Merienda! - The Japan Foundation, Manila

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10.07.2015 Views

Magkape Muna Tayo!カフェ みりえんだKape. The Filipino word for coffee. A unique Philippine blend is barako, traditionally enjoyedas a sweet potent drink or to add zing to a helping of fried rice as a wake upper.に ほ ん ご きょういく ほしFAREWELL.... 日 本 語 教 育 アドバイザー: 星とおる亨みな げんき にほん げつ しゅっぱつ こんど皆 さんお 元 気 ですか。 日 本 に 帰 ってから1か 月 もたたないうちにマレーシアに 出 発 しました。 今 度 はこくさいこうりゅうききん しごと に ほ ん ご がっこう に ほ ん ご おし よてい国 際 交 流 基 金 の 仕 事 ではなくて、KL(クアラルンプル)の 日 本 語 学 校 で 日 本 語 を 教 える 予 定 です。フィリのこ しごと かぞく なか よ みな わかピンではまだまだやり 残 した 仕 事 がありますが、それよりも 家 族 のように 仲 良 くなった 皆 さんとお 別 れなにすることが、 何 よりつらかったです。ねんかんほんとう せ わ みな ぜったいわす とし なまえ わす2 年 間 本 当 にお 世 話 になりました。 皆 さんのことは 絶 対 忘 れません。( 歳 のせいで) 名 前 は 忘 れるかもねんご ことし がつ おこな だい かい みな ぜんいんしれませんが、それが、2 年 後 の 今 年 5 月 に 行 われた 第 7 回 のフォーラムでは、 皆 さんのほとんど 全 員 をし じぶん なかま かん しあわ知 っていました。そのときわたしは「あ、やっと 自 分 もみんなの 仲 間 になれたんだな」と 感 じて 幸 せでこうふく き も え いちばんたいせつ たからものした。その 幸 福 な 気 持 ちはわたしがフィリピンで 得 た 一 番 大 切 な 宝 物 です。かんが きょうし じん に ほ ん ご せんせい考 えてみると、フィリピンでは Non Native 教 師 (つまりフィリピン 人 の 日 本 語 の 先 生 )のほうが Nativeにほんじん せんせい おお き じん せんせいの(つまり 日 本 人 の) 先 生 よりずっと 多 いことに 気 がつきます。そしてそのフィリピン 人 の 先 生 たちがいま に ほ ん ご きょういく ささ せかい くに くらうんとがんばって 今 の 日 本 語 教 育 を 支 えている。これって、 世 界 のいろいろな 国 と 比 べても、けっこうおも ねんかん に ほ ん ご きょういくすごいことだと 思 います。わたしは JFM のアドバイザーだった 2 年 間 、フィリピンの 日 本 語 教 育 のもんだいてん かんが もんだいてん問 題 点 ばかり 考 えすぎていたかもしれません。もちろん 問 題 点 はまだまだあるけれど、ネットワークをつく ちから かなら みち ひら なん作 って、みんなで 力 をあわせれば 必 ず 道 は 拓 けます。「 何 のために?」ということをいつもかんが あめ ふ おど あま ご さいご考 えながら、「 雨 が 降 るまで 踊 りつづける」 雨 乞 いダンス(raindance)のように 最 後 までがんばってください。ことし がつ わたし さいご で かん ねんまえ なに ちが今 年 5 月 の( 私 にとって) 最 後 のフォーラムに 出 て 感 じたのは「2 年 前 とは 何 かが 違 っている」といすく に ほ ん ご きょういく じぶん かんがうことでした。 少 なくとも、みんなが 日 本 語 教 育 のことをもっと「 自 分 で 考 える」ようになった。そじぶん はつげん に ほ ん ご はな ゆうき ねんまえ もして、もっと 自 分 から 発 言 するようになった。しかも「もっと 日 本 語 で 話 す 勇 気 を」2 年 前 より 持 っておも ほんとう うれ わたしくれているように 思 いました。もしそれが 本 当 なら、こんなに 嬉 しいことはありません。それこそが、 私みな ねんかんおも つづが 皆 さんにしてほしいと 2 年 間 思 い 続 けていたことですから。さいご あやま ねんかん いちど ご まな たが あいて最 後 に 謝 りたいことは、2 年 間 一 度 も・・・タガログ 語 を 学 ばなかったことです。お 互 いが 相 手 のことたいせつ し こうかいばでコミュニケーションするということの 大 切 さを、 知 っていたのにやらなかったことを、とても 後 悔 しわたし ご い いています。ですから、 私 はタガログ 語 で「さよなら」も 言 えません。だから、さよならは、 言 いません。あに ほ ん ご きょういく にいみHELLO! ! 