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Merienda! - The Japan Foundation, Manila

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Winning Speech:‘Transcending a Japayuki’ by Maricel E. Bornillaこジャパユキを 超 えてきおもみなさんは、ジャパユキと 聞 くと、どう 思 いますか。わたしばんめあねわたし私 の2 番 目 の 姉 は、 元 ジャパユキです。 私 がまだ10 歳 ぐらいのときに、 姉 は 歌 手いなかひとかんががたほしゅてきあねさいわるくちあねかしゅにほんとして 日 本とうじへ 行 きました。 当 時コールの 田 舎 の 人 たちは 考 え 方 が 保 守 的 で、 姉 について 悪 口 を 言 っていたそうです。でも、 私 はまだ 子 供 だったのでわみやげかんがあねいにほんよく 分 からず、お 土 産 のことしか 考 えていませんでした。 姉 は 日 本 から 帰 ってくるたびに、 素 敵 な 服 や 靴 、かわいい 鉛 筆 、おいしいわたしおおよろこチョコレートやシーフードラーメンをくれ、 私 は 大 喜 びしていました。おおまわ ひとわるくち い み わおもにほん わるでも、 大 きくなるにつれて、 周 りの 人 たちの 悪 口 の 意 味 が 分 かるようになり、つらい 思 いをしました。「ジャパユキは 日 本 で 悪 いことかね もうわるくち なんど みみふか きずあねうわさ きをして、お 金 を 儲 けてる」という 悪 口 を 何 度 も 耳 にし、 深 く 傷 つきました。そんなとき、 姉 は「そういう 噂 は 気 にしないで。ジャパユわるかぎいじじつキといっても 悪 いことをしているとは 限 らない」と 言 いました。 事 実 、 姉 は 歌 手 としてだけ 仕 事 をし、 日 本 で 知 り 合 った 男 性 と 結 婚こども にん めぐにほんじん しゅじんやさ かた あね いま にほん しあわ かていせいかつ おくし、 子 供 3 人 に 恵 まれました。 日 本 人 のご 主 人 はとても 優 しい 方 で、 姉 は 今 でも 日 本 で 幸 せな 家 庭 生 活 を 送 っています。わたしいまあねかんしゃちちな私 は 今 でもこの 姉 にとても 感 謝 しています。 父 が 亡 くなってから、 母 と 私 たち 兄 弟 の 面 倒 を 見 てくれ、おかげで 私 たちは 学 校 をそつぎょう卒 業 することができました。あね かぞく わたしあいだ もんだい ことば かべあね こどもにっぽんうにほんそだにほんご姉 の 家 族 と 私 たちの 間 の 問 題 は 言 葉 の 壁 です。 姉 の 子 供 たちは 日 本 生 まれの、 日 本 育 ちなので、 日 本 語 しかできません。そして、わたしははにほんごぜんぜんふつうあねつうやく私 の 母 は 日 本 語 が 全 然 できません。 普 通 は 姉 が 通 訳 するのですが、ある 時 、 母 が 国 際 電 話 で 孫 に 直 接 気 持 ちを 伝 えようとしました。でははなんいわくやかなおもははかえあねわたしときかしゅははきょうだいこくさいでんわめんどうわたしすてきしごとまごみふくこどもくつにほんちょくせつきもも、 母 は 何 と 言 ったらよいのか 分 からず、とても 悔 しく 悲 しい 思 いをしたそうです。わたし にほんご べんきょう はじにほんごき そ べんきょうにほんごぶんかがくいん ほんかくてき まなそんなこともあって、 私 は 日 本 語 の 勉 強 を 始 めました。 日 本 語 センターで 基 礎 を 勉 強 し、フィリピン 日 本 語 文 化 学 院 で 本 格 的 に 学にほんごのうりょくしけんきゅうごうかくにほんごりょくみび、 日 本 語 能 力 試 験 2 級 合 格 レベルの 日 本 語 力 を 身 につけることができました。おかげで、 今 では 姉 の 子 供 たちとも 日 本 人 の 義 理 の 兄ちょくせつにほんご はなとも 直 接 日 本 語 で 話わたしにほんごすことができ、 日 本 語にほんごきょうしははのできない 母たや 他いまあねこどもきょうだいつうやくの 兄 弟 のために 通 訳 もできるようになりました。私 はこれから 日 本 語 教 師 になり、 日 本 で 仕 事 をするフィリピン 人 、 特 にITエンジニアやケアギバーを 助 けたいと 思 っています。そわたしにほんたすしごとうすることが、ジャパユキとして 私 を 助 けてくれた 姉 への 恩 返 しにもなると 思 います。あねおんがえじんMaricel E. Bornilla has been studying Nihongo forless than 2 years. She took up the Intensive Courseat the Philippine Institute of <strong>Japan</strong>ese Languageand Culture last year, and is presently enrolled inthe Teacher Training Course at the Nihongo Center<strong>Foundation</strong> in <strong>Manila</strong>. She is currently teaching atthe Atienza Nippi, and is handling Children’s Nihongoat the Nihongo Center <strong>Foundation</strong>.とくおもたすしつたのビあえんぴつわたしおもだんせいにほんじんけっこんがっこうぎ りあにStudents Bag the Crown!!<strong>The</strong> First <strong>Japan</strong>ese Performance Contest WinnersFIRST PLACE - ‘Awaodori’ by Adamson University & <strong>Manila</strong> Science High SchoolSECOND PLACE - ‘High School Musical’ by <strong>The</strong> University of <strong>Manila</strong>THIRD PLACE - ‘Shizuku’ & ‘Aozora no Namida’ by the Fire Exit Band of La SalleGreenhills<strong>The</strong> <strong>Japan</strong> <strong>Foundation</strong> <strong>Manila</strong> Nihongo Teachers’ Newsletter3

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