の 三 十 代 後 半 の 助 教 授 時 代 は、 当 時 、 東 海 村 の 旧 東 京 大 学 工 学 部 附 属 原 子 力<br />

工 学 研 究 施 設 に 新 設 された 核 融 合 炉 ブランケット 基 礎 実 験 装 置 棟 に 約 10 年 間 赴 任 されて<br />

おりましたが、ご 自 分 の 博 士 論 文 の 研 究 成 果 をベースに、 旧 動 力 炉 ・ 核 燃 料 開 発 事 業 団<br />

との 共 同 研 究 の 下 、 放 射 化 法 の 中 性 子 スペクトルアンフォルディングコード“NEUPAC”<br />

を 開 発 され、 国 内 における 原 子 炉 構 造 材 等 の 中 性 子 照 射 線 量 評 価 技 術 を 確 立 されるとと<br />

もに、 中 性 子 ドシメトリー 技 術 に 関 する 世 界 的 権 威 として 認 知 されるようになりました。<br />

核 データ 研 究 の 観 点 からは、「 共 分 散 行 列 」の 重 要 性 をいち 早 く 主 張 され、わが 国 初 の<br />

JENDL ドシメトリーファイルの 編 纂 に 尽 力 されました。また、 減 速 型 中 性 子 線 量 計 の 応<br />

答 関 数 評 価 においても 精 力 的 に 研 究 され、ユニークな 微 弱 線 量 中 性 子 測 定 技 術 を 考 案 す<br />

るとともに、それらの 標 準 化 に 大 きく 貢 献 されました。ただ 残 念 なことに、これらの 先<br />

駆 的 研 究 を 学 術 論 文 の 形 で 世 に 残 すことにあまりご 熱 心 でなかったことが 非 常 に 悔 やま<br />

れるところです。<br />

一 方 、この 頃 私 は 中 澤 先 生 の 後 任 の 助 手 として、これら 中 澤 先 生 の 研 究 活 動 を 支 援 す<br />

るとともに、 自 らの 研 究 テーマである 核 融 合 中 性 子 工 学 分 野 に、 中 澤 先 生 の 研 究 手 法 を<br />

積 極 的 に 取 り 入 れておりましたが、 中 澤 先 生 自 らも、 当 時 の 核 融 合 炉 工 学 に 関 する 科 研<br />

費 重 点 領 域 の 国 内 大 学 連 合 研 究 グループや、 今 でもお 世 話 になっている 原 子 力 研 究 開 発<br />

機 構 の 核 融 合 中 性 子 工 学 実 験 施 設 FNS との 共 同 実 験 で 牽 引 的 役 割 を 果 たされており、こ<br />

の 分 野 へのユニークなアイデアや 鋭 い 洞 察 力 を 提 示 していただきました。しかしながら、<br />

私 がボンクラであったため、 幾 つかの 先 駆 的 な 研 究 の 機 会 を 逃 しております。 例 えば、<br />

核 融 合 炉 ブランケットで 燃 料 となるトリチウム 増 殖 を 行 う 際 に、Be や Pb の 中 性 子 増 倍 材<br />

とトリチウム 生 成 用 の Li 化 合 物 を 均 質 に 混 合 するのが 良 いというのは 現 在 の 常 識 ですが、<br />

中 澤 先 生 は、この 事 実 を 私 が 助 手 になりたての 頃 (~26 年 前 )に 実 施 した LiF と 鉛 板 の<br />

平 板 二 層 模 擬 実 験 の 解 析 結 果 から 予 測 されておりました。 残 念 ながら、 私 はその 重 要 性<br />

に 気 づかず 放 置 していましたところ、それから 数 年 後 、 当 時 日 立 に 勤 めておられた 真 木<br />

紘 一 氏 の 博 士 論 文 として 取 りまとめられ、 現 在 、トリチウム 増 殖 を 高 める 効 果 的 な 手 段<br />

として 一 般 的 に 知 られるようになりました。この 他 にも、 私 の 博 士 論 文 研 究 「 核 融 合 中<br />

性 子 工 学 におけるトリチウム 増 殖 比 高 精 度 評 価 法 の 実 験 的 研 究 」に 関 連 して、トリチウ<br />