日 本 語 教 育 アドバイザー: 新 見やすゆき康 之たび じ む し ょ に ほ ん ご きょういく ふにん にいみやすゆきこの 度 、マニラ 事 務 所 に 日 本 語 教 育 アドバイザーとして 赴 任 した 新 見 康 之 です。ねん がつ ねん がつ に ほ ん ご きょういくフィリピンには、2005 年 9 月 から 2007 年 9 月 まで JICA の 日 本 語 教 育 コーディふにん せいねんかいがいきょうりょくたい に ほ ん ご すいしんネータとして 赴 任 し、JOCV( 青 年 海 外 協 力 隊 )の 日 本 語 プログラムの 推 進 にかか関 わっていました。きかん おお じんきょうし かんけいしゃ かたがた せ わ こんかい ふたたその 期 間 に 多 くのフィリピン 人 教 師 や 関 係 者 の 方 々 にお 世 話 になりました。 今 回 、 再 びフィリピンにもど たいへん おも どうじ くに えん かん戻 ってこられて 大 変 うれしく 思 うと 同 時 に、この 国 との 縁 を 感 じています。ぜんかい ふにん じ まな こんかい前 回 の 赴 任 時 にもフィリピンのみなさんからいろいろなことを 学 ばせていただきましたが、 今 回 はよひろ ぜんこく かたがた とも まな あ きかい つく かんがり 広 く、 全 国 の 方 々 と 共 に 学 び 合 える 機 会 を 作 っていきたいと 考 えています。ひとり かのうせい に ほ ん ご きょういく おも わたし じしん一 人 ひとりの 可 能 性 と 日 本 語 教 育 への 思 いをサポートしていけるよう、 私 自 身 もがんばります。そおし たの せいしん つと おもしてフィリピンのみなさんから 教 えていただいた、「みんなで 楽 しく」の 精 神 で 務 めたいと 思 います。8みりえんだ

じ む じ ょ ふくしょちょう いいざわFAREWELL....マニラ 事 務 所 副 所 長 : 飯 澤のぶあき展 明にほん もど げつ日 本 に 戻 ってまだ 1 ヶ 月 もたっていないのですが、フィリピンでのさまざまなおも で ゆめ かん思 い 出 が 夢 のように 感 じられます。。。ねん がつ わたし お た ふにん まえ2005 年 の 8 月 、 私 はマニラに 降 り 立 ちました。フィリピンに 赴 任 する 前 は JF のに ほ ん ご こくさい はたら日 本 語 国 際 センター(Japanese LanguageInstitute,Urawa)で 働 いていたため、に ほ ん ご きょういく かん しごと かんが「フィリピンでも、ぜひ 日 本 語 教 育 に 関 する 仕 事 をしたい」と 考 えていました。さいしょ しごと はじ しゅさい に ほ ん ご こうざフィリピンでの 最 初 の 仕 事 は、JFM としても 初 めての 主 催 日 本 語 講 座 だった「SENSEIble コース」ご せんせい に ほ ん ご おし かた に ほ ん ご きょういくがくでした。その 後 、「ブラッシュアップコース」、「 先 生 の 日 本 語 」、「 教 え 方 コース」、「 日 本 語 教 育 学 概 論いま おお しゅう むいか に ほ ん ご かんけい じゅぎょう「ウィークリーワークショップ」などがはじまり、 今 では 多 いときには 週 6 日 、 日 本 語 関 係 の 授 業 なに ほ ん ご に ほ ん ご も じ どお に ほ ん ご まな がくせいどがあります。「 日 本 語 スピーチコンテスト」が「 日 本 語 フィエスタ」になり、 文 字 通 り 日 本 語 を 学 ぶ 学 生おし せんせい まつ ねん かい に ほ ん ご きょうしや 教 える 先 生 たちの「お 祭 り(フィエスタ)」になりました。また、 年 1 回 だった「 日 本 語 教 師 フォーラかい まいかいム」も 2 回 になり、レクチャーシリーズでも 毎 回 、さまざまなアイデアがシェアされています。こう に ほ ん ご せんせいがたメトロ・マニラにある 7 校 のハイスクールへの 日 本 語 キャラバンが、AFINITE の 先 生 方きょうりょく え じっし おこ がっこう にほん はけん せんせいのご 協 力 を 得 て 実 施 されました。キャラバンを 行 なった 学 校 では、 日 本 から 派 遣 された 先 生せんせい に ほ ん ご じゅぎょう はじたち(JENESYS プログラム)と AFINITE の 先 生 による 日 本 語 の 授 業 が 始 まっています。す ねん かげつ せ わフィリピンで 過 ごした 2 年 10ヶ 月 をふりかえるとき、それぞれのプロジェクトでお 世 話 にせんせいがた かお う おこなった、たくさんの 先 生 方 の 顔 が 浮 かんできます。どのプロジェクトも、JFM だけで 行 なかんけいしゃったものは、ひとつとしてありません。 関 係 者 の 方 かたがた はな あ なや つく あ々 と 話 し 合 いながら、ともに 悩 みながら、 作 り 上 げいっしょ べんきょう はな た うた おど はしていったものばかりです。そして、 一 緒 に 勉 強 したり、 話 したり、 食 べたり、 歌 ったり、 踊 ったり、 走ほんとう おも で たの し ごと きゅうりょうったり、、、と、 本 当 にたくさんの 思 い 出 があります。「こんなに 楽 しく 仕 事 をして、 給 料 をもらってもおも たの き おくいいのかな?」と 思 うくらいに 楽 しい 記 憶 です。( 笑 )ば か ちゅうざい せ わ あつ れいもう あこの 場 をお 借 りして、フィリピン 駐 在 でお 世 話 になった、みなさまに 厚 くお 礼 申 し 上 げます。にほん こ さい わたし し日 本 にお 越 しの 際 は、ぜひ、 私 のメールアドレスまでお 知 らせください。(Nobuaki_Iizawa@jpf.go.jp)に ほ ん ご も あフィリピンのこと、 日 本 語 のこと、だれだれさんの Tismis などで、 盛 り 上 がりましょう!Maraming salamat po!がいろん」、じ む し ょ じせき みとみHELLO!! マニラ 事 務 所 次 席 : 三 富ゆき え章 恵Kumsta po kayo? Ang Pangalan Ko Ay Yukie Mitomi.I was assigned to work in the Japan Foundation, Manila as the successor of our kuya, Mr. Iizawa.Since the very beginning of my career in the Japan Foundation, I’ve been engaged mainly into thecultural exchange programs at grassroots level. Thus, this is a totally new and challenging dutyfor me to work in the field of Japanese language education and succeed Mr. Iizawa who almostdevoted his almost 3 years at the JFM to promoting Japanese language education in thePhilippines.Knowing that expanding and promoting the Japanese language education overseas is now one ofthe most crucial tasks for the Japan Foundation, I am ready to plunge into the vibrant world ofJapanese language education;.and, I firmly resolve to work hard to foster the Japanese languageeducation in the Philippines and am looking forward to meet all the readers of Mirienda!!The Japan Foundation Manila Nihongo Teachers’ Newsletter9

じ む じ ょ ふくしょちょう いいざわFAREWELL....マニラ 事 務 所 副 所 長 : 飯 澤のぶあき展 明にほん もど げつ日 本 に 戻 ってまだ 1 ヶ 月 もたっていないのですが、フィリピンでのさまざまなおも で ゆめ かん思 い 出 が 夢 のように 感 じられます。。。ねん がつ わたし お た ふにん まえ2005 年 の 8 月 、 私 はマニラに 降 り 立 ちました。フィリピンに 赴 任 する 前 は JF のに ほ ん ご こくさい はたら日 本 語 国 際 センター(<strong>Japan</strong>ese LanguageInstitute,Urawa)で 働 いていたため、に ほ ん ご きょういく かん しごと かんが「フィリピンでも、ぜひ 日 本 語 教 育 に 関 する 仕 事 をしたい」と 考 えていました。さいしょ しごと はじ しゅさい に ほ ん ご こうざフィリピンでの 最 初 の 仕 事 は、JFM としても 初 めての 主 催 日 本 語 講 座 だった「SENSEIble コース」ご せんせい に ほ ん ご おし かた に ほ ん ご きょういくがくでした。その 後 、「ブラッシュアップコース」、「 先 生 の 日 本 語 」、「 教 え 方 コース」、「 日 本 語 教 育 学 概 論いま おお しゅう むいか に ほ ん ご かんけい じゅぎょう「ウィークリーワークショップ」などがはじまり、 今 では 多 いときには 週 6 日 、 日 本 語 関 係 の 授 業 なに ほ ん ご に ほ ん ご も じ どお に ほ ん ご まな がくせいどがあります。「 日 本 語 スピーチコンテスト」が「 日 本 語 フィエスタ」になり、 文 字 通 り 日 本 語 を 学 ぶ 学 生おし せんせい まつ ねん かい に ほ ん ご きょうしや 教 える 先 生 たちの「お 祭 り(フィエスタ)」になりました。また、 年 1 回 だった「 日 本 語 教 師 フォーラかい まいかいム」も 2 回 になり、レクチャーシリーズでも 毎 回 、さまざまなアイデアがシェアされています。