ム 生 成 率 や 中 性 子 スペクトル 測 定 法 で 独 自 性 を 出 すための 貴 重 なアドバイスを 受 けたに<br />

も 拘 らず、 真 面 目 に 取 り 組 まなかった 結 果 、 後 で 大 変 苦 労 するハメに 陥 り、 中 澤 先 生 の<br />

ひらめきを 軽 んじてはいけないという 教 訓 を 身 をもって 知 った 次 第 です。<br />

― 4 ―


さて、 中 澤 先 生 が 40 代 に 達 し、 上 記 の 本 業 とも 言 える 研 究 フィーバーも 峠 を 越 えた 頃<br />

の 教 えとして、「 二 つ 以 上 の 仕 事 を 同 時 にやれ」とか、「 専 門 外 の 分 野 にも 目 を 向 けろ」<br />

というようなことを 盛 んに 言 われました。これは 今 では 異 分 野 融 合 とか、 境 界 領 域 の 分<br />

野 ということで 当 たり 前 のことですが、 中 澤 先 生 は、その 当 時 から、 古 典 的 な 放 射 線 計<br />

測 技 術 の 中 に 異 分 野 の 技 術 を 積 極 的 に 取 り 込 むことを 好 んでやっておられました。 特 に、<br />

ご 自 分 の 好 奇 心 の 趣 くままに、 新 製 品 の 測 定 器 ( 半 導 体 損 傷 検 出 器 、バブルディテクタ<br />

ー、ポータブル MCA など)や 出 始 めの OA 機 器 類 (ハンディーコピー 機 、 肩 掛 け 携 帯 電<br />

話 、ワープロ 専 用 機 など)にはすぐ 手 を 出 しておられたように 思 います。ただ、 飽 きる<br />

のも 早 かったようで、 私 はそれらお 下 がりの 後 始 末 に 苦 労 することもありました。 一 方 、<br />

学 生 のご 指 導 では、「 学 生 を 型 にはめるな」ということで、 私 が 助 手 になりたての 頃 、<br />

卒 論 の 指 導 等 での 私 の 口 の 出 しすぎをよく 諌 められました。 中 澤 先 生 は、 学 生 の 個 性 を<br />

大 切 にされ、 自 由 で 楽 しい 研 究 室 の 雰 囲 気 を 作 り 出 すことに 気 配 りされておりましたが、<br />

私 自 身 もほとんど 自 由 に 仕 事 をさせていただき、 極 めて 理 想 的 な 上 司 であったと 思 いま<br />

す。ただ、 私 も 現 在 研 究 室 を 構 えるようになって、 中 澤 先 生 の 精 神 で 学 生 やスタッフに<br />

接 する 努 力 をしておりますが、 相 当 忍 耐 と 心 の 余 裕 がないとやっていけないということ<br />

を 実 感 して、 中 澤 先 生 に 申 し 訳 なく 思 っている 今 日 この 頃 です。<br />

3. 教 授 時 代<br />

中 澤 先 生 は、40 代 半 ばにして 放 射 線 計 測 学 講 座 の 後 任 教 授 に 就 かれ、 東 海 村 から 本 郷<br />

に 移 られましたが、 早 朝 から 深 夜 までご 多 忙 の 毎 日 を 過 ごされておりました。 私 も 暫 く<br />

して 助 教 授 のポストを 与 えていただきましたが、その 頃 の 主 な 仕 事 は 概 算 要 求 の 書 類 書<br />

きに 追 われていたような 気 がします。 特 に、 現 在 の 東 大 ・ 柏 キャンパスに 展 開 する 計 画<br />

立 案 で「 量 子 ビーム 工 学 専 攻 」という 名 称 の 新 専 攻 を 立 ち 上 げる 旗 振 り 役 が 中 澤 先 生 で、<br />

私 は 作 文 の 下 書 きを 担 当 しておりました。この 案 はあっさり 没 となりましたが、それか<br />

ら 約 10 年 後 、 私 の 執 念 により、 名 古 屋 大 学 ・ 工 学 研 究 科 の 量 子 工 学 専 攻 の 中 に、 量 子 ビ<br />