こう に ほ ん ご せんせいがたメトロ・マニラにある 7 校 のハイスクールへの 日 本 語 キャラバンが、AFINITE の 先 生 方きょうりょく え じっし おこ がっこう にほん はけん せんせいのご 協 力 を 得 て 実 施 されました。キャラバンを 行 なった 学 校 では、 日 本 から 派 遣 された 先 生せんせい に ほ ん ご じゅぎょう はじたち(JENESYS プログラム)と AFINITE の 先 生 による 日 本 語 の 授 業 が 始 まっています。す ねん かげつ せ わフィリピンで 過 ごした 2 年 10ヶ 月 をふりかえるとき、それぞれのプロジェクトでお 世 話 にせんせいがた かお う おこなった、たくさんの 先 生 方 の 顔 が 浮 かんできます。どのプロジェクトも、JFM だけで 行 なかんけいしゃったものは、ひとつとしてありません。 関 係 者 の 方 かたがた はな あ なや つく あ々 と 話 し 合 いながら、ともに 悩 みながら、 作 り 上 げいっしょ べんきょう はな た うた おど はしていったものばかりです。そして、 一 緒 に 勉 強 したり、 話 したり、 食 べたり、 歌 ったり、 踊 ったり、 走ほんとう おも で たの し ごと きゅうりょうったり、、、と、 本 当 にたくさんの 思 い 出 があります。「こんなに 楽 しく 仕 事 をして、 給 料 をもらってもおも たの き おくいいのかな?」と 思 うくらいに 楽 しい 記 憶 です。( 笑 )ば か ちゅうざい せ わ あつ れいもう あこの 場 をお 借 りして、フィリピン 駐 在 でお 世 話 になった、みなさまに 厚 くお 礼 申 し 上 げます。にほん こ さい わたし し日 本 にお 越 しの 際 は、ぜひ、 私 のメールアドレスまでお 知 らせください。(Nobuaki_Iizawa@jpf.go.jp)に ほ ん ご も あフィリピンのこと、 日 本 語 のこと、だれだれさんの Tismis などで、 盛 り 上 がりましょう!Maraming salamat po!がいろん」、じ む し ょ じせき みとみHELLO!! マニラ 事 務 所 次 席 : 三 富ゆき え章 恵Kumsta po kayo? Ang Pangalan Ko Ay Yukie Mitomi.I was assigned to work in the <strong>Japan</strong> <strong>Foundation</strong>, <strong>Manila</strong> as the successor of our kuya, Mr. Iizawa.Since the very beginning of my career in the <strong>Japan</strong> <strong>Foundation</strong>, I’ve been engaged mainly into thecultural exchange programs at grassroots level. Thus, this is a totally new and challenging dutyfor me to work in the field of <strong>Japan</strong>ese language education and succeed Mr. Iizawa who almostdevoted his almost 3 years at the JFM to promoting <strong>Japan</strong>ese language education in thePhilippines.Knowing that expanding and promoting the <strong>Japan</strong>ese language education overseas is now one ofthe most crucial tasks for the <strong>Japan</strong> <strong>Foundation</strong>, I am ready to plunge into the vibrant world of<strong>Japan</strong>ese language education;.and, I firmly resolve to work hard to foster the <strong>Japan</strong>ese languageeducation in the Philippines and am looking forward to meet all the readers of Mirienda!!<strong>The</strong> <strong>Japan</strong> <strong>Foundation</strong> <strong>Manila</strong> Nihongo Teachers’ Newsletter9

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