ーム 工 学 講 座 を 新 設 して、 若 干 なりとも 当 時 の 鬱 憤 を 晴 らした 次 第 です。この「 量 子 ビ<br />

ーム」という 用 語 は、 制 御 された 光 量 子 、 電 子 、イオン、 中 性 子 等 を 表 す 用 語 として、<br />

現 在 では 原 子 力 業 界 で 認 知 されていますが、 恐 らく 最 初 に 提 唱 し 始 めたのは、 中 澤 先 生<br />

ではなかったかと 思 います。このように 中 澤 先 生 は、 時 宜 を 得 た 新 語 を 造 るのにも 長 け<br />

ておられましたが、この 頃 の 中 澤 先 生 の 口 癖 は、「 千 三 つ」であると 思 っています。 教<br />

授 になられてからの 中 澤 先 生 は、 従 前 にも 増 して、ご 自 分 の 好 奇 心 のわく 分 野 には 迷 わ<br />

ず 手 を 出 され、モノになると 判 断 されるといち 早 く 勉 強 されて、そのアイデアを 私 ども<br />

に 提 供 していただきました。そのモットーが「 千 三 つ」で、 千 個 のアイデアのうち、 三<br />

つ 当 ればよいという 考 え 方 です。この「 千 三 つ」 精 神 でトライされた 斬 新 な 研 究 テーマ<br />

には、 核 励 起 レーザーを 用 いた 原 子 炉 中 性 子 計 測 法 、レーザーによる He-3 核 スピン 偏 極<br />

― 5 ―


を 用 いた 原 子 炉 制 御 法 、 光 ファイバーを 用 いた 放 射 線 分 布 センシング、さらには 極 低 温<br />

( 超 伝 導 ) 放 射 線 センサー 開 発 などが 挙 げられると 思 います。 私 も~15 年 ほど 前 にいた<br />

だいたレーザー 共 鳴 イオン 化 分 光 のアイデアを、 名 古 屋 大 学 にて 漸 く 最 近 ものにできた<br />

という 感 じですが、この 技 術 は、 現 在 の 先 進 的 光 技 術 との 組 み 合 わせにより、 今 なお 革<br />

新 性 の 高 い 応 用 展 開 が 見 込 まれ、 中 澤 先 生 の 先 見 の 明 に 改 めて 脱 帽 している 次 第 です。<br />

以 上 、 中 澤 先 生 と 一 緒 に 仕 事 をさせていただいた 頃 の 研 究 の 思 い 出 のほんの 一 部 を<br />

長 々と 書 き 連 ねてみましたが、 私 は 今 回 の 中 澤 先 生 の 急 逝 というショッキングな 体 験 を<br />

して、 恩 師 とは 何 かということを 改 めて 理 解 することができました。それは、 私 の 人 生<br />

で 判 断 基 準 を 与 えてくださる 方 ということです。 実 際 、 名 古 屋 大 学 に 赴 任 してから 講 座<br />

責 任 者 として、いろいろと 難 解 な 決 断 を 迫 られるとき、 無 意 識 のうちに、「 中 澤 先 生 な<br />

ら、こういうときどうするだろうか」ということを 思 い 浮 かべて、 事 を 進 めていたよ<br />

うに 思 います。そう 意 味 で 中 澤 先 生 の 遺 された 多 くの 研 究 アイデアはもとより、ものの<br />

考 え 方 や 発 想 方 法 、 人 への 接 し 方 やご 指 導 方 法 など、いわゆる「 中 澤 流 」の 教 えは、 私<br />

の 中 にしっかりと 根 付 いており、 孫 弟 子 、ひ 孫 弟 子 へと 未 来 永 劫 継 承 されていくものと<br />

確 信 しています。<br />

それでは、 最 後 に 改 めて 中 澤 先 生 のご 冥 福 を 祈 りつつ、 門 下 生 としての 責 務 が 果 たせ<br />

るようさらに 精 進 することを 誓 って、 筆 を 置 かせていただきます。<br />

― 6 ―